50、恋愛上手
あかりは弓奈の大ファンだ。
サンキスト女学園に存在する非正規クラブ「倉木弓奈ファンのための会」にあかりは入学前からこっそり入会していたが、会員との直接のやりとりは様々な事情から控えるよう通達されており、月に2、3回送られてくる会報からの情報だけが頼りだった。しかしその会報が大変優秀で、弓奈の毎日を追跡した詳細な記事のみならず写真も豊富なので、弓奈ファンが寝る前に布団にもぐってページをめくるのに相応しい最高のアイテムといえる。
会報によれば弓奈が一番信頼を置いていると思われる人物は鈴原紫乃という名前の同級生だ。この人物を知ることが恋の成就に不可欠と判断したあかりは紫乃先輩が出没すると噂の第三図書室へやってきた。あかりは本棚の陰から顔を出し双眼鏡を覗く。前髪の揃ったお姫さまカット、冷ややかな瞳、そしてなんとなく漂う紫色のオーラ・・・。窓際の長机で背筋を伸ばしながら本を読んでいる彼女がおそらく紫乃先輩だ。
(あの人、学園祭のとき喫茶店の前に座ってた人だ・・・)
あかりはほふく前進で別の本棚の陰へ移動してからさらに先輩を観察した。
「むむむ」
じいっと紫乃先輩の表情を観察して、あかりは驚くべき事実に気がついた。小さな手のひらで隠そうとしているが、紫乃先輩は目をうるませ、涙を流しているらしいのだ。クールと噂される彼女にいったい何があったのか、それを探るためにあかりはさらに身を乗り出して先輩が読んでいる本のタイトルに目をこらした。
(あ! あれは!)
月刊天井フェチ。それは知る人ぞ知る名作月刊誌である。見た目はただの建築インテリア雑誌だが、毎号フィーチャーされるヨーロッパの大聖堂や歴史ある家屋の美しい天井にまつわるエピソードが大変感動的であるとして、一部の文化的女性たちに大人気なのだ。まあそれがどんなお話なのかは読んだ人しか分からない。
「紫乃先輩は案外涙もろい・・・っと」
あかりがポケットから取り出したメモにそう書き記して図書室をあとにした。
会報によれば弓奈と最もスキンシップをとっているのは生徒会長の小熊アンナさんらしい。あかりは彼女にも学園祭のときに会っており胸をもみもみされているから、訪ねれば今日も気持ちいいいたずらをしてもらえるかも知れない。あかりは化粧室でブラひもをキツめに整えてから小熊先輩がスケッチをすると噂される中庭へ行ってみることにした。
「綺麗だわぁ。じっとしててね」
覗き込んだ双眼鏡の中で小熊会長が絵を描いている。モデルは池のアヒルさんだ。あかりは早いところ顔を出し、自分をモデルにしてちょっとアレな絵を描いてもらえるようお願いしたいと思ったが、芸術活動の邪魔をしては申し訳ないのでもう少しだけここで会長を観察することにした。
「動いちゃダメよぉ」
「グワッ。グワッ」
「止まってねぇ」
「グワッ。グワッ」
「それ以上動かないでねぇ」
「グワッ。グワッ」
「Don't move!!!」
「グ!?」
あかりはびくっと肩をすくめ、アヒルと同じポーズで固まった。小熊会長の芸術へのこだわりは常人のそれを遥かに凌駕しているようである。これはいたずらしてもらうどころではない。
「小熊先輩は聞き分けの無い動物にはふるさとの言語で怒鳴る・・・っと」
あかりは笑顔でメモにそう書き残し、中庭を抜き足差し足で立ち去った。
会報によれば弓奈がもっとも手を焼いている教員は香山先生である。偶然あかりのクラスの体育を彼女が担当するらしいのであかりはワクワクしながら新品の体操着に袖を通し、体育館へ向かった。
「みんなぁ、はじめましてぇ。先生は香山だよぉ」
若くて綺麗な先生が出て来たのであかりはドキドキしながら彼女の第一声を待っていたが、しゃべりだしたらそれが非常にゆっくりで力が抜けきっており、若草のように爽やかな笑顔は素敵だがとても体育教師とは思えないのであかりは可笑しくて必死に笑いを堪えた。しかし、あかりの隣りで体育座りしていた生徒がここで声を出して笑ってしまったのだ。
「あー・・・今笑った?」
「え」
「今・・・今・・・笑った・・・」
「すみませんでした先生」
「うう・・・うわーん!」
「先生!」
「うわーーん!!!」
このあと先生が泣き止むまでおよそ30分、生徒たちは協力して先生をなぐさめていたので全く授業にならなかった。
「香山先生に手を焼いているのは弓奈お姉様のみにあらず・・・っと」
あかりはにこにこしながらそうメモ帳に記録して、なぜかそこに設置されていた体育館用の鉄棒で3回ほど逆上がりをした。
あかりは自分のメモが充実していくことに大きな喜びを感じていた。
「面白い学校だなぁ」
つぶやきながら手帳を眺め、あかりは学舎の廊下を歩く。
「弓奈お姉様とお姉様の周辺の情報をどんどん集めよう! それから生徒会の人たちのそばで自主的にお掃除とかしてれば、いつか気に入られて、きっと私も生徒会員に!」
偶然だがそこへ弓奈がやってきた。弓奈はすぐにあかりちゃんに気がついて苦笑いをしながら手を振ったが、あかりはそれにまったく気づかない。
「あ、あかりちゃん。こんにちはー・・・」
「そしていつか私は弓奈お姉様と・・・あぁん! 私ったら恋愛上手!」
「あかりちゃーん・・・」
「今日は管理棟の廊下をお掃除しよーっと♪」
「あかりちゃん・・・」
「今日もお姉様にお会いできるといいなぁ」
あかりは弓奈の存在に気づかないまま教室へ行ってしまった。あかりは行動力がある少女だがどうやら恋愛運はなさそうである。




