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49、あかりちゃん

 

「あら」

 小熊会長はこの世のあらゆる物事の変化に聡いので、管理棟の階段がいつもより格段に美しく清掃されていることに誰よりも早く気がついた。

「おかしいわ。ここの清掃は私たち生徒会が引受けているのに」

 会長室、すなわち生徒会室に会長がたどり着くと、そこには既に弓奈と紫乃が集まっていた。美味しそうな弓奈ちゃんは人間離れした美貌を持ってはいるが中身は普通の女子高生なので、彼女が思いつきで階段の清掃をするような、そんな非合理なことが起こるとは考えにくい。ならば学園切っての優等生鈴原さんはどうか。彼女なら弓奈ちゃんの前で良い格好をしたいが為に何の脈絡もないボランティアに走ることはあるかもしれない。だが今の鈴原さんの手のひらを見る限りここ30分のあいだに水に触れた形跡がない。鈴原紫乃ともあろう少女が掃除をしておいて手を洗わないわけがないし、授業が終わったのはおよそ20分前だから放課後に彼女が階段を清掃した可能性はほぼ0になった。そして昼休みに会長がこの部屋へ来たとき、階段いつも通りの状態だった。

「面白いことになってきたわぁ」

「何かいいました? 小熊会長」

「いいえ。今紅茶を淹れてあげるわね」

 密封瓶から放たれた矢車菊入りの甘いアールグレイの香りを確かめてから、この学園をよりファンタスティックでエキサイティングでエロティックなものにすべく、会長は無垢なる少女たちに回りくどいアドバイスをすることにした。

「弓奈ちゃぁん」

「は、はい」

「今日6時までこの部屋にいてくれるかしら」

「6時・・・というのは?」

「18時まで。お願いできる?」

 背中で紫乃が立ち上がるのを感じた。

「ならば、私も残ります」

「鈴原さんは私と一緒に来て欲しいの」

「一体なんの用事ですか」

「それはまだ内緒よ」

 ケトルを傾けながら会長は紫乃への適当な用事を考えていた。

「お茶を飲み終えたら、一緒に3年生寮へ来てくれるかしら」

 立ち上る紅茶の香りの中で紫乃はしぶしぶ「わかりました」と答えた。




 弓奈はなぜ自分が生徒会室に残されたのか分からない。やることがないときはこの部屋に保管されている小熊会長の私物を拝見して回るに限る。以前のように弓奈が落書きできるような描きかけのキャンバスはないようだが、マグリットやデルヴォーを彷彿させるようなシュールな絵画が棚に乱立しているので時間を潰せないことはない。弓奈は窓からこぼれる鳥のささやきの中で放課後の穏やかなひとときを紅茶の香りと共に味わっていた。

 ふと、廊下に人の気配を感じた弓奈は扉の小窓から外を覗いてみたが、廊下側に掛けられたルームプレートが邪魔で何も見えない。弓奈は扉を開けた。

 ルージュのじゅうたんと午後のやわらかな日差し。廊下には優しい孤独の時間が流れているだけだった。感じたはずの人の気配は気のせいだったらしい。そう思った弓奈が扉を閉めようと思ったとき、東階段の方向から「カタン」という何かが倒れるような音が聞こえた。弓奈は少々怯えながらも廊下へ踏み出し、階段へ向かって歩き出した。

 第二視聴覚室と資材室を抜けてたどり着いた東階段は美しいステンドグラスで有名で、ゴシック様式の教会の一部がそのまま残され使用されたと噂される管理棟の歴史を偲ばせる幻想的空間だ。

「あ」

 床に落ちたクリップモップを拾い、三脚にのぼる一人の少女がいた。袖の少し余った真新しい制服に身を包みステンドグラスの虹色を頬に受ける彼女の横顔に、弓奈は見覚えがあった。

「あのー」

 そう呼びかけてようやく弓奈の存在に気がついた彼女は、三脚から転げ落ちるように床へ降りると、上り階段の塀の影に身を隠し、顔だけ出してこちらの様子を窺った。以前会ったときよりも髪が伸びているが特徴的なツインテールは健在である。

「あなたもしかして」

「お姉様ぁ!」

 相手を弓奈と見るや、12段の階段と時間を超え彼女は弓奈の胸に飛び込んで来た。実は弓奈は小学生の頃小児ぜんそくを患っていたため激しい運動は控えるよう言われていたのだが、ドッヂボールの内野は好きだった。ボールが自分の胸めがけて飛んで来た一瞬の緊張感とときめきを今、弓奈は全身で感じた。

「あん!」

 彼女は弓奈の存在を確かめるようにぎゅうっと彼女の体にしがみついた。

「えっと、あなたは、学園祭のときに喫茶店に来てくれた子だよね」

「覚えてて下さったんですねぇ! 感激ですぅ!」

 可愛い後輩ができることは人生の大きな喜びだが、いかにも同性好きな彼女のオーラに弓奈は圧倒されてしまった。今は紫乃ちゃんを除く全学園生徒への対策で大忙しなので、申し訳ないがここは自分のことを嫌いになってもらうしかない。どうか今日を機に自分以外の真っ当な人間を好きになってその人と幸せになってネ・・・そう心の中で叫びながら弓奈は、抱きついてきた少女と自分の良心を一緒にして思い切り背負い投げした。

 が、何をやっても女性から好かれる弓奈が自分を慕う少女から嫌われようとなにかを企てたところでうまくいく筈がない。およそ4年振りの背負い投げだったために思いがけず重心が右斜め前方に移ってしまい、弓奈の優れた運動神経をもってしても修正の効かない角度まで体が傾いてしまったのだ。

(倒れる・・・!)

 柔らかいじゅうたんの上だが万が一にも少女が怪我をしないとも限らない。突然技をかけて怪我をさせたのではさすがに申し訳ないので弓奈は少女の後頭部と腰を抱くようにして倒れた。

「あぁん!」

 どうやら二人とも怪我は免れたようだ。しかし、少なくとも弓奈にとってあまり好ましくない状況に陥ってしまった。

「お姉様・・・けっこう大胆なこともされるんですね」

「・・・え?」

 弓奈の体はまるで少女を押し倒したかのように彼女に覆いかぶさっていた。

「ち、ちがうよ! これは!」

 慌てて飛び退こうとしたが少女の体に回った自分の腕がじゅうたんとの隙間にぴったりと挟まっていたため抜けなかった。

「いいですよ・・・お姉様が望むのなら、私・・・」

「いやいやいやいや!」

 少女は頬を桜色に染め、小川のようキラキラと潤ませた目をゆっくりと閉じた。

「はじめてだから・・・やさしくしてくださいね」

「ちがうちがう! 誤解だって! あっ・・・ 抱きつかないで! あっ!」

 少女は津久田あかりちゃんという名前だった。

 

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