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42、箱

 

 ヴァレンタインデーが世の女子にとって一大事であることは言うまでもない。

 女子校にヴァレンタインなど関係ないだろうとお思いの方もあるかも知れないが決してそうではない。一例としてサンキスト女学園で二番目にヒマなクラブと言われている統計愛好会が実施した、生徒たちのヴァレンタインデー当日の意識調査、そのアンケート内容をいくつか紹介しよう。

『2月14日に何か甘いものを他者に譲渡する予定がありますか』

 この質問に関してはおよそ70%の生徒が「はい」と回答した。チョコレートと明記されてない以上もしかしたらベッコウ飴や干し柿の取引を行うだけかもしれないが、まあまずチョコで間違いはないだろう。

『はいと回答した人はその見返りとして取引相手からの特別な愛情を求めていますか』

 簡単に言えば本命チョコですかという質問である。驚いたことにこれに回答した2088人全員が「はい」と記している。ロマンスを崇高なものと捉えるか、原始的な欲求と捉えるかでこの学園の評価が大きく変わることだろう。

『1の質問にいいえと回答した人はその理由を申し訳なさそうに記入しなさい』

 この学園には真面目な生徒が多いためホントに申し訳なさそうな回答ばかりだった。彼女たちは「その・・・渡す勇気がないんです・・・」に代表される内気型女子。「目当ての子からチョコレートを貰うのが目標なんです・・・人生の・・・」に代表される男役系内気型女子。そして「え、だってチョコレート自分で食べたいじゃん」に代表される安斎舞型女子に分けられる。ちなみにこの安斎舞型の回答は2件しかなかった。つまりほぼ全ての生徒がヴァレンタインに関心があり、かつそれぞれの恋をそれぞれの形でチョコレートに託しているということである。人生のおよそ365分の1はヴァレンタインデーなのだからどうか気張らずに笑顔で乗り切って頂きたいものだ。



「完成・・・しちゃった」

 内気型女子である鈴原紫乃は、硬派なキャラクターを演じる以上決してチョコレートを弓奈に渡せない運命にあり、その腹いせでチョコレートクグロフを作り始めた。初めはチョコ作りに勤しむであろう他の生徒を妨害する目的で図書室から借りて来たお菓子の本たちがあまりに魅力的だったため、13日の深夜から自室でケーキを作り出したのだ。するとこれが思いがけず大作になってしまい、紫乃は夜明け前のキッチンで立ち尽くしているのである。

「なんでこんなの作っちゃったんだろう・・・」

 全くである。それもクグロフのてっぺんに据えたチョコレートボードには「大好きです」とご丁寧に記入してしまった。こんなものを所持していることが弓奈にバレた日には、クールな紫乃ちゃんのイメージはガラガラと崩れドロドロに溶けた挙げ句「一般的生徒」という型の中でカチカチに固められてしまう。それは紫乃の青春の終わりに他ならない。

「紫乃ちゃん。起きてる?」

 廊下から天使の声が聴こえる。紫乃はチョコケーキを紫色の紙箱にサッと収めてから扉を開けた。

「おはよう紫乃ちゃん。ごめんね、今朝は紫乃ちゃんのお部屋から出掛けることにしたいんだけど、だめかな」

 弓奈にチョコレートを渡したがっている少女はあまたいる。自室の前で待機する者ももちろん現れるだろうから、このように一日のスタート地点を変えるというのは追っ手を撒くには非常に有効な手段と言える。

「しょうがない人ですね・・・協力してあげます」

「わー、ありがとう紫乃ちゃん」

 弓奈を部屋に招き入れた瞬間彼女の髪から香ったピーチの香りは、紫乃の胸をきゅうっとしめつけた。

「ちょっと着替えるね」

「は、はい」

 弓奈がネグリジェのリボンをほどくところまで見て紫乃は彼女に背を向けた。弓奈の部屋着や下着や妙に色っぽいのは沢見とかいう弓奈の古い知り合いが送りつける荷物が原因らしいがその詳細を紫乃は知らない。背を向けたついでに、紫乃はチョコレートクグロフの箱を自分のカバンに入れた。このまま部屋に置いて弓奈に発見されるより昼休みに香山先生にでもあげてとっとと処分するほうが得策と考えたのだ。紫乃は香山先生を何だと思っているのか。

「倉木さーん! おはようございまーす!」

「弓奈さまぁ! お渡ししたいものがございますのぉ!」

「ユミちゃーん! カカオの種を発酵させて焙煎したものに砂糖とミルクを混ぜて固めた甘味食品に興味あるー?」

 弓奈の部屋の前が騒がしくなってきた。二人はその隣りの部屋からこっそり学舎へ向かう。

「あ、今弓奈様が隣りの部屋から出たわ!」

 一瞬で見つかった。

「ごめんね紫乃ちゃん」

「な、なにがですか」

「廊下は走っちゃいけないのに・・・私!」

 弓奈はその鍛え上げた細脚で廊下を猛ダッシュした。熱心な弓奈ファンも階段の手すりを駆け抜けたり靴箱を飛び越えながら靴を履き替えたりは出来ない。

「弓奈さまぁ! ちょこっと待って下さいませんかー」

「倉木さんのお部屋のポストにもう入らないのー」

「今日はどんな下着なんですのぉ!」

 弓奈は風のように寮を去った。



 体育の授業を終えた弓奈は一瞬で着替えて廊下に飛び出したが、すでにそこには黒山の人だかりが出来ていた。

「す、すみません! チョコは受け取れないので! 失礼します!」

「あぁん! 断り方も可愛いです!」

「倉木さん、脚キレイですね・・・」

 弓奈は事前チェックによりこの学園一の安全地帯を把握していた。追っ手に気づかれず、休み時間を隠れ通せる場所・・・そこは視聴覚室脇の倉庫に設置された暗室である。ここはX線フィルムの現像用に作られた空間らしいのだが、落ち着いて考えるとこの学園にレントゲンの需要などある訳がなく、現在は学園祭の景品か何かだった多数のぬいぐるみが収められている。

「ほっ!」

 弓奈は無事に倉庫へ身を隠した。100人程に膨れ上がっていた追っ手の集団は倉庫の前を通過しそのまま地平の彼方へ走って行った。

「ふー」

 倉庫内にいるだけでかなり安全だが、万全を期すために弓奈は分厚いカーテンを開けて暗室の闇の中にそっと潜り込んだ。弓奈はぬいぐるみのフワフワとした感触をかき分けて壁際のカーテンを探してそこにもたれた。なんだかすごくいい香りのする暗室である。例えて言うのならば、ヨーロピアンなハーブの香りだ。

「ゆーみーなーちゃん」

「ひい・・・!」

 真のいやらしさとは穏やかさの中にこそ潜む。背後から弓奈の体に寄り添った温もりと女の感触は、逆らい難いオトナの感覚を弓奈の体の中心に染み込ませる。

「会長・・・どうしてこんなところに」

「お外は寒いからここで温まっていたのよ」

 どこの世界に倉庫の暗室で温まる生徒会長がいるというのか。明らかにこれは弓奈の到来を予見しての待ち伏せである。

「会長ぉ・・・離れてください」

「んもぅ。このほうが温かいでしょう」

 寒椿の色づくがごとく、会長の吐息は弓奈の耳を鮮やかな赤に染めた。どうも弓奈は入学以来、小熊会長からこの手の感覚を体に教え込まされているような気がしてならない。これはよくない傾向である。

「か・・・会長、何度でも言いますが、私は女の人との恋愛にはちょっと、その、興味がないというか抵抗があるといいますか。とにかく今は私、用事があるので。また今度紫乃ちゃんがいる所でお会いしましょう」

 機動力確保のためにボディーガードの紫乃ちゃんから離れたのが迂闊であった。

「ダメェ。今日はヴァレンタインデーだから、弓奈ちゃんにチョコレートプレッツェルを作ってきたの」

 会長はそうささやくと弓奈の体をくるりと反転させ、正面から抱きしめた。自分の胸が会長の胸に密着する感触はもとより、背中に回された指の一本一本までがいやらしい。世の中には色々なタイプの少女がいるが、どうも会長は体を密着させるのが好きらしい。

「あーん」

「・・・はい?」

「あーんして」

 あろうことか会長は自分の口にチョコプレッツェルをくわえるとそれを弓奈の口元に持って来たのだ。誰が好き好んでこんな暗闇で同性の先輩少女と抱き合いながらチョコを口移しで食べなければならないのか。

「やめて・・・下さい」

 弓奈はあらゆる人生の障害に対して抵抗する能力に欠けており、それは短所であると同時に他人の期待を裏切らないというサービス精神に富んでいるといえなくもない。弓奈は10秒間のむなしい抵抗ののち、思わずプレッツェルの端をくわえてしまった。

「ん・・・」

 このままキスされてはたまらないので弓奈はプレッツェルを途中で半分に折ってもぐもぐした。

「おいしい?」

「ハイ・・・」

 これがまたビックリするほど美味しかったのだが、これ以上会長のチョコを貰ってしまってはもとの世界に帰れなくなるおそれがある。なんて怪談じみた駆け引きだろうか。

「私・・・そろそろ」

「もっと欲しい?」

「え・・・」

 会長がまたプレッツェルを口元にもってくるので、弓奈はイヤイヤそれを口にする。会長の作ったチョコの美味しさに体がいうことをきかなくなっているのである。きっとなにかよくないお薬が混入されていたに違いない。

「これ以上は・・・ダメです。ダメですよ先輩」

「まあ・・・今のステキよ。もう一度言って」

「もうダメです・・・」

「ガマンができないのね」

「え・・・」

「でも大丈夫よ。私が、スッキリさせてあげる」

「そういう意味じゃなくって!」

 会長の水色の光彩の中にはすっかり慌てふためいた弓奈の姿が映っているに違いないが、もはやそれも暗闇の中である。

「弓奈ちゃんは、どういう感じが好きなのかしら」

「・・・いや! ちょっと、やめて下さーい!」


 弓奈が首すじにいやらしくちゅっちゅされている頃、教室にいた紫乃はとんでもない事に気がついていた。

「あれ・・・」

 紫乃はクールなので独り言など滅多に言わないのだが、この時はさすがに動揺したようだ。

「箱が・・・ない!」

 

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