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44、光の中

 

 ハイドンの「告別」という曲をご存知だろうか。

 別れというものはいつも残酷なものであるが、卒業に限って言えばそれが全員に等しく一斉に起こるという点において幾分救いがある。「告別」のように楽器がひとつまたひとつと消えて行く孤独感を、少なくとも表面的には味わう事なく旅立てることは大きな喜びであると言えるだろう。学園にもその卒業の季節がやってきたのだ。

 弓奈は三年生の先輩にはそこまでお世話になっていないので正直あまり淋しくないし、式の厳粛な空気が苦手なので参加は遠慮したかったが、硬派な紫乃ちゃんの手前そんなことは言えない。

「卒業生代表、3年G1組、佐藤由理亜」

「はい」

 弓奈は生徒会員なので幕の上げ下ろしや放送機器の切り替えなどの仕事を任されているが、そのほとんどの作業は序盤に終了しており、今はこうして二階席の最も端の暗がりで式の進行を見守っている。ちなみに代表の佐藤さんにスポットを当てているのは弓奈が待機する場所の丁度向かい側でライトを操っている紫乃ちゃんだ。弓奈のすぐ脇にもスポットライトはあるのだが、これのスイッチも入れてしまうと代表の佐藤さんは手元の原稿が輝きまくって全く読めず、学園生活最後の思い出がまさに眩しすぎて見えないものになってしまう。

「卒業生代表としてご挨拶を申し上げます、G1組佐藤由理亜です」

 弓奈は今演説している佐藤さんを知っている。誰でも自分宛てに毎週のようにエッチな手紙を書いてくる相手の名前は覚えてしまうだろう。

「今日という日を無事に迎えることが出来ましたのは、ひとえに私たちを見守って下さった先生方や・・・」

「由理亜!」

 公務執行妨害である。式の進行を妨げる者は学園長の長女によって粛正されることだろう。紫乃が声の主の居場所を探し出し睨みつけたことは、問題の彼女にスポットライトが向けられたことからよく分かる。弓奈は仕方なく自分の脇にあるスポットライトのスイッチを入れて壇上の佐藤さんを照らしておいてあげた。

「由理亜は・・・私の事、好き?」

 立ち上がっていきなり妙なことを言い始めたその少女も佐藤さんと同じ卒業生である。ちょっと怖いくらい髪の長いおねえさんだ。

「こんな時に・・・どうしたのですか」

「確かめたいの! みんなが聞いているところで」

「そうですか・・・」

 そうですかではない。あなたたちは良いかも知れないが、式が進行しないと真面目な紫乃ちゃんがクールにキレ始めてしまうに違いないのだ。弓奈ははらはらした。

「好きですよ・・・決まっています。私たちは、恋人同士なのですから」

 佐藤さんの告白と同時にホールはキャーというラブリーなざわめきに包まれた。聞いているこっちが恥ずかしい。

「でも私、噂を聞いたの。由理亜が最近、私以外の子に恋文をしたためてるって」

 弓奈は背筋が凍り付いた。どうか弓奈を巻き込まないで頂きたい。

「そ、それは・・・」



 舞は目を覚ました。卒業式の最中に居眠りなどサンキスト女学園生徒にあるまじき行為だが、彼女も彼女なりに勉強とクラブ活動の両立に四苦八苦している、ということにしておけば何人かの先輩達からは同情してもらえることだろう。

「由理亜は誰に手紙を渡したの!」

 舞の頭の中に由理亜という名がこだまする。

「・・・あー、その人のラブレターなら見たなぁ」

 寝ぼけている舞は思わずそう呟いてしまった。

「そこの一年生、あなたなの!? 由理亜の心を惑わしているのは」

 やたら髪の長いおねえさんにつかみかかられた衝撃とスポットライトの眩しさで、舞の頭はようやく目を覚ました。

「い、いや、手紙がよくうちの部屋に間違えて配達されるんですよ。宛先はいつも倉木です。一年生の倉木。うちじゃないっす」

「倉木さんね・・・」

 先輩は舞の髪をなでて気を落ち着かせてからおしとやかに周囲に呼びかけた。

「一年生の倉木さんいらっしゃる?」

 生徒達は背筋は伸ばしたまま目だけで二階席を見た。が、その視線の先にすでに弓奈の姿はない。身の危険を感じた彼女は早々にこの広いホールのどこかに身を隠したのだ。スポットライトが当たっている場所以外ホールは全て暗闇なので、こうなると弓奈の隠密技術についてこられる人間などこの学園にはいないと言っていい。一人の天才を除いて。

 不意に、壇上の佐藤さんを照らしていたライトがぐいっと向きを変えてホールの出入り口付近の柱の陰を照らした。照らし出されたのは他でもない、学園のプリンセス倉木嬢である。

「あらいけない。間違えてライトの向きを変えてしまったわ」

 スポットライトをいじったのは小熊会長だった。彼女は生徒会長でありながらこの混乱を楽しんでいるようである。器が大きいのも考えものだ。

「あの子ね・・・倉木さんは」

 客観的にみて弓奈はこの学園の大変な有名人であるので、その弓奈を知らない彼女は余程由理亜ちゃんに夢中なのだろう。一途な女の子はとても素敵だが怒ると何をするか分からないので注意も必要だ。

「倉木さん! 由理亜を・・・由理亜をこれ以上惑わさないで!」

「わあ!」

 駆けて来た先輩に驚いた弓奈は足下の段差につまずいて後ろ向きに転倒してしまった。先輩ははしたなくも弓奈の体の上にまたがって座ると弓奈の両頬をきゅっとつねった。そこまでほっぺは痛くないが弓奈にしてみればとんだ災難である。

「ひどいよ・・・私の由理亜を・・・ひどいよ!」

 弓奈の鼻先に彼女の涙のしずくがひとつ落ちた。自分は特に何もわるいことはしていないのだが、ここは謝るべきなのかも知れないと弓奈は思った。この時弓奈にそう思わせたのは世渡りのための打算などではなく、ある種の共感と情だった。

「ご、ごめんなさい・・・」

 そう言いかけた時、弓奈を照らしていたスポットライトと髪の長い先輩を照らしていたスポットライトがピッタリと重なった。弓奈は眩しくて目がくらんだ。

 しかし、この時最も目がくらむ思いをしたのは弓奈につかみかかっていた先輩の方であった。光の中に浮かび上がったのは、自分と恋人の仲を引き裂こうとする悪魔の姿ではなく、息をのみ、まばたきを忘れ、時が止まる体験の中央に輝く美の化身だったのだ。

「・・・キレイ」

「は、はい?」

 弓奈の頬をつねっていた手は緩み、そのまま撫でるように優しく触れ始めた。

「なんて・・・キレイ」

「その子、可愛いでしょう」

「由理亜・・・」

 佐藤由理亜さんはいつのまにか弓奈たちのもとへやってきていた。

「私はあなたのことが嫌いになったのではありません。その子と仲良くなっておけば、きっとあなたが喜んでくれると思ったからお手紙を書いていたんです」

「そうなんだ・・・」

「私たち、女の子の好みが似てますもんね」

「そうだね由理亜。この子・・・すごい。すごく可愛いよ。天使みたいだよ。こんな子に会わせてくれてありがとう、由理亜」

 仲直りは結構なことだが、このまま二人のおもちゃにされてしまっては弓奈も困る。

「・・・ごめんね由理亜。疑ったりして」

「いいのですよ。これからも二人はずうっと一緒です」

 佐藤さんは髪の長い先輩に寄り添い、自分のおでこを彼女の頬に当てて幸せそうに微笑んだ。女の子同士である点と場をわきまえていない点に目をつむれば、微笑ましく平和的でちょっぴり恥ずかしい単なる恋人たちの風景ではないかと弓奈の胸も温まらないでもない。

 冷静に考えて弓奈が持っていて佐藤さんたちが持っていないものはある。外の世界が求めるいくつかの常識と呼ばれるものがそれにあたるが、持っていたところで必ずしも世間の役に立つ訳ではないし、まして幸せになれるとは限らない。弓奈には佐藤さんたちが実に幸せそうに見える。処世術のドレスは確かに美しいが、それを着込んていることにまず気づき、その陰で本当の輝きを秘めうずくまる自分の心を見つけ出すことこそが幸福への指針として限りなく正解に近いものなのではないかと弓奈はこの時漠然と感じた。ただし、自分が本当に望むものについては弓奈に心当たりはなかった。そしてそれが既に表出しつつあることにも彼女は気づいていない。とにかく、文字通り眩しい二人の姿が弓奈の眼底に焼き付いたことは確かである。

「退場です」

 ホールのスピーカーから馴染みのある冷ややかな声が響いた。

「学園行事規則第三条。学園行事の準備、進行の著しい障害となる行為に及んだ学園生徒は、教員の指示、あるいは生徒会の権限においてこれを係委員から除名、もしくは当日会場から退出させることができる・・・卒業生でありながら式の進行を妨げるあなた方は本当にナンセンスです。さよーなら」

「ご、ごめんなさい! 許してくださーい」

 ホールは笑い声と拍手で大盛り上がりである。紫乃ちゃんはいつだってクールなのだ。


 弓奈は二階席に戻った後もしばらく先程の二人をじっと観察していたが、佐藤さんがとても涙もろいということ以外には特にこれといったヒントは得られなかった。

 

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