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56、Quintet

 

「ええ! ずっと学年順位一番なんですか!」

「しー!」

 おそらく偶然でない偶然により廊下でばったり出会った弓奈とあかりは、二人並んで生徒会室へ向かっていた。いつだって頼りになる紫乃ちゃんは用事があるらしく遅れて生徒会室へ来ることになっている。

「私はてっきり勉強は紫乃先輩のほうが出来るものだと思ってました」

「ホントはそうなの! でも、なんでかわかんないけど私が偶然一位をとり続けてて・・・」

 嫌味に聞こえなくもないが実際その通りなのだから仕方が無い。どれだけ手を抜いてもトップを獲り続けてしまうのは、本学園のどこかに御座す勉強の女神様が弓奈にほの字であることの証明である。

「じゃあ紫乃先輩はお姉様が一位だってことに気づいてないんですか」

「うん・・・これも色々偶然が重なって。紫乃ちゃんの立場もあるからなかなか言い出せなくて」

「お姉様も大変なんですね」

「いや・・・そんなことないけど」

 大変自然な流れであかりちゃんは生徒会室の前までついて来たが、彼女は生徒会員ではないのでここでさよならしなくてはならない。

「それじゃあかりちゃん。私はここで」

「あの、実はお姉様と、それから会長様と紫乃先輩に遠足のお土産を買ってきたんです」

 先程から弓奈がずっと彼女に問いたかった疑問が解決した。あかりちゃんが背負っていた自販機よりも巨大な風呂敷包みの正体は横浜で買ってきたお土産だったらしい。

「あ、ええ、ホントに? いやぁ、すっごいうれしい。ありがとう。じゃあとりあえず中に入って」

「ありがとうございます! おじゃましますぅ!」

 貢ぎ物を携えておれば余程の悪人でない限り王宮に入ることが出来る。あかりはかねてよりの計画が上手くいってご機嫌だ。

「失礼します」

 扉を開けると、会長が真面目な顔をしたまま頬に人差し指を当てて首をかしげていた。何か考え事をしていたらしい。

「あら弓奈ちゃん。ごきげんよう」

「紫乃ちゃんは用事があって遅れるそうです。・・・それと今日はお客さんがいまして」

 弓奈に合図されたあかりは元気に部屋に飛び込もうとしたが、背中の風呂敷が入り口に引っかかって止まった。

「お久しぶりです会長様ぁ!」

 小熊会長はまるでここにあかりちゃんが来ることを予見していたかのように落ち着いていた。

「あらぁ、素直でかわいいあかりちゃんじゃない」

「どうして私の名前ご存知なんですかぁ!」

「顔に書いてあるからよ」

 あかりちゃんは自分の顔をぺたぺたと触ったあと改めて会長に挨拶をした。会長は微笑みながら食器棚からティーカップをなぜか5つ取り出した。




「雪乃」

 紫乃は妹の背中に声をかける。

「私が許可したのはあくまでも生徒会室の見学であって、遊びにきていいとは言ってないです。清廉潔白にして公明正大な生徒会のお仕事を邪魔しちゃダメですよ」

 妹の背中というよりは魚の背中に声をかけている気分である。妹の雪乃はお気に入りのぬいぐるみがあまりに大きいためその持ち運びに苦心していたらしいが、とうとうその解決策を編み出したらしく、今は魚の頭から伸びたウサギそっくりの長い長い耳を自分の首に巻いて結い、リュックサックのように背負っている。

「雪乃。走っちゃダメです。ゆっくり歩いて下さい」

 廊下の制限速度は守らなくてはならない。

「あ、スキップもダメです」




「会長様ってぇ、バストいくつあるんですか」

「2つよ」

「きゃあ冗談もお上手ですぅ!」

 あかりたちの浮いた会話に巻き込まれないように弓奈は一番端の椅子に腰掛けて自分の気配を消し、紅茶に浮かんでいる小さな気泡をふぅふぅと吹いて真ん中に集める作業で時間を潰した。

 不意に扉をノックする音がした。

「失礼します・・・」

 紫乃の声である。弓奈はお忙しそうな会長に代わって「どうぞ」と言ったが、開いたドアの向こう側に立っていた紫乃ちゃんは、かなりサイズが小さかった。

「ゆ、雪乃ちゃん!」

「弓奈」

 雪乃ちゃんは両手を伸ばして弓奈に駆け寄ろうとしたらしいが、背中で斜めになっていた巨大魚がドアに引っかかって止まってしまった。仕方ないので弓奈は席を立ち、バニウオをぱふぱふ叩いてドアの形に合わせて整えてあげた。

「弓奈」

 雪乃ちゃんが腰に抱きついてくるので弓奈は彼女を抱き上げてあげた。弓奈はひとりっ子なので小さな妹がいる紫乃ちゃんがとてもうらやましい。雪乃ちゃんの鼻先が首すじに当たってくすぐったかった。

「遅くなりました。すみません。学長室へ行ったら妹がどうしてもここへ来てみたいというので、迷惑を承知で連れて来てしまいました・・・」

 小熊会長は「あらぁ、大歓迎だわ」と言って二人のためにお茶を淹れた。雪乃ちゃんにはココアだ。

 鈴原姉妹の入室に目を丸くしていたのはあかりである。そもそも彼女は紫乃に妹がいることも、ましてその子が学園内に生活していることも知らなかったので呆気にとられていたのだ。

「か・・・かわいい!!!」

 弓奈の腕の中の雪乃ちゃんがビクっとした。雪ん子のようにほどけやすく繊細な雪乃ちゃんが、目を輝かせて駆け寄り飛び跳ねる少女にびびらないわけがない。

「すっごーい紫乃先輩にそっくりですぅ! 目の数とか鼻が真ん中についてるところなんか特に! かぁわいい!」

 雪乃ちゃんが怯えている。

「あ、あかりちゃん。いつもみたいにもっとこう、おしとやかに、ね」

「え? 私いつもこんな感じですよ」

 雪乃ちゃんがガタガタ震えている。

「いや、いつもほら、もっと穏やかでしょ。いつもみたいに白秋が書いた童謡詩の朗読とかしよう!」

「誰ですかぁそれ」

 妹の危機は申し訳ないが弓奈に任せておくべきだと判断した紫乃は、学長室から持って来た巨大な白布を陶製のテーブルに広げた。

「あら鈴原さん。新しいテーブルクロスかしら」

「ちがいます」

 紫乃は会長の私物が収められた画材ボックスから不透明色の布用アクリル絵の具を手当り次第に取り出した。

「我が生徒会の応援旗を作ります。体育祭用です。応援席で広げるんです」

 顔は冷静だがいつになく紫乃が燃えている。

「なにかあったのかしら」

「これを見て下さい。弓奈さん宛てに書かれた品のない挑戦状です。犯行声明です。果たし状です」

 会長は紫乃から手渡された茶封筒の中から便箋を取り出して広げた。



『倉木弓菜、ならびに生徒会の皆さんへ。去年に引き続きあんたたちは対抗リレーでうちらをちぎって勝つつもり満々なんでしょうけど、今年はそうはいかないから。そもそも去年はうちがちょっと足首を●痛めてて、あと筋肉痛でおまけに寝不足で、とにかくコンディションが悪くて負けただけだから。それに今回は秘策もあるし。覚悟しててね。by安斎舞』



「どう思いますか会長」

「面白い子だわぁ」

 ティーカップ片手に微笑んではいるが、小熊会長は昨年体育祭のお弁当に彼女の唯一の弱点であるカラシを盛られてダウンしているので、実は今彼女の胸の中で巨大な憎しみの影が鎌首をもたげていたとしても不思議ではない。

「まずここです。おそらく痛めるという字を間違えたのでしょうけど、間違えたのなら修正テープを使うか全部書き直すか、もしくは二重線を引いて訂正印を押すくらいするのが最低限の礼儀です」

「そうかも知れないわね」

「それに一番許せないのは! 弓奈さんの名前を間違えている点です!」

 紫乃は思わずテーブルをバンと叩いた。雪乃ちゃんをめぐり笑顔で戦っていた弓奈とあかりもこれには振り返らざるを得なかった。

「紫乃ちゃん。まあそんなに熱くならなくて大丈夫だよ。だって対抗リレーはくじで相手が決まるんだし、なんなら今年は生徒会出場しなくてもいいんだしさ」

 弓奈はとにかく目立つのがいやだ。

「出場します。それから体育祭実行委員に話をつけてテニス部と競争させてもらいます。ここまでばかにされていては生徒会としても引き下がれません」

 紫乃はプライドが高い。

 かくして生徒会メンバーたちは闘魂の象徴である応援旗の製作に取りかかった。



「会長はどの色にしますか」

 手形をつけることにした。旗の中央には紫乃による達筆で「必勝、小熊生徒会」とかっこよく書き記されたので、その周囲に3つほどつける手形そのものに迫力がなくとも応援旗としての体裁はつくだろう。

「私は黄色にするわ」

 会長は紙パレットに気前よくたっぷりと絵の具を出して自分の右手を押し付けると、旗の中央下部に上品な手形をつけた。

「弓奈さんはどの色にしますか」

「弓奈お姉様は桃色がいいと思います!」

 紫乃はじっとりした冷たい視線をあかりに送る。

「これは弓奈さんが決めることです。外野はお口を謹んでください」

 弓奈は苦笑いした。そして白ウサギのように温かい雪乃ちゃんを腕の中に抱きながら弓奈は考えた。

「えーと・・・せっかくだからあかりちゃんたちも一緒に手形つける?」

 弓奈はこういう女である。

「いいんですか!」

「い、いいよね紫乃ちゃん」

 本来であればこんな騒々しい後輩と懇ろな関係になるのはお断りだが、弓奈の慈悲深い計らいを反故にできるほど紫乃は非情になりきれていない。

「代わりに体育祭当日にいくつか仕事を引き受けると約束するなら・・・いいです」

「わあ! ありがとうございます! 紫乃先輩って、みかけより優しいんですね」

「一言余計です」

 あかりは時折紫乃に対して毒を吐くが、本人はわざと言っているわけではないらしい。

 会長は黄色、あかりちゃんはオレンジ、雪乃ちゃんは水色で、サイズも勢いもまちまちな手形が旗に押された。自分の順番がきた弓奈はパレットに桃色の絵の具を出して手をつける。ちょっぴり冷たくてべちょっとしたアクリル絵の具はすぐに弓奈の手のひらの温度になじんだ。

「よいしょ」

 少々絵の具を付け過ぎたらしく、ピンク色は手のサイズを越えてうにゅっとはみ出した。

「ちょっと変になっちゃったかな」

「大丈夫です。しっかり乾かしますので」

 紫乃は紫色を探していたが、布用アクリル絵の具の紫色は切らしていた。赤と青を混ぜて作る手もあるが自分ひとりが贅沢をするようで気が引ける、などと紫乃が悩んでいると、弓奈が優しく声をかけてきた。

「紫乃ちゃんもピンクにする?」

「え」

 弓奈は紫乃に右手を差し出した。彼女の手にはまだたっぷり絵の具が残っているのだ。

「じゃあ・・・そうします」

 紫乃は弓奈の手にそっと自分の左手を合わせた。しかしその瞬間、紫乃の体じゅうにトキメキが走った。絵の具でなめらかになった弓奈の温かくてしなやかな手のひら。手も満足につないだことがない憧れの少女と、手首から指の一本一本まで念入りに絡ませ合うのだから、紫乃の理性がどんどん溶けていってしまっても不思議ではない。さすがの紫乃も「クンッ・・・」と小さく声をもらしてうつむいた。

 珍しいことにこの時は弓奈もドキドキしていた。女同士で照れくさいことをしたり、お互いを意識してしまうような状況におかれたりした場合、「ちょっとやぁだ」などと言ってはぐらかしその場の空気を乾かすことも可能なのだが、相手はあの硬派な紫乃ちゃんであるし、自分から提案したお手々合わせだから後にも引けない。弓奈は緊張しながら紫乃の手のひらをゆっくりゆっくり撫でる。するとなぜか紫乃ちゃんが鼻声で鳴いてうつむいたので弓奈は手をとめた。

「ご、ごめんね・・・いやらしかった?」

 紫乃は首を横に振った。弓奈はこれが恋心とは全く無縁の「照れ」であると自覚していたが、それでも胸のドキドキは収まらない。二人は黙ったまましばらくお互いの手のひらを絡ませ合った。

「どうしてお二人ともお顔赤くしてるんですか」

 二人は飛び上がった。自分たちの周囲にはあかりたちがいることをすっかり忘れていたのだ。

「そ、そんなことないよ」

「そうです、気のせいです」

 弓奈と一緒に適当な言い訳をしながら、紫乃は応援旗の左端にぺたぺたと手形を付けた。慌てていたので3つも付けてしまった。

「そもそも! あかりさんは何でここにいるんですか」

 紫乃は邪魔をされたくやしさと恥ずかしさをあかりにぶつけた。

「そうでしたー! すっかり忘れてました。横浜でちょっと変わったお土産を買ってきたんです。珍しいですよぉ。あ、みなさんの分あります。たくさん買ってきましたから!」

 何を察したか小熊会長は食器棚に置いてあったピンク色の珍獣クロフネのぬいぐるみをテーブルの下に隠した。このぬいぐるみは去年弓奈たちが横浜へ遠足に行ったときに買って来た会長へのお土産である。

「じゃーん! 珍獣クロフネのぬいぐるみ、とっても珍しい桃色バージョンを買い占めてきましたぁ!」

 弓奈と紫乃は会長に目を遣ったが、会長はいつもの優雅な笑みを以てあかりに感謝の意を表した。

「まあ、嬉しいわ。こんな素敵なぬいぐるみ見た事ないもの。ねぇ弓奈ちゃん」

「え!」

 風呂敷の中からあふれ出した桃色の海を眺めながら、会長の機転の効き具合に弓奈はあきれたり感動したりで忙しかった。

「・・・すっごーい。ホントに珍しいネ! アリガトウあかりちゃん」

 弓奈は嘘を吐くのが下手である。

「ほーら、雪乃ちゃーん。キミの分もあるよぉー」

 あかりが雪乃ちゃんを釣ろうとしている。今日の雪乃は魚のぬいぐるみと一体化しているため釣りには弱いらしく、おそるおそるあかりに近づいて手を伸ばし、クロフネを受け取って弓奈の後ろに隠れた。

「雪乃。お礼は言わなきゃだめです」

「ありがと」

「キャー! どういたしましてッ」

 雪乃は自分の背中とバニウオのあいだにクロフネを挟むと、弓奈の腰にしがみついたまま小さく二度飛び跳ねた。

 こうして弓奈たち5人の長い放課後が終わった。



 だが、夕食までにもう少しばかり弓奈には面倒事が起きる。

「それじゃあ小熊会長、私たちは寮に帰ります」

 雪乃ちゃんをおんぶして、左腕をあかりちゃんにしがみつかれ、首からぬいぐるみの風呂敷を下げた弓奈はそう言って紫乃と共に生徒会室から去ろうとした。

「申し訳ないんだけど、弓奈ちゃんは残ってくれるかしら」

「え!」

「ちょっと用事があるのよ。お願い」

 そう会長に言われて弓奈は、今日この部屋に入った時の会長の様子を思い出した。もしかしたら大事な話でもあるのかもしれない。弓奈は雪乃ちゃんを降ろしてのほっぺを両手でむにっとしながらお別れを言って、ついでにあかりちゃんのほっぺも優しくむにっとしておいた。

「紫乃ちゃん、あとはお願いね」

「あ・・・はい」

 紫乃は自分の頬を自分でむにっとしてから二人を連れて去っていった。

 

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