51、会食
紫乃はフォークでミニトマトをぶっ刺した。
「お姉様ぁ、私感激ですぅ! まさかディナーをご一緒させて頂けるなんて!」
「・・・紫乃ちゃんごめんね。さっきそこでばったり会っちゃって。今日は3人で食べてもいいかな」
紫乃は津久田あかりとかいう一年生がどうしても気に入らない。入学して一週間も経たないうちに弓奈とこれほど仲良くなっているなんて、厚かましいにも程がある。様々な意味で紫乃は先輩なのだから、自分と弓奈さんとの関係に土足で踏み込み花を摘んで回るようなことは節操のない態度は断じて許せない。
「・・・どうぞ」
許せはしないが、こういった場面でいちいち断っていたら弓奈さんに迷惑がかかると思った紫乃はしぶしぶそう言った。
「この学園って、お箸がないんですねぇ」
「当たり前です。和食がでないのですから」
「そういえばメニューに和食って全くないですよね!」
「以前一年生寮のフォカッチャ・ドルチェで一口焼きそばパンというものが発売されましたが、あれは和食ではないのかという声が多数上がり発売が中止されたほどです。つまり本学園の校風を乱し得るものはいかに些細なものであろうと排除されます」
「すごーい! 紫乃先輩は物知りなんですねぇ!」
「落ち着きの無い態度もその例外ではないです。気をつけて下さい」
「わかりました!」
素直にお返事など幼稚園児でもできる。紫乃は冷たい表情を崩さないままフォークに刺さったトマトを口に入れた。
「お姉様、学舎の向こうに見えるビッグ・ベンみたいな建物はなんですか」
「時計塔のことかな」
よくしゃべる女である。食べ物に感謝しながら食事をしていない証拠だ。そもそもなぜ彼女は弓奈さんのことを「お姉様」などと呼んでいるのか。紫乃は眉間にしわを寄せたままフォークをスパゲッティに突き立て、必要以上にくるくるくるくる回した。
「時計塔のそばの大きな囲いは何ですか。工事中みたいですけど」
「あーそれは・・・何だったかな」
「それは改装中の大浴場です。秋に工事は終わります」
寮生は自室のお風呂に入れるので不自由をしていないが、そもそもこの学園には大きな共同浴場がある。全国から女性の職人を集め、少しずつ交代で作業をしているため長い期間を要しているが、その代わりそれなりに良い施設が完成するらしい。
「お風呂って日本のものじゃないんですか?」
「あかりさん。おしゃべりは結構ですが、それは紀元前のヨーロッパ史をよーくお勉強なさってからのほうが良いのでは」
紫乃は背筋を伸ばしたままちょっと嫌味を言ってみた。すると弓奈の隣りに腰掛けていたあかりがじっと紫乃の目を見て動かなくなった。
「な、なんですか」
「紫乃先輩・・・かっこいいですねぇ」
紫乃は危うくフォークをスパゲッティの上に落とすところだった。
「噂通りです。とってもクールで、背は弓奈お姉様のほうが高いですけど、なんていうかすごく、かっこいいです!」
紫乃は動揺してしまってどこに目を遣っていいか困った。
「うん。ホントにそうだよあかりちゃん。紫乃ちゃんは頼りになるかっこいい先輩。それにね、あんまり周りの人は気づいてないけど本当はとっても優しくて・・・」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
弓奈の補足説明を静止する紫乃の声が大きかったため、周囲の生徒たちが驚いて振り返った。紫乃は冷たい水を口に含み、恥ずかしさで上気した顔を必死に冷ますと、スパゲッティをくるくるしながら小声で言った。
「ディナーは静かに頂くのが基本です・・・」
「えへ。その通りだね」
「気をつけます。先輩」
あかりは自分のライバルなのか、それとも味方なのか、紫乃にはそれがだんだん分からなくなってきた。紫乃にとって最大の喜びは愛する弓奈さんに褒められることだが、これをいとも簡単に実現させてしまうなんてただ者ではない。紫乃はレタスをつつきながら悩んだ。
(でも、一回くらい私に幸せを運んだくらいで認められるなんて思ったら・・・大間違いです)
紫乃はレタスを食べた。
「そういえば、この学園にプールはないんですか」
「えーと・・・どうだったかなぁ」
「第一体育館の3階はプールです。ですが水泳部しか使用してないです。サンキストに水泳の授業はありませんから」
それを聴いたあかりはオレンジジュースのストローをちゅーっと吸ってから心底残念そうに言った。
「水泳ないんですかぁ・・・残念ですぅ」
「授業に水泳がない理由は、大勢でプールへ行くと床が抜けて体育館が水浸しになるからです」
「ホントですか!」
「今のは冗談です」
本当っぽい冗談もクールに織り交ぜてしゃべるこの感じ・・・紫乃は完全に自分のペースを取り戻したかに思えた。その時である。
「じゃあ私とお姉様方で隣り街のプールか、海へ行きませんか」
「え?」
「え?」
紫乃と弓奈は同じ顔をしてあかりを見た。
「夏休みなら揃って行けそうじゃないですかぁ。会長さんもお呼びしましょう!」
「いや、んー、小熊会長はともかく、私たちは水着ではしゃぐとか、そういう派手で露出の多いレジャーには興味がないというか・・・ねぇ紫乃ちゃん」
紫乃は弓奈に同意を求められたが、このとき彼女の脳内では東西に分かれた激しい戦争が始まっており、すぐに返事が出来るような状態ではなかった。
(津久田あかりさん・・・なんてできる子・・・)
東軍はいつもの紫乃である。常に弓奈の味方でいる保守的で堅実なる少女である。対する西軍は攻めの陣営。あかりに味方し、弓奈さんを巻き込んでどこかへ遊びに行く道を選ぶ革新派だ。紫乃は抗い難い欲求によって自分の足が西へ向いて歩き出すのを感じた。このチャンスを逃せば一生弓奈さんの水着姿を拝むことはできないだろうからだ。西軍の勝利である。
「・・・まあ、自治と自由を第一とする本学園の生徒会の団結は言うまでもなく重要ですから、そういった課外活動で息抜きをし、判断力や創造力に客観性を取り戻すのもいいかもしれませんね。それが後輩からの誘いであればなおさらです。学年を越えた交流は大事ですから・・・」
弓奈は紫乃を信頼しているので、紫乃に賛成されればそれを断る気にはならない。
「じゃあ、夏とかにね・・・」
弓奈が苦笑いしながらそう言った。
「やったー! 私すごく楽しみですお姉様ぁ」
紫乃は心の中であかりに拍手を送った。とても弓奈さんと二人きりではそんな遊びの約束などできないからだ。
「お姉様、紫乃先輩、今日はありがとうございました! すごく楽しかったです」
「私たちも楽しかったよ。気をつけて寮に帰ってね」
「・・・また機会があれば一緒に晩ご飯を食べてあげないこともないです」
あかりと別れた後、弓奈と紫乃は星影の桜並木道を歩いて寮に向かって歩いていた。
「ねえ紫乃ちゃん」
「なんですか」
「今日はありがとう」
「え」
弓奈の横顔に夜桜が降っている。
「あかりちゃんみたいにすごく元気でおしゃべりな子って、私どうしていいかわかんないの。紫乃ちゃんも私と同じだと思うけど。でもあの子、今日すごく喜んでたみたい。だから、ありがと」
「私は別に何も・・・」
「私一人じゃ何しゃべっていいか分からないもん。悪い子じゃないってわかってるから、なんだか期待も裏切りたくなかったし。だから今日は助かっちゃった」
紫乃はちょっぴりうしろめたい恥ずかしさで頬を染めてうつむいた。しかし悪い気分ではなかった。
降りしきる薄紅色の中で、二人はお互いの足元を確かめ合うようにゆっくりゆっくり歩いた。紫乃は弓奈が思っている程弓奈と同じことを考えてはいないし、主に恋愛に関する物事を全く違うように感じているが、わざと遠回りをして、何も言わずに肩を並べて見上げた桜は、きっと二人の瞳の中で同じ色で輝いていたに違いない。




