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59、必勝、小熊生徒会

 

『黒板消し』

 弓奈はトラックに立ち尽くした。

「お姉様ぁ! 頑張って下さーい!」

 後輩のあかりちゃんが遠くで叫んでいる。弓奈は午前中の紫乃の頑張りを見て若干こころ変わりを起こし、万が一1位になってモテてしまってもかまわないから全力で競技に挑もうと前向きに考えていたので頑張りたいのは山々である。だがこのグランドのどこに黒板消しがあるというのか。サンキスト女学園は借り物競走のお題にも本気を出しているらしい。

 本部席にもしかしたら移動式黒板などが設置されていてそこに黒板消しがあるのではないかと考えたが、そもそも移動式黒板なんてこの学園にないでしょ、ホワイトボードとごっちゃにしてるんじゃないのと自分にツッコミを入れてこの案は消えた。ならば黒板消しが黒板消しとしての用途を外れて使われているケースがもしかしたらあるかも知れず、例えば寿命が来たファンデーションパフの代わりを探していた本部席の香山先生が黒板消しでお化粧をなおしていたり、たまたま本学園の体育祭に遊びに来ていた教具専門店のお嬢さんが荷物を間違えて持って来てしまっていてカバンを開けたら黒板消しだらけだったので座布団代わりに使っていたりするかも知れないとも考えた。弓奈の想像力はいつだって現実性を伴わない。

「キャー弓奈さーん!」

「ステキー!」

「頑張ってー!」

 弓奈は今真剣に考え事をしているのだから静かにして欲しい。消極性を圧倒していたはずの彼女の情熱に億劫が足かせとなった上、声援の砂嵐まで吹き荒れたのであやうく弓奈は自分を見失うところだったが、なんとか前向きな結論を出すことに成功した。

「学舎行くかぁ・・・」

 弓奈はグランドを駆け足で抜け出して昇降口へ向かった。途中、他の学校から来たと思われる女の子たちに囲まれてサインを求められたので、20枚あまりの色紙すべてに「ゆ」と書いた。とんだタイムロスである。

 昇降口に人影はなかった。とりあえず一番近い一年生の教室を目指そうと思いながら弓奈が来客用のスリッパに履き替えた、その時である。吹き抜けになっているエントランスのど真ん中に、これ見よがしと設置された一脚の机を発見した。そこに下げられた紙には手書きでこう記されている。

『一番近い黒板消しはコチラ』

 怪しすぎる。紙に書かれた赤い矢印の先には階段下の用具置き場があった。無視をして教室を目指そうかと思ったが、目の前の用具置き場のほうが遥かに近いし、一応弓奈はレース中なので最速最善を尽くす義務もある。弓奈はスリッパをぱたんぱたんいわせながら矢印に従って歩いた。

「誰かいますか」

 用具置き場を覗いてそう声をかけたが、そこは暗闇が閉じ込められていただけの空間で、誰かがいる気配はない。弓奈は中に入って電気を点けた。

 静かにドアが閉まった次の瞬間、ドアのすぐ前にドタンバタンと何か大きなものが置かれる音がして弓奈は飛び上がった。

「な、なに!?」

 おそらく机をいくつも積み上げられたのだろう。ドアノブは押しても引いてもビクともしない。弓奈は扉を叩きながら声をあげた。

「ちょ、ちょっとー。あけてくださーい・・・」

 あまり危機感が感じられない叫びだが、返事は返って来た。

「いやぁ、上手くいった。あんたと鈴原はけっこう似てるとこあるね」

 聞き覚えのある声である。

「あんたなら、いい格好したいから急いで探しにくると思った。全部うちの思い通りだったわ。カードすり替えたのもうちだからね」

「ま、舞さん・・・ていうことは、対抗リレーが終わるまで私をここに閉じ込めるってこと?」

「・・・なに。随分落ち着いてるじゃん。無理してるでしょ」

「いや・・・まあ」

 あまり進歩のない人だなぁと弓奈は思ったが怒らせるとまずいので黙っておいた。

「今年はあんたを閉じ込めることにしたから。あんたが居なければ残りは金髪さんとぱっつんだけだから、絶対勝てるもん。やばいわ、うちの頭のよさときたら、北海道サイズだわ。アメリカ級だわ。アメリカンドリームだわ。ドリーマー舞。うは」

 舞が舞い上がっている。弓奈はこの間にもドアノブをしつこくガシャガシャやっていたが、どうやら舞の構築したロックシステムは完璧らしい。弓奈はドアの前にへたりこんだ。

「舞さん、開けてよぉ!」

「ダメダメ。さ、そろそろ対抗リレーの集合時間だからうち行くね。バーイバイ」

「そんな・・・!」

 用具置き場の冷たい床に小熊会長や紫乃の顔が浮かんだ気がした。



「弓奈お姉様が!」

「いないんです!」

 いつのまにか紫乃とあかりは二人そろって弓奈を探していた。小熊会長は生徒会のたすきを見つめながらなにかを考えている。天才ならばさっさと弓奈さんの居場所を答えろと、紫乃は会長につかみかからん勢いである。

「借り物競走の途中で見失ってしまったんです。私の視力がもう少し良ければこんなことには!」

「お姉様が本部の裏のほうに走って行ったのは見ました。でもそこから先は・・・」

「きっとあの安斎です! 犯人は、犯人は安斎舞です!」

 5人で出場するレースに、生徒会は去年と同様に3人でエントリーしている。昨年の弓奈の走りが奇跡のようなもので、3人のうち一人でも欠ければもはやレースにもならないだろう。小熊会長は巻き髪を指でくるくるいじりながらクスっと笑った。

「面白くなってきたわ」

「会長! ちっとも面白くないです!」

 対抗リレーに出場する選手たちのほとんどがすでにゲートに集まった。もう紫乃たちに残された時間はない。

「あかりちゃん。生徒会の応援旗を貸して」

「あ、はい」

 今日あかりに任されていた仕事、それは対抗リレー中に生徒会の旗を応援席で振り回して盛り上げることだった。

「いい? 二人ともよく聴いて」

 会長は紫乃とあかりの腕を優しく抱いて言った。

「私たち3人で走るわよ」

「え!」

「え!」

「生徒会員を生徒会員たらしめるのは役職でもブランドでもないわ。大切なのは心よ」

 会長は旗を広げた。そこには確かにあかりのオレンジの手形がついている。

「私が初めに3人分走るわ。一周半ね」

「か、会長様、私はどうすればいいですか?」

 あかりは顔を赤くしながらそう言った。あかりの心臓がただならぬビートを刻んでいたことは言うまでもない。

「私の後に1人分走ってくれるかしら。半周よ」

「わ、わかりました!」

 紫乃は左の手のひらを胸に当てながらつぶやくように言う。

「私が・・・アンカー」

 紫乃の髪を会長の手が優しくすべった。

「できるかしら。無理そうだったら代わるわ。アンカーは一周走らなきゃいけないから大変なのよ」

「や、やります! 私やります!」

 紫乃の頭のはちまきが風に揺れる。

「弓奈ちゃんならきっと大丈夫よ。私たちが走り終わる頃にはグランドに無事に戻ってくるわ」

 三人は生徒会の応援旗を頭から被って円陣を組むと、紫乃の丁寧な号令で気合いを入れた。

「勝っちまーす!!」

「おー!!」



 弓奈の代役が立ったことは舞の予想外であったが、彼女は動揺しなかった。

「なにあのツインテール。生徒会関係者?」

「たぶん」

「ふーん。うちアイツと競争したいから4人目に走るわ」

 舞は自分より足の遅そうな相手と戦いたいらしい。

「だからあんたアンカーね」

「え、アンカー?」

「あんた見た目より足早いから大丈夫だよ。それにアンカー行くまでに勝負ついてるし」

「はいはい・・・まあ舞の好きなようにしてよ」

 舞は舞の友達の首にアンカーのたすきをかけてとっとと自分の位置に向かおうとした。

「待って」

「ん?」

「倉木さんは?」

「あー、うまくいったうまくいった。やっぱ勝つって気持ちいいねぇ!」

 舞の友達は、犬歯ののぞくちょっぴり日焼けした舞の笑顔から目をそっとそらした。



 リレーに出るはずの弓奈が不在のままなのでグランドはざわついていたが、係の生徒がスタートのピストルを構えると、風の音が聞こえるくらいに辺りは静まり返った。

「位置について」

 会長のブロンドヘアの存在感は周囲を圧倒していた。

「よーい」

 しかし実はこの時、会長の天才的頭脳の中に生徒会の勝算はほとんど無かった。会長はただ自分の手の中のバトンの重さを胸に刻みながら正面をにらむばかりだった。

「ドン!」



 雪乃は誰もいなくなった学舎の廊下を日傘をさしながらてくてく歩いていた。

「うーのはなーのにおうかきねに、ほーととぎーすはやもきなきて」

 ふと耳を澄ますと、遠くから人のうめき声が聞こえる。雪乃は背中のバニウオを降ろして抱きしめながらつぶやいた。

「バニちゃん。誰かいるよ」

「雪乃ちゃん。ボクこわいよ」

「ちょっとだけさ、見に行ってみよ」

「うん。わかった」

 一人二役である。雪乃はおそるおそる階段を降りて行った。

「誰かー出してー」

 一段一段降りる度に、雪乃の優れた聴覚は彼女のとある予感を確信に変えた。

「弓奈」

 雪乃は日傘を階段の踊り場に置いて駆けた。

「弓奈」

 積み重ねられた机の山に向かって雪乃は声をかけた。

「雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんなの?」

「弓奈」

「ゆ、雪乃ちゃん。周りに生徒か先生いないかな」

 右を見れば誰もいないすかすかの昇降口。左を見れば床が白く輝いてどこまでも続く長い廊下である。

「いない」

「そっかぁ。困ったなぁ」

 弓奈が何者かによって部屋に閉じ込められていることは雪乃の幼い目にも明らかだった。そして自分の小さな手のひらだけでは弓奈を助け出すことが出来ないということも。

「雪乃ちゃん。まあその、私は大丈夫だから、気にしないで」

 この状況で気にしないなど無理な話である。雪乃はバニウオのお腹に顔をうずめて弓奈の温かい笑顔を思い浮かべた。褒められたい・・・役に立って、弓奈にありがとうと言われたい・・・優しい香りの中で雪乃のささやかな勇気が芽を出した。

「弓奈」

「ん、なぁに雪乃ちゃん」

「待ってて」

「え?」

 雪乃は踊り場の日傘を拾い上げ、天井たかく掲げてから歩き出した。




 テニス部は精鋭を集めていた。

 交代なしで三人分を走る会長の胸と足は限界を迎えようとしているが、テニス部員は5メートル以上先を走っており、すぐ後ろには裁縫クラブの生徒が迫っている。しかし、悪いことばかりではない。人は頭をいくら使っても至れなかった世界を、肉体の限界で垣間見ることがある。会長は奇数番目のバトン受け渡し地点を通過したとき、わずかに勝算を感じたのだ。それははるかなる偶然の道のりの向こう側に差したほの白い希望の光だ。会長は走りながらもいつものアルカイックスマイル、最強の含み笑いを口元に取り戻した。

「会長様ぁ!」

 あかりは細い腕を目一杯伸ばしてバトンを受け取った。すでに舞はバトンを受け取って走り出していたが、せいぜいシャチ一頭分の距離である。大好きな先輩のために憧れの生徒会の助っ人としてレースに参加し、一人分の距離を走るだけのあかりに、諦める理由などどこにもなかった。あかりは舞の髪を追って走る。地面の砂のざらざらした感触と、応援席から雨のように降り注ぐ歓声を噛み締めながら、あかりは走った。

(弓奈お姉様のために! 生徒会のために! 私がんばる!)

 舞の背中がぐいぐい近づいてきた。舞の足が遅い訳では決してないのだが、変に気負った選手や泥舟で自分の策の海に漕ぎ出す策士を、無心の親戚である無邪気さに身を任せ、純な攻めに徹した初心者が制することは概してよくあることである。コーナーを抜ける頃、舞とあかりの肩はほとんど並んでいた。

「あかりさーん!」

 生徒会の応援旗を降りまくっていた紫乃は、旗をおいてトラックに立った。足が震える。指先が凍っている。地が響くほどの歓声を引き連れて舞とあかりが横に並んだままどんどん近づいてくる。紫乃は弓奈の名前を何度も何度も胸の中でつぶやいて、おしつぶされそうな自分の小さな胸を内側から懸命に支えた。




「し、紫乃ちゃん・・・!」

 弓奈は用具置き場の奥にある遮光カーテンの裏に小さな窓を見つけた。視力がたまげるほど良い弓奈には、アンカーのたすきをかけてあかりのバトンを待つ紫乃の姿が見えた。

 紫乃はたしかに頼りになる。いつだって冷静で、かっこよくて、浮かれたことに興味がない、自分の目指す理想の女子高校生に違いない。けれど、弓奈は紫乃の真実のいくつかにすでに気がついている。彼女は本当は冷たいばかりのお嬢様ではなく、優しくて繊細な女の子なのだ。弓奈は窓枠にしがみついて紫乃の名前を何度も何度もつぶやいた。

「誰かいるんですかー」

 突然ドアの向こうに3、4人の女子生徒たちの声を聴いた。

「い、います! 出られないんです助けて!」

「きゃあホントに弓奈様の声だ。さっきはサインありがとうございました!」

「日傘の女の子に呼ばれて来ました。いま机どかしますね!」

 救助隊の到着である。あの雪乃ちゃんが知らない人に声をかけて事情を説明し協力を求めたのだから、さぞかし緊張したことだろうと、弓奈は目頭がきゅっと熱くなった。




 紫乃の横を駆けながら、舞の友達の心は大きく揺れていた。

 自分の足ならば隣りを走る紫乃を今すぐにでも抜いて一気に距離を離すことなど容易かった。だが、どうしてもそれができない。勝てば舞が喜んでくれることは分かっている。少し前までの彼女ならば、そのためにどんな協力も惜しまなかっただろう。しかし、生徒会員たちの絆の強さを垣間見ることができる幾度かの機会を経て、彼女の心は花がほころぶように穏やかに色を移した。この勝負は、がむしゃらに腕を振って懸命に地面を蹴る紫乃が勝たなければならないと彼女は思ったのだ。すべては舞のためを思ってのことである。舞に嫌われるに違いないという予感が、彼女の胸の中で雨のように涙の粒を降らし、彼女の心を冷たく打ちつけた。

「うにゃ!」

 紫乃が転んだ。足元に転がった生徒会のバトンを舞の友達は飛び越えた。

「よっしゃあ!」

 勝利を確信した舞は腕を上げて歓喜した。しかし、舞の友達はここで一気に減速しトラックにしゃがみ込んでしまったのだった。

「な、なんで!?」

 その声が聞こえたかのように舞の友達は「舞、ごめんね・・・」とつぶやいた。

 紫乃は擦りむいたひざを立ててすぐに立ち上がるとバトンを拾い上げ、懸命に走り続けた。そしてゴールテープの向こう側に、息を切らして立つあの人の姿を見たのだ。

「弓奈さん!」

「紫乃ちゃん!」

 人であふれた大歓声の花道の中にありながら、紫乃には弓奈の姿しか見えず、弓奈の叫び声しか耳に届かなかった。


「ただいまのレース、一着は逆転で生徒会です! 一着は生徒会です!」


 飛び跳ねて喜ぶ弓奈たちを、雪乃は足をぶらぶらさせつつ昇降口のベンチから眺めていた。弓奈がこちらに気がついて「ありがとう!」と口を動かしながら手を大きく振ってくれたので、雪乃は日傘を差したままかざぐるまのようにくるくる回してお返事した。彼女の日傘は空の輝きを映して、さながら雨上がりに咲いた紫陽花のようにきらめいていた。

 

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