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53、イヤな思い出

 

「お昼の片付けはお母さんだからね」

 弓奈は椅子に腰掛ける母の背中に甘えるようにちょっと寄りかかってから重ねた食器を流しへ運んだ。倉木家の花屋はなぜか昼間が一番ヒマなのでティータイムを含め3時間ほどぼーっとしていても営業に支障はない。だが春休みに実家に帰れなかった代わりにゴールデンウィークを利用してここへ帰って来たので、わずか3日間だけではあるが弓奈は全力でお店をお手伝いするつもりである。

「やるぞぉ」

 常連さんがくるまでは時間があるので温室脇の小屋に籠ってカーネーションのブーケを作ることにした。これは売り物なので仕上がりに高い完成度を要求されるが、毎年のように作ってきた母の日のブーケだからきっと大丈夫だろう。弓奈のフラワーアレンジメント力はもはやプロ級だ。

 ブーケリボンの在庫を運び入れるために弓奈は東の倉庫へいった。棚から箱を引っ張り出そうとすると、大きな銀の缶ケースが滑って床に落ちカシャーンと音を立てた。

「わあ・・・」

 実に懐かしい缶ケースだった。それは弓奈が小学生の頃に集めていた様々な宝物の収まった箱なのだ。紙粘土で作った写真立て、大きなプラスチック宝石の付いた指輪、小さなカエルのガーデンオーナメント。そして一番奥に収まっていたのはへアゴムでまとめられた大量のアイスの棒だった。




 それはまだ弓奈が世の女性たちの多彩なアプローチに無邪気に対応していた頃の話である。




 小学生の頃の弓奈はタンクトップにはまっていた。自転車に乗って信号待ちをしている同級生の女の子のタンクトップの隙間から完全におっぱいが見えたあの夏の日までは、弓奈はよくこれを着ていたのだ。

「すごーい。似合ってるよ♪」

 沢見さんはよく弓奈をひざの上に乗せて肩や腕を撫でた。沢見さんは近所に住む高校生のおねえさんだったが一緒に服を買いに行ったりする仲なので弓奈は彼女のことをみぃみぃと呼んで慕っていた。

「みぃみぃも食べる?」

 沢見さんがお金を出してくれたので自分ひとりで食べるわけにいかないと思った弓奈は苺ミルクのアイスキャンディーを彼女の口元へ持って行った。

「あ、私はいらない。楽しみはね、あとでとっておくの」

「楽しみ?」

「ねえ弓奈ちゃん」

 沢見さんは弓奈の柔らかい髪に顔をうずめるようにして囁いた。

「今日もウチ寄ってくでしょ」

 弓奈はよく沢見さんの家へ遊びに行く。買い物に行って、アイスを食べて、そして彼女の家へ行くという流れだ。

「行っていいの?」

「いいよー♪ 来て来てぇ」

「じゃあ、行く!」

「ほんとう? 嬉しいー」

 沢見さんは弓奈を後ろからぎゅうっと抱きしめた。沢見さんは弓奈としゃべる時だけ声が高い。


 彼女の家は弓奈の家から歩いて2、3分の距離に位置している。山桜の坂道を上って突き当たりを左折し、しばらく直進したら見えてくる美容室の向かい側に沢見さんの家があるのだ。

「おじゃましまあす」

「どうぞー」

 弓奈は土日の午後に沢見さんのお母さんに会ったことがない。なんでも近所のスーパーでパートのお仕事をしに行っているらしい。

「じゃーあ、ちょっと待っててね」

「うん」

 理由は今でも分からないが、沢見さんは弓奈を自分の部屋に連れてくるといつも一度いなくなった。そして5分くらいしてから戻ってきて部屋に鍵をかけカーテンを閉め、ふかふかのベッドの真ん中にペタンと座り込むのだった。

 弓奈は沢見さんが部屋を暗くしてくれる時いつも胸がわくわくした。学芸会のステージ裏にいるような気分になるのだ。これからとても素敵なことが始まる・・・当時の弓奈はそれがどんな意味を持つのか全く理解しておらず、とても親しくなった者同士がする特別な遊び、もしくは二人だけが知っている秘密の喜びというような認識だった。

 弓奈はデニムのスカートだけ脱ぐと沢見さんのベッドに潜り込んだ。沢見さんは掛け布団の上から弓奈をばふっと抱きしめると、温かい頬をすり寄せて耳元で囁いた。

「今日もいっぱいなでなでしようね」

 弓奈は返事の代わりに沢見さんの耳をはむっとくわえた。

 当時弓奈は沢見さんの肌に夢中だった。この前年の夏休みに仲良くしてもらったおばあちゃん家のお隣のおねえさんは、どちらかといえば一方的に弓奈の体を触りまくるタイプの女性だったのだが、沢見さんは弓奈の心ゆくまで体をなでなで、あるいはイチャイチャさせてくれる女性だった。

「みぃみぃー♪」

 沢見さんは高校時代の弓奈に匹敵するほどスタイルがよく、胸も豊かだったため、弓奈は彼女にただ抱きついているだけでもとても心地よく、幸せだった。しかし服の上からではその魅力が最大限引き出されていないのも事実である。どうせ部屋は真っ暗だし二人は布団の中なので弓奈ははしゃぎながら沢見さんと服を一枚ずつ一枚ずつ脱がし合った。

 沢見さんの肌はとてもいい匂いで温かくマシュマロみたいにすべすべで、そこに顔をうずめれば溺れてしまうのではないかと思うほどに胸は柔らかだった。弓奈は大はしゃぎしながら自分の腕や胸、おなか、もも、背中、ほっぺなど全身を使って沢見さんとなでなですりすりし合った。当時の弓奈は体も小さいので当然胸は無いのだが、沢見さんは弓奈とは違った感じの心地よさを相手に求めていたらしいのでここにギブ&テイクの関係が成立していたようである。

「みぃみぃあつい?」

 沢見さんの腕に抱かれながら、自分の腕を彼女の背中に回したときそこがしっとりと汗ばんでいたらいよいよ弓奈のお口の出番である。なぜか沢見さんは弓奈と違ってすりすりし合っていると体温が上昇するタイプなので、肌が汗ばんで熱くなった時はなでなでよりもちゅっちゅのほうがやりやすいし喜ばれることを弓奈は知っていたのだ。弓奈は小さくて柔らかい唇を沢見さんの全身に押し当ててまわった。腕に、胸に、お腹に、内ももに、背中に、そして首すじに。沢見さんはいつも鼻にかかったような不思議な声で喜んでくれた。弓奈はそれが楽しくて沢見さんに抱きつきながらくすくす笑った。

「弓奈ちゃん」

「なぁに」

「チュウしよ」

 必ずこの遊びの最後に沢見さんはそう言った。弓奈は既に昨年の夏にあの凄いおねえさんに唇を奪われているので、抵抗がないどころかこれが非常に楽しみだった。

 沢見さんのキスはとても短かいものだった。なぜならゆっくり近づけた唇が、お互いの潤いと感触を温かく共有したその瞬間に沢見さんは体をビクっとさせ、腕はぎゅうっと弓奈を抱きしめたままなのに、唇を離してしまうからだ。弓奈はその様子が可笑しくてキスの後も沢見さんの腕の中で子猫のように体をくねくねさせながらキャッキャと笑った。

「弓奈ちゃん」

「なぁに」

「弓奈ちゃんの唇ってさ」

 夢の中から話しかけられているような不思議な脱力感が沢見さんの瞳の中に風がそよ吹くようにやさしく流れていた。

「魔法の唇だね♪」




 弓奈はアイスの棒をへし折ってやろうと思ったが、あまりに大量だったため諦めた。

「あーあ・・・」

 弓奈は長い脚を抱え込むように倉庫の床に座り込んでため息をついた。彼女の名誉のために補足すると、これは決して弓奈が女性好きであることを示すエピソードでは決してない。誰しも外界からの容赦ない影響力に無邪気な好奇心を以てのみ挑むことを許された時代を持っていることだろう。偶然それが口外することによって彼女にとって堪え難い誤解を招くおそれのある物語の舞台になってしまったというだけの話である。

 弓奈は倉庫の窓から降りる午後の日差しを見つめた。沢見さんは今都内で働いている。時折変な荷物をお手紙付きで学園へ送ってきてくれるので彼女が元気であることは分かっているが、長いこと顔を見ていない。もう昔の自分とは違うんです、私は普通の女子高生なんですと、そう一言ガツンと言ってやりたいところだが、実際久しぶりに会ったとしてそんなことを言える自信がない。

 弓奈は指先でそっと自分の唇に触れた。

「ごめんくださいませ」

 弓奈はびっくりして棚に頭をぶつけ、ラフィアの束を床にぶちまけてしまった。

「は、はーい!」

 お店番をしているはずの母が応答しなかったということは彼女が部屋でお昼寝をしている証拠である。弓奈は慌てて体についたほこりを払うとスリッパを履き替えてからお店に出た。

「いつもの頂けますか」

 お店の常連さんだった。弓奈は不必要に高鳴ってしまっていた胸の鼓動を笑顔でごまかしながら花束を拵えた。

「ありがとうございました!」

 お客様の背を見送る先に山桜が咲いて高台へ連なっている。弓奈は空のまばゆい青に目を細めて深く息をついてからクスっと笑った。

「早く学園に帰ろっと」

 

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