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36、瞳の中のクリスマス


 時計塔の針が午後三時を差した。

「会長、クリスマス会のセッティングがだいたい終わったので、私と紫乃ちゃんは少し抜けますね」

「あら」

「私たちも会に参加したいんですが、いつ戻って来られるか分からないんです・・・」

 会長が弓奈を背後から抱きしめた。

「いったい何をするのかしら。お二人で」

「え」

 会長の唇が弓奈の耳元に迫る。

「もしかして・・・」

「会長・・・胸を触らないで下さい」

 会長のささやき声はいつも弓奈の背筋をゾクゾクさせる。

「わかったわ。もう触らない」

「・・・ホントですか?」

「揉んでアゲル」

「あっ・・・あん! ちょっと! やめて下さい!」

 背中には会長の柔らかい胸を、自分の胸には会長のいやらしい手つきを感じながら弓奈はもがいた。小熊会長は再選してからも相変わらずである。

「会長!」

 姫カットが颯爽と弓奈を助けに来た。

「弓奈さんから離れて下さい! 嫌がってるじゃないですか!」

「んもぅ、鈴原さんは厳しいわぁ」

 会長は弓奈から離れると紫乃にそっと歩み寄り彼女のあごを指先でコチョコチョくすぐった。

「メリークリスマス。鈴原さん」

「め、めりーくすります・・・」

 会長はその青い瞳で意味深な眼差しを紫乃に残すと、高さ10メートルの巨大なパイプオルガンの陰へ去って行った。

「じゃあ紫乃ちゃん。行こう」

「はい」


 駅前はすっかりクリスマスムードだった。

「隣り街ってことは、電車で一駅だよね」

「は、はい。そうです」

 紫乃は運賃の一覧表を眺める弓奈の横顔をぼんやり見つめていた。二人きりで遠くへお出かけするのは初めてである。紫乃はまるで自分の心臓が少し浮かび上がっているかのようなただならぬドキドキ感を味わっていた。

「ねぇ紫乃ちゃん」

「なんですか」

 乗り込んだ車内の二人席はとても温かかった。

「紫乃ちゃんはぬいぐるみとか持ってたの? 小さい頃」

「そ、そんな子どもっぽいもの・・・持ってなかったです」

「へー。昔からクールなんだね」

 紫乃はまた弓奈に嘘をついてしまった。本当はもっと素直になりたいのだが、彼女は今自分の肩に伝わってくる弓奈の温もりと感触に耐えることで必死なのだ。

「紫乃ちゃん、着くよ。降りよう」

「は、はい」

 ドアが開くと同時に二人を迎えたのは、北風とクリスマスソング、そして幻想的なイルミネーションだった。いつの間にか日が沈んでいたらしい。急にわくわくしてきた弓奈は紫乃の背中押すようにして改札を抜けた。

「どこのお店なのかな」

「シャランドゥレタワーの中にある店だと思います。あそこはフランスの店舗がたくさん入ってるので」

「なんか・・・凄そうだね」

 実際凄いタワーなのである。シャランドゥレタワーは4年前に完成した地上高210メートルのタワーで、ショッピングモールやテレビ局、映画館や展望台までを備えたフレンチな雰囲気いっぱいの商業塔だ。女性向けのサービスと品しか取り扱っていないという徹底ぶりからサンキスト生やその卒業生に人気なのだが、きっと関係者が経営しているに違いないと生徒達は睨んでいる。

 二人は幾千の電飾に彩られたウッドテラスを抜け、屋外にある長い昇りエスカレーターに乗った。弓奈は徐々に広がって行く夜景に胸をときめかせ、紫乃は目の前にやってきた弓奈の腕に、バレないようにそっともたれた。

 吹き抜けを構成した14階から22階に及ぶ巨大なショッピングモールをしばらく彷徨い、二人はようやくフルゥール社製品専門の雑貨店を見つけ出した。

「あ、あれです。あれがバニウオです」

 赤、白、緑、そして金銀というクリスマスカラーに溢れた華やかな商品棚の最上部にその魚は横たわっていた。

「お・・・大きいんだね」

「はい。雪乃の体と同じくらいあるんです。もっと小さいのを想像していましたか」

「うん。でも残っててよかった」

 弓奈は背を伸ばしてバニウオを棚から抱き下ろした。確かに顔はふてぶてしいが、柔らか素材と巨大なウサギ耳が病み付きになる抱き心地を生んでいる。二人はバニウオをレジへ運んだ。

「12000円になります」

「えっ!」

 顔の血が引いて行く弓奈の脇で、紫乃は冷静に財布を開けた。

「お気持ちだけで大丈夫です弓奈さん。私の妹のことですから、自分がお金を出します」

「プ、プレゼントだから・・・私も少し出すね」

 弓奈は150円出した。



「弓奈さん、どうかされましたか」

 弓奈がエスカレーターの前で立ち止まりタワーのパンフレットに釘付けになっている。

「紫乃ちゃん、お願いがあるんだけど」

「な、なんですか」

「展望フロア・・・昇ってみたいんだけど」

 まもなく19時である。冬休みなので門限は気にしなくて良いのだが、寄り道していてはとてもクリスマス会に顔を出すことはできない。

「ダメ・・・だよね。ごめんね変なお願いして」

「・・・しょうがない人ですね」

「え?」

「世間知らずな弓奈さんのために、臨時社会科見学をしていきましょう」

「やったぁ! 行こう紫乃ちゃん」

 会長を含め様々な恋のライバルたちが集う学園の時計塔へ戻るのと、弓奈を独り占めしてロマンチックな街を見て回るのと、どちらが幸せなクリスマスイブかという問題である。これは紫乃が今年解いた問題の中でもっとも簡単な問いであった。

「展望フロアへ行くには専用の直通エレベーターに乗るみたいです」

「お金かからないといいけど」

 幻想的な綾を織るカーペットと高い天井を持った受付フロアは、暗めの照明が設置されていてなんだか高校生が近寄りがたいオトナの香りがする。

「し、紫乃ちゃん! 展望フロアに上るだけで一人2000円もかかるみたいだよ」

「それは・・・厳しいですね。私たちの財布は魚を一尾買うのが限界でしたから」

「あきらめようか」

「・・・そうですね」

 二人が受付窓口に背を向けると、白いスーツ女性が小さく咳払いをして近づいてきた。

「サンキスト女学園の生徒とお見受け致しますが」

「は、はい」

 制服のまま学園を出て来たのでバレて当然ではあるが、それが原因で呼び止められる理由は見つからない。

「このタワーは人間が作ったものでございます。可愛らしいお財布に左右されるような些細なお悩みの解決に魔法も奇跡も必要ありません。必要なのは、目をこらすこと」

 スーツの彼女はそう言ってタワーのパンフレットの裏側を指差す。そこには粉雪のような極小文字で次のように記されていた。



『なお、クリスマスイブに限りサンキスト女学園生徒の展望フロアへの入場を無料とさせて頂きます』



「無料なんですか!?」

 なんて限定的なサービスであろうか。経営者は間違いなくサンキスト女学園出身である。おそらくこのスーツの女性も。

「50階展望フロアへの直通エレベーターはお客様の貸し切りでございます。お足下にご注意下さいませ」

 二人はあれよあれよという間に幻想的なブルーのライトに彩られた円柱型のエレベーターの中に入れられた。

「ボンヴォワイヤージュ。よいクリスマスイヴを」

「ど、どうも」

 エレベーターが動き出してから弓奈はそっと紫乃を見た。自分のすぐ隣りに立つ彼女はバニウオを抱きかかえたまま上目遣いで弓奈を見つめている。どうやらカップルだと勘違いされたらしい。

「面白い人だったね」

「・・・はい」

「ボンヴォワイヤージュってどういう意味だっけ」

「弓奈さん。一学期の範囲の復習もちゃんとやらなきゃダメですよ」

「そういう意味のフランス語なの?」

「違います」

「えへ」

 エレベーターのモニターが示す数字が50になると、扉は可愛らしいベルの音と共に開いた。

「行こう!」

「はい」

 展望フロア暗かった。それは360度開けた窓からの夜景を楽しむためである。

「すっごーい・・・」

 二人が飛びついた窓にはまるで宝石をちりばめたような街の輝きがどこまでも続いていた。

「高いね・・・遠足で行った横浜見えないかな」

 二人の肩が少し触れ合ってしまったので、距離を置くために弓奈が少し歩いてみると今度は真下に駅前のロータリーが見えた。

「紫乃ちゃん見て。駅前のイルミネーション、上から見ると雪の結晶の形になってるよ」

 再び二人の肩が触れ合う。弓奈がさらに東側へ移動すると遠くにライトアップされたサンキスト女学園が見えた。

「あ、あれ時計塔だよ! クリスマス会始まってるかなぁ」

 ここへきてようやく弓奈は傍らにいる紫乃が先程から一度も言葉を発していないことに気がついた。

「紫乃ちゃん、どうかした?」

 暗いせいで彼女の表情は見えないがいつもよりちょっぴり距離が近い。硬派な紫乃ちゃんが自分に甘える訳が無いので足が疲れたのだろうと弓奈は思った。

「そういえば、結構歩いたね。あっちの椅子に座ろっか」

「・・・はい」

 紫乃にとってそれは夢を見ているような時間だったのだ。紫乃はクリスマス色に輝くその素晴らしい夜景を、全て弓奈の瞳の中に見た。自分の大好きな人の瞳に映る景色は、直接眺めるよりも100倍輝いて見えるものなのである。嘘をついていてごめんなさい・・・私はあなたのことが好きです・・・紫乃は腕の中のバニウオに半分顔をうずめながら、秘め事への罪悪感と加速する恋の欲求を一緒にぎゅうっと抱きしめた。

「紫乃ちゃん見て」

 美しすぎる横顔が紫乃を呼んだ。

「・・・なんですか」

 火照った胸からでた返事はいつもより少し高くなった。

「雪、雪が降ってきたよ」





 今夜も雪乃は眠れずにベッドの上でひざを抱え、谷底に落としてしまった友達の姿を暗闇に描きながらすすり泣いていた。

 不意に雪乃は寝室の外に人の気配を感じる。聴覚がそこそこ冴えた彼女には、それが母の足音でないことはすぐに分かった。

「・・・お姉ちゃん?」

 どうやら姉一人ではなさそうなのだが怖くて確認できない。雪乃が頭から布団を被って震えていると、寝室の扉はゆっくりと開いた。

「ただいま雪乃ちゃん! ボクだよ!」

 耳の大きなお魚が部屋に入ってきた。

「ボク帰って来たよ! 雪乃ちゃんのお部屋がボクのおうちなんだ」

「・・・弓奈?」

 魚が少し沈黙した。

「ゆ・・・弓奈ちゃんって誰かなぁ。ボクはバニウオだよぉ」

 虹色の巨大なお魚は雪乃のベッドに顔を出して耳をパタパタ振ったり体を元気にふるわせたりした。雪乃は必死に涙が溢れるのを堪えていたが、バニウオに「メリークリスマス」と言われ優しくキスされた瞬間、その堤防は一気に決壊してしまった。

「うあーーーん!」

 雪乃はバニウオを思い切り抱きしめ、そのお腹に顔を押し当てながら大泣きした。

 二人はほっと胸を撫で下ろし雪乃の部屋をそっと抜け出す。そして鈴原邸の玄関から出た瞬間にクリスマスイヴの夜空へと思い切り駆け出した。こんなに楽しい夜は弓奈にとっても紫乃にとっても初めてだったのだ。

「紫乃ちゃーん!」

「なんですかー」

 降りしきる雪の中、プラタナス並木の真ん中で天使のような笑顔が紫乃を振り返った。

「メリークリスマス!」

 時計塔の鐘が鳴った。

 

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