60、枕
湯けむりの中では時の流れがぼんやりとかすむ。
紫乃は寮のフォッカで980円で買ってきたバスピローに頭をのせ、期末試験勉強の疲れをお湯に溶かしていた。シャワーで済ませる日も多いが、こうして湯船にお湯を張って浸かるのは紫乃にとって大きな喜びである。105円でこっそり買って来たアヒルを浮かべて下から膝でつついたり、水面に顔の半分を沈めてブクブク言ったりするのもまた一興である。
今頃隣りの部屋の弓奈さんは何をしているだろうか、もしかしたら自分と同じようにお風呂に入っているのではないだろうか・・・紫乃は自分の頭に浮かんでくる瑞々しい雑念の火種を根性でもみ消しお風呂を出た。弓奈のことを考えると心も体も止まらなくなってしまう。紫乃はそれがとっても怖いのだ。
マイナスイオンのドライヤーが髪に良い根拠を紫乃は知らないが、不思議と髪の芯の潤いが逃げない品のある乾き方をするので紫乃はこれを結構気に入っている。
「はわわわわ」
ドライヤーの風をびゅうびゅう顔に浴びながら、紫乃は鏡の中の自分をにらんだ。もう高校生だというのにいつまでたっても幼い顔と体に、紫乃は嫌気が差している。せめてもう少し背が伸びて、あんまん一個分くらいの胸を追加出来れば自分の大人っぽくてクールなキャラクターにも説得力と威厳がでるはずなのにと、紫乃は悔しがった。
パジャマを着て歯を磨き戸締まりをして、紫乃はベッドにもぐりこんだ。二年生寮の部屋の電気はベッドにあるリモコンで消えるので便利である。
室内はとっぷりと暗闇に包まれた。紫乃は夢の世界へのアプローチの仕方をいくつも心得ているが、今日はうつぶせで眠ろうと思った。シャンプーの香りの低反発枕に顔をうずめながら、物音ひとつしない寮の闇に紫乃は耳を澄ましてみた。
今頃隣りの部屋の弓奈さんは・・・紫乃の頭の中にまたよこしまな妄想の影がさした。何度か弓奈の部屋の中を見たことがある紫乃は、彼女の部屋と自分の部屋の間取りがちょうど左右逆になっていることを知っている。つまり、この壁を一枚隔てた向こう側に弓奈のベッドがあるのだ。紫乃はいつのまにかほっぺを枕にうずめて壁のほうを見ていた。
(弓奈さん・・・)
どんな格好をして寝ているのだろうか・・・下着やパジャマはやたらセクシーなものを持っているのでもしかしたら胸元や背中が結構空いたエッチなキャミソールかも知れない。髪をほどいた弓奈がそんな格好でベッドにもぐっているのを想像しているうちに、紫乃はいつのまにか枕をぎゅうっと抱きしめていた。
こんなことを考えてはいけないとは分かっていても、紫乃の心はもうとまらない。弓奈の声や体の温もり、感触を頭の中でどんどん膨らませながら、抱きしめた枕のふっくらした部分に唇を押し当て、体をもそもそとうごかして胸をすりすりした。紫乃は小学生くらいの頃からこれをよくやる。
(弓奈さん・・・弓奈さん・・・)
自己嫌悪よりも速く紫乃の心は加速していく。
(弓奈さん・・・私は・・・ダメな友達です・・・)
紫乃は心も体も持て余していた。
(弓奈さん・・・大好きです・・・大好きです)
疲れて眠るまでおよそ一時間。こんな日が続くと紫乃は寝不足になってしまうことだろう。
だが心配はしなくてよい。紫乃の心は一枚の壁によってしっかりプロテクトされているのでどんな秘密を胸に秘めていても部屋の外にもれることはないのである。紫乃にとって部屋の壁は最大の敵であり最後の砦でもあるのだ。




