47、Birthdays
行列が続いている。
働きアリのように連なり学舎へと伸びる真新しい制服の群れを、紫乃は管理棟の廊下の窓から見下ろしていた。桜の花もほころんでいるがまだ盛りではないし並木は管理棟の裏側にあるので、こぼれるように舞い降りたわずかな花びらが昇降口前の吹きだまりに薄く渦を巻くばかりである。
「鈴原さん」
金髪のねーちゃんが紫乃に寄り添って窓の桟にひじをつき紫乃の真似をしてぼんやりと遠くを眺め始めた。空には子羊のような白雲が一匹気持ち良さそうに泳いでいるだけだ。
「何を考えていらっしゃるのかしら」
春の風が二人の髪を優しく滑っていく。紫乃は目を閉じて小さく息を吸い込んでから一気に答えた。
「あー今年も新しい生徒たちが入学してくるんだなぁ、まだ私たちの寮の引っ越し終わってないのに入寮式なんかやっちゃって大丈夫なのかなぁ、あー会長の髪の匂いはいつもローズマリー」
会長はしばらく紫乃の横顔を見つめていたが、やがて耳元でささやいた。
「ウソね」
「はい」
紫乃は窓に背を向けて歩き出す。
「小熊会長には関係のないことです。これは、私自身のことですから」
「念のため言っておくけど、弓奈ちゃんの誕生日は鈴原さん自身のことではないのよ」
紫乃は立ち止まってしばらく何かを考えたあと、ちょっぴり頬を染めて振り返り会長に詰め寄った。
「弓奈さんの誕生日をご存知だったんですか」
「あらぁ、当然だわ。3月30日なんですってね。あの子、年度末ぎりぎりまで15才なのよ」
今日が29日であるから明日になれば弓奈は16才なのだ。
「鈴原さんの悩みは弓奈ちゃんへのプレゼントのことね。もしかして、ヴァレンタインのときと同じようなことを考えて毎晩ため息でもついてるのかしら」
会長が自分の気持ちをどこまで見抜いているのか紫乃には疑問だったが、そのような不安まで抱いていたら倒れてしまいそうなのでこのつかみ所のない天才少女への対策はこの際保留ということにした。
「別に・・・プレゼントなんて、あげないです」
風に消え入るような小さな声で紫乃が囁くと、小熊会長は紫乃の前髪をなでなでした。
「かわいい♪」
紫乃はさらにほっぺを赤くして会長の手を払い、そっぽを向いた。
「ついこの前、他の子からも相談されたのよ。お誕生日のプレゼント何がいいでしょうかって」
「・・・そうですか」
弓奈の誕生日を知っているのは自分だけだと思っていたのに、紫乃はなんだか全身の力が抜けてしまった。
「そう。力を抜いていいのよ。自分のことも忘れて考え事するくらい鈴原さんは一生懸命なんだから、その想いが弓奈ちゃんに伝わらないわけがないわ」
「ですから、別に私は・・・」
珍しく小熊会長が自分の味方でいるので紫乃はどうしていいか分からず照れた。
「だから、教えてあげるわ。愛の育み方。体で・・・」
「んっ!」
耳に息を吹きかけられて紫乃は飛び上がった。お返しに会長の脇腹に猫パンチをくらわしてから彼女は寮へ帰った。
部屋の荷物の半分は既に二年生寮へ運び終わっているのでいつもよりかなりサッパリしている。紫乃はしばし壁を見つめていたが、やがて靴を脱いでベッドにあがり壁に耳を付けた。紫乃はひんやりとした木の感触の向こうにあの人の気配を探したが、聴こえるのは自分の胸の鼓動ばかりだ。一体なにをしているのかは分からないが、今日の弓奈はずっと部屋に籠りきりである。
「はぁ・・・」
紫乃はブレザーのボタンを外してベッドにうつぶせに倒れた。ちなみに紫乃はよくうつぶせで眠る。胸が小さいのでうつぶせは得意なのだ。枕カバーからはシャンプーの香りがするので、これで例えば弓奈にぎゅっと抱きしめられている妄想をすることもできるが、弓奈の髪の匂いは桃、正確にはウェリントンシャンプーブリリアントピーチの香りなので本物の興奮には到底及ばない。紫乃は枕に顔をうずめたままつぶやいた。
「ういああんい・・・あいあうええんおああいああっああぁ」
弓奈さんに何かプレゼント渡したかったなぁと言ったらしい。ここで紫乃は急に淋しくなった。自分は弓奈に夢中だが、弓奈は自分のことだけを考えているわけではないという現実が紫乃の背中に重くのしかかったのだ。目頭がきゅうっと熱くなってのどがつまり、紫乃は枕に顔をうずめたままクーンクーンと鼻声で泣き始めた。
どのくらいの時間が経っただろうか。紫乃は部屋の扉に何かがぶつかるような「どんっ」という鈍い音に目を覚ました。時計の針は3月29日最後の10分間を刻んでいるところだった。この時間に物音はかなり怪しい。しかもそれは一度で終わることなく何度も何度も続いたので、初めは気づかないフリをしていた紫乃もやがて恐怖に素直になり布団に潜って震えた。ノックだとしてもかなり異常で、おそらく膝や頭を使っているに違いないと思うと恐怖は布団の中いっぱいに膨れ上がって紫乃の心を支配した。だが、音と音の合間に何やら聞き覚えのある少女のうめき声が混ざって聴こえた気がした。紫乃はずり落ちるように布団ごとベッドから降りるとそのまま布団を引きずってアメーバのようにゆっくりゆっくり扉に近づいてみた。
「んんんー。んんんー」
その声は紛れも無く弓奈のものであった。安心して跳ね起きた紫乃は慌てて布団を戻し、髪と制服の乱れを整えると、あたかもたったいま廊下の気配に気が付いたのような声で「あれ、一体誰ですかこんな時間に。外出禁止時間帯ですよ」とクールに述べてから扉を開けた。
「え・・・?」
超現実的光景を突きつけられたとき、人の心は笑いと警戒の間を激しく揺れる。紫乃はドアの前に立つ弓奈にどのように声をかけてよいか非常に迷った。
「な、なにをしてるんですか」
「んんんー」
弓奈はあやとりをしていた。しかも彼女が得意とする創作あやとりで、口で紐の一部をくわえてかなり複雑に綾を織ったハイレベルな作品だ。そしてそれはどう見ても誕生日ケーキを形づくっており、ろうそくと思われる縦棒も16本立てられている。
「・・・お誕生日ケーキですか?」
「うん。うん」
弓奈が天使のような笑顔でうなずいた。しかし弓奈の誕生日まではあと5分ほどあるし、そもそも自分で祝うものではない。紫乃は混乱した。
「弓奈さん・・・あなたのお誕生日は明日です」
弓奈は首を振った。
「だって今日は・・・3月29日ですから・・・」
そう言いかけて紫乃は、自分が持つ唯一の記念日の存在を思い出して耳がぽっと熱くなった。弓奈の誕生日の前日、すなわち3月29日は他でもない紫乃の誕生日だったのだ。名前に一切近似性のない二人が出席番号で隣り合っている理由は実はここにある。
「今日は・・・私の誕生日?」
弓奈がうんうんと大きくうなずいた。紫乃は自分の体温がぐんぐん上がっていくのを感じた。
「もしかして、今日ずっとあやとりしてたんですか?」
「うん。うん」
「私のために・・・?」
「うん。うん」
紫乃はこの気持ちをどうしていいか分からず自分のスカートをぎゅっと握ってもじもじした。「他の子からも相談されたのよ。お誕生日のプレゼント何がいいでしょうかって」という会長の言葉が彼女の頭の中で回った。おそらくその時会長は相談してきた少女に「得意のあやとりで何か作ってあげたらどうかしら」と答えたに違いないのだ。
紫乃は上目遣いに弓奈の温かな表情を読み取ると、まるでろうそくの火を吹き消すように弓奈のあやとりケーキにふうっと息を吹いた。すると弓奈の口と両の手の中で支えられていたあやとりはハラハラと穏やかにほどけて一本の長い紐の輪に戻った。紫乃がそのまま部屋のベッドに走って布団の上へうつぶせになって滑り込んだので、弓奈は笑いながら彼女を追いかけて枕元で捕まえた。
「ねえ、喜んでくれたぁ? 紫乃ちゃん紫乃ちゃん!」
紫乃はぎゅっと枕を抱きしめて顔をうずめ「別に」と返事をした。
「えうい」
「え?」
「えうい」
「なになに?」
「えうい」
「なぁにそれぇ!」
二人はベッドの上で大笑いしながら転げ回った。弓奈はなんとかして紫乃ちゃんの表情を覗きたかったが、紫乃は頑なに枕を手放さなかったのでそれは叶わなかった。
0時を回った瞬間を見計らって紫乃は得意のうつぶせをしたまま「お誕生日おめでとうございます、弓奈さん」と言った。
「おあんおういおええおうおあいあう、ういああん」
弓奈は微笑みながら紫乃の頬をつっついた後、ささやくような優しい声でゆっくりと返事をした。
「ありがとう。紫乃ちゃん」




