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46、はちみつ


 生徒会室に小熊会長がいない。

 卒業式後の生徒会は割とヒマなので二年生の先輩方には楽しく修学旅行へ行ってもらって問題もないのだが、クラブ活動をしている生徒たちはさぞかし混乱しているだろうと弓奈は思った。

 弓奈は食器棚のティーカップを何度も並べ直したり、ポケットに忍ばせていた桃色の毛糸であやとりをして東京タワーを作ったりしていたがやがて力尽き陶製のテーブルに突っ伏した。紫乃ちゃんは学年末試験のお勉強に忙しいらしく寮にこもっているので今日は一人きりの放課後だ。なかなか退屈である。

「あーあーあー」

 テーブルに耳を押し当て内部でフワフワと反響する自分の声を聴いていると、不意に弓奈は気になるものを見つけて顔をあげた。会長がいつも腰掛けている椅子の背後、出窓の左端に立てかけられた一枚のF6サイズキャンバスだ。カーテンに沿うように置かれているため描かれている絵を弓奈は見たことがなかった。することがない弓奈は早速席を立ちキャンバスの表を覗いてみることにした。会長の描いた絵だから女の子同士が制服を乱しながら抱きしめ合ってキスしているか、あるいはもっと直截的にエッチな表現が盛り込まれた恐ろしい作品である可能性もある。怖いもの見たさも大概にした方が良い。

 が、キャンバスに描かれていたのは女の子のヌードでもラブシーンの抽象画でもなく、木炭によってデッサンされた爽やかな風景画だった。しかしキャンバスの下半分には細部まで緻密に生き生きと描かれた動物たちが草原で肩を寄せ合う様子が描かれているというのに、なぜか上半分は完全に白地のままで手がつけられていない。そう言えば会長は絵の全体像やバランス見据えた簡単なデッサンの上から細部を描き加えていくようなオーソドックスな方法は一切用いず、絵を積み上げるようにキャンバスの下方から描いていくという話を以前聴いたことがある。その理由を会長本人に聴いてみたが、万有引力と遠心力がどうとかイデア界がなんたらとか訳の分からないことを説明されたので全く覚えていない。

 弓奈は会長のパレットケースから細い木炭を一本取り出して椅子に腰掛けた。弓奈は普段小熊会長からバラエティ豊かなセクハラを受けているので、今日はそのお返しをしてみることにしたのだ。

「よぉし」

 木炭で描かれた線は消しパンでポンポンすれば簡単に消えるのでこれは良心的ないたずらであるから何を描き足しても問題ない。好きなものを落書きして会長をビックリさせよう。弓奈はキャンバスの動物たちの視線の先に何を描くか考え始めた。




 首筋を濡らす朝露と若い草の匂いに弓奈は目を覚ました。

 白い太陽が白い空にのっぺりと浮かぶ奇妙な光景に違和感を覚えた弓奈が体を起こすと、そこは蕎麦の花がどこまでも咲いて続く広い丘だった。花が白いからそう思っただけなのだが、よく見ると葉や茎、土に至るまで全て白と黒で出来ている。まるでモノクロ写真、シマウマの背中、パンダのお顔である。

「わお・・・」

 これが夢の中の世界であることに弓奈は早くも気がついた。じゃなかったら弓奈の視細胞が熟睡していることになる。

「弓奈ちゃーん」

 目を覚ます努力をする前に何かが丘の向こうから駆けてきた。夢の中には見覚えがないのに馴れ馴れしくしてくる人物がたいてい一人は登場する。

「弓奈ちゃん大変よ。森の木が全部消えちゃったの」

 まずあなたは誰だと弓奈は思ったが、相手の少女も一生懸命なので意地悪な質問をするのはやめた。

「んー・・・どうして消えちゃったんだろうね」

 正直あまり興味がない。早く目を覚まして寮へ戻らないと夕食の時間に間に合わない可能性がある。

「みんなで集まって相談してたところなの。弓奈ちゃんも来て」

「え」

「さあ早く」

「ああ、ちょっと!」

 少女に手を引かれてみて気がついたのだが、彼女のおしりからはキツネのようなフワフワのしっぽが生えている。夢の中とはいえ生えて良いものと悪いものがあるだろうと弓奈は思ったが、おしりから腕が生えているよりはマシなので我慢することにした。

「みーんなー!」

 丘を駆け下りると水車小屋があった。小川はおろか池すら無いのにくるくる回っている水車はもはや風車である。

「弓奈ちゃんだ!」

「弓奈ちゃーん」

「弓奈ちゃーん」

 なぜ自分の名前を知っているのか分からないが、待っていたのは三人の女の子たちだった。三人ともおしりにしっぽが付いている。これで迎えに来た少女と弓奈を合わせて五人になったので文殊の知恵とやらの1.6倍くらいのスーパーアイディアが出るに違いない。皆で協力して森の木を取り戻そう。

「どんぐりを埋めて回ればいいんじゃないかな」

 リスのようなしっぽが生えた子が提案した。できれば弓奈は早く目を覚ましたいので20年くらいかかる計画に巻き込むのは勘弁していただきたい。

「それいいねぇ! クルミやリンゴの種も植えようよ」

 ウサギちゃんがそれに乗っかった。弓奈もなにか意見を言わなくては夢の中で半生を過ごすことになってしまう。

「えーっと、私は森があるところにお引っ越しするのがいいと思うけどなぁ・・・」

 自然界に生きる動物たちは大抵そうする。ほっといても然るべき場所はいずれ森になるので何年かのちにここへ戻ってくればいいだろう。

「それがね弓奈ちゃん、周りを見て。太陽さんのベッドまで見渡しても木が一本もないの」

 クマちゃんが教えてくれた。さすが夢の中、やることが極端である。

「それじゃ、どんぐり作戦に決定よ。各自おやつ用にとっておいた木の実を持って来てね」

「ええー!」

「ええー!」

 ええーと言いたいのは弓奈のほうだが、ともかく彼女はキツネちゃんたちのお手伝いをすることになった。



 弓奈はスコップで丘の土を掘りながら、スコップとシャベルの違いについて考えていた。弓奈は片手で扱える小型のものをスコップと呼び、両手で使用する大型のものをシャベルと呼んでいるが、それは逆だと主張する友人が中学校に何人かいた。ショベルカーとかいう車があるから大きい方がシャベルでいい気がしているが真相は不明なので夢から無事に覚めることが出来たらゆっくり調べようと彼女は思った。

「わあ!」

 弓奈は驚いて後ろへひっくり返ってしまった。どんぐりを土に埋めたとたん、はじけるように芽が出たかと思うと噴水の吹き出すがごとく一気に成長し、あっという間に一本の大木がそびえ立ったのだ。葉に透ける白い太陽を見つめながら、夢の世界が持つ容赦ないパワーにしばし弓奈は言葉を失った。これならばすぐに立派な森が出来上がりそうだ。

「あの・・・弓奈ちゃん」

 弓奈が神様ごっこをしながら木々を創造して回っているとクマちゃんがやってきた。

「どうしたのクマちゃん」

「私の悩み、聞いてくれる?」

 いいからドングリ植えなよと言いたかったが自分を頼ってきてくれる子を無下にはできない。

「いいよ。何でも聞いてあげる」

「近頃・・・お腹が空くの」

「え?」

「ドングリじゃお腹が空くの・・・このままだとキツネちゃんたちを襲っちゃいそうで、私怖いの」

 遡上してきた鮭でも捕まえて食べればいいではないかと弓奈は思ったが、それではこの世界の鮭ちゃんが可哀想だし第一川がない。年頃のクマだったら動物性たんぱく質を摂取しなければ貧血になってしまうのかもしれないが、せっかく波に乗ってきた夢の世界を血生臭いものにはあまりしたくない。

「んー・・・どうしようねぇ」

「弓奈ちゃんも、すごく、おいしそう・・・」

 油断していた弓奈は押し倒された。

「クマちゃんストップ! ストップ!」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ食べさせて!」

 いくら夢の中だからといって食べられたくはない。それにクマちゃんたちは柔らかそうなしっぽが付いている以外は普通の女の子なので違った意味での危なさも感じる。

「分かった、分かったよ。解決方法教えてあげる!」

 クマちゃんに鎖骨をかみかみされながら弓奈はそう叫んだ。



 弓奈は水車小屋のほこりっぽい物置の中から軽くて丈夫そうな木箱をひとつ選んでクマちゃんに渡した。

「弓奈ちゃん、これがなぁに?」

「んー・・・この中に壷かビンを入れて木にくくり付けておいで」

「それで、お腹いっぱいになるの?」

「あ、箱のフタは開けたままで。正面にはクレヨンで『ハチさんの家』って書いておいたほうがいいかも知れない」

 弓奈は養蜂場の人たちがどうやってハチの巣を作っているかなど知らないので適当な指示になってしまったが、クマちゃんはこれでハチミツ生活が出来るはずだ。ハチミツが動物性かどうか怪しいものだが少なくともこれでしばらくはこの界隈の動物たちの平和は守られることだろう。



 キツネちゃんが北の丘を、リスちゃんが西の丘を、ウサギちゃんが南の丘を、そして弓奈とクマちゃんが東の丘を森にしながら麓の水車小屋へ向かって降りて行く。五人が集まる頃にはリスちゃんの森の空が温かそうな白に染まっていた。おそらく夕日の色だろう。

「ありがとう! 皆の力を合わせたお陰で素晴らしい森が出来上がりました」

 キツネちゃんがしっぽを振っている。これでようやく弓奈の仕事も終わりだ。

「今日からどんぐり生活だぁ」

 リスちゃんは飛び回った。よく見ると水車小屋の脇にはいつの間にか小川ができている。

「クルミかたーい」

 ウサギちゃんがクルミを頬張っている。今更だがあなたは草を食べたほうがいいのではと弓奈は思った。

「弓奈ちゃん・・・本当にありがとう」

 クマちゃんがハチミツのたっぷり絡んだスプーンをなめながら潤んだ瞳で弓奈に礼を言った。ちょっと可愛いと思ってしまった。

「それじゃあ私、そろそろ帰るね。みんなこれからも仲良くどーぞー」

 動物たちに手を振られながら弓奈は森へ入った。そして大きな木の陰でしゃがむと、ぎゅうと目を閉じてから力を抜き、指をつかってまぶたを開けた。彼女は大抵この方法で目を覚ますのだ。



 桜のつぼみが鮮やかな早春の緑に色づいて窓の外に揺れている。

 弓奈は少し痛む首を手で押さえながら顔をあげた。何だか疲れる夢を見てしまったがなんとか夕食の時間には間に合いそうである。紫乃ちゃんは真面目なので弓奈を待っている可能性もあるので急がなければならない。

「ん?」

 右手の人差し指と親指が木炭で黒くなっている。そういえば会長の絵に落書きをしようとしているところだったことを弓奈は思い出した。彼女はキャンバスを窓際の定位置に戻すとカバンを持って生徒会室を出た。


 のちに小熊会長がこのキャンバスの絵を面白がってそのままコンクールに出品したところ見事ピースフルアワードという賞を獲得してしまい、その賞品として贈られた『なかよしハチミツ』一年分は弓奈が受け取ることになってしまった。弓奈のハチミツ生活の始まりである。

 

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