6、アイス
「これで最後かな」
二人の頬が夕日の茜色に染まっている。
「そ、そうですね。もう寮に戻りましょうか」
弓奈が手伝った仕事はそれほど複雑なものではなかった。サンキスト女学園では6月に体育祭を執り行う。なぜわざわざ梅雨の時期を選んでいるのかは不明だが、新クラスのメンバーとの親睦を深めるいい機会であることは確かなので楽しみにしている生徒もいる。ところがこの体育祭で毎年使用されていた得点板がこの春、とある体育教師の手違いで処分されてしまっていたのだ。やむを得ず新しく作成することになったのだが、得点板を屋上のフェンスに設置する際の金具の発注をまずしなければならず、そのサイズを調べる必要があったのだ。二人が行った作業は体育教師香山里歌の見にくい図を参考にフェンス各部の長さや幅、高さをメジャーで測るというものだった。掲示委員会はこんな仕事もするのかと弓奈は感心し、せっせと働いた。
「ねえ紫乃ちゃん」
夕焼けの照る広い渡り廊下に長い陰が二本並んでいる。
「どうしたら紫乃ちゃんみたいにクールになれるかな」
弓奈の質問に紫乃はすました顔で答える。
「そ、そうですね。普段からヒステリックでセンセーショナルな事物を避けることが肝要です」
「へぇー」
弓奈にとって紫乃は先生のようなものだ。
「あとは冷たいものを毎日たくさん食べることですね」
「え、アイスとか?」
「はい。主食を氷菓にすることで脳内を低温に保ち、外界の刺激に対し常に冷静な判断を下します」
「すっごーい」
紫乃はすぐに後悔した。まだまだ朝晩冷えるというのに調子に乗ってついいい加減なことを言ってしまったのだ。
「クールな女の子になるのも大変なんだねぇ!」
「た、大したことじゃないですよ」
「いやいや! すごいよ紫乃ちゃん」
弓奈が妙に子どもっぽいのは紫乃に心を開いている証である。容姿端麗にしてスポーツ万能なモテモテ少女も本当は甘えん坊なところがあるということなのだ。
二人が寮の昇降口に差し掛かったとき、弓奈は「ちょっと寄っていっていい?」と言ってエントランス内のコンビニを指差した。サンキスト女学園のコンビ二エンスストア『Focaccia Dolce』通称『フォッカ』は学園内に4店舗展開しているらしいが弓奈は一年生寮店しか見た事が無い。弓奈は紫乃と共に店内に入るとアイスコーナーへ向かった。
「私も実践する!」
弓奈はそう言って30円アイスを3本カゴに入れた。サンキスト女学園名物30円アイス・・・化学調味料一切不使用で有機野菜のたっぷり入った健康的シャーベットであり、二年生寮のオーロラパフェ、三年生寮のリリーマシュマロに並んで雑誌で紹介される程の人気商品である。
「紫乃ちゃん。今日はもう冷たいもの食べたのかな」
紫乃はビクッとして顔を上げた。
「ま、まだでした。私も買って行きます」
さすが弓奈の師匠である。紫乃は慣れない手つきでアイスを5本カゴに入れてレジに並んだ。
クラスが同じということまでは紫乃に聴かされていたのだが、寮の部屋もお隣りだったなんて知らなかったので弓奈は大喜びした。弓奈は廊下に人がいないのを確認すると屋上にいた時と同じように紫乃の手を取って「紫乃ちゃんが隣りでよかった。よろしく。よろしくね」と何度も繰り返した。紫乃はドキドキしてしまって目をそらしながら黙ってうなずくのが精一杯だった。
さて自室に戻った弓奈がアイスを冷やそうと冷凍庫を開けると、中にはすでにカボチャ味の30円アイスが二本入っているではないか。すっかり忘れていたのだが、これは香山先生から貰ったのだ。
一昨日の昼休み、本でも読んで現実逃避しようと思った弓奈が桃色の毛糸であやとりをしつつ図書室に向かっていると、前からバイオリンケースを抱えた香山先生がやってきた。体育教師のくせになぜそんなものを持っていたのかは不明だが、弓奈が遠慮がちに挨拶をすると香山はご機嫌な様子で近寄って来た。
「倉木さん。この前はごめんなさい」
「え」
「みんなの前で恥ずかしい思いさせちゃったでしょ?」
パンツのことである。
「あ、いえいえ。別にいいんです。全然気にしてないですから」
気にしていない訳がないが、先生のほうから謝られてしまったら弓奈も何も言えなくなってしまう。
「おわびにねぇ、これあげる!」
香山先生はポケットに手を入れたりカバンを探ったり胸を触ったりしたあと「あ、ここだった」と言ってバイオリンケースを開けた。
「もうすぐハロウィンだからさぁ。ほらぁ、カボチャ味だよ」
中から出て来たのがその30円アイスだった。もちろんドロドロに溶けている。
「あ・・・先生、ハロウィンは十月だった気がするんですけど」
「遠慮しないの。はい。はい。二本あげるね」
先生は先生なりにこの前のことを気にしていたのかも知れない。こうして弓奈は香山先生の強引な罪滅ぼしに付き合わされアイスを二本先行入手していたのだった。
「そうだ」
弓奈はカボチャのアイスを持ってお隣りの紫乃を再び訪ねた。確か紫乃が買ったアイスの中にカボチャ味はなかったはずなのでお裾分けをしようと思ったのだ。お米やパンの代わりにアイスを食べているらしい紫乃ならばアイスは何本あってもありすぎるということはないだろう。扉をノックするとオレンジ色のアイスをくわえた紫乃が顔を出した。こうして見ると紫乃は前髪をそろえるとすごく可愛くなる気がした。いつか髪をカットする時に提案しようと弓奈は思った。
「これ余ってるの。あげる」
弓奈の差し出したものを見て紫乃は目を丸くする。
「あ、ありがとうございます。いえ、5本じゃ足りなかったくらいですから」
本当は5本のアイスの処理に困っているくらいなのだが紫乃は本当のことを弓奈に言えない。
「喜んでくれて嬉しい! やっぱりクールだなぁ紫乃ちゃん。それじゃ、おやすみ」
自室に戻りゆっくりシャワーを浴びた弓奈は、楽しみにしていたアイスを食べ始めた。弓奈は食いしん坊なのでニンジン味とナス味を二本同時に食べてみることにした。入寮記念に貰ったボディータオルは非常にキメの細かい泡を生んでくれるのでいつもより肌がすべすべになったような気がする、あのタオルはフォッカで売っているのだろうか・・・などと考え事をしていると、なんとアイスの容器の内側から『当たり』の文字が現れた。しかもよく見ると二本とも当たりだったのである。弓奈は部屋からの外出が禁止される夜9時ぎりぎりにコンビニに駆け込み、そこでアルバイトをしている二年生の生徒からキャベツ味のアイスを二本もらってきた。ふかふかのカーペットが敷かれているとはいえ階段を猛ダッシュする弓奈は自分が足に怪我をしていることをすっかり忘れているとしか考えられない。
「紫乃ちゃん」
扉の前から声をかけると紫色のパーカーを来た紫乃がフードを被った状態でゆっくりと顔を出した。なぜか唇もちょっぴり紫色である。
「紫乃ちゃん。これ、二本当たり出たから一本あげるね」
紫乃は弓奈の差し出したものを見て一瞬怯えたような表情をしたが、すぐに強気で涼し気な顔に戻りアイスを受け取った。
「あ、ありがとうございます。いえ、6本じゃ足りなかったくらいですから」
「紫乃ちゃんかっこいいなぁ!」
「いつものことです。こ、こ、これっくらい」
「私も頑張って紫乃ちゃんみたいになる! これからもいっぱい勉強させて下さい!」
「私くらいクールになるには、相当な鍛錬が必要ですよ」
「頑張ります!」
「き、期待してますので」
「うん! それじゃあ、また明日ね。おやすみ」
「お、おやすみなさい」
扉を閉めた瞬間、中から紫乃のクシャミが聴こえた気がしたのだがきっと弓奈の気のせいだろう。




