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34、選挙


 およそ二週間前、弓奈は小熊会長に呼び出された。

「実はね、弓奈ちゃんにお願いがあるの」

「なんでしょうか」

 その日の会長は珍しく髪にストレートパーマをかけていた。ブロンドの少女はなにをしても女優のようでうらやましい。

「もうすぐ生徒会長選挙があるでしょう。それでね、弓奈ちゃんに私の推薦人をやって欲しいのよ」

「スイセンニン・・・ですか」

 面倒なことになってきた。

「つまり・・・会長はまたもう一年間生徒会長を務めるんですね」

 小熊会長はまだ二年生なのでそれも可能である。

「他に候補者が出ればその人に譲るつもりよ。でも、今年はきっと誰も立候補しないわ。私には分かるの」

 体育祭や学園祭であんなに頑張って生徒会のアピールをしたというのに実に報われない。しかしこの世の中のことは大抵会長の予想通りに動くのでおそらくそうなるのだろう。

「でも小熊先輩しか立候補しないんだったら選挙にならないんじゃないですか」

「信任投票になるわね。私を会長にするかどうかで決を取るのよ。去年もそうだったわ」

「なるほど・・・」

「引き受けてくれるかしら」

 確かに日頃会長にはお世話になっているが、推薦人ともなれば大勢の前で演説の一つくらいさせられるかもしれない。目立つことを避けている弓奈がそのような仕事を引き受けたいと思うわけがない。

「・・・光栄ですけど私じゃ力不足だと思います。紫乃ちゃんのほうが・・・」

「んもぅ、お願ぁい。弓奈ちゃんがいいのよ」

「ま、待って下さい! 分かりました! 引き受けますから、そこは触らないで!」

 脅迫である。善良な市民ほど力に屈するものだ。

「まあ嬉しい。それじゃあお願いするわ」

「・・・はい」

「言い忘れてたけど、私はちょうど投票日に別の用事があって出席できないから、弓奈ちゃん一人で演説お願いね」

「え!」



 このような経緯で、弓奈は今日たった一人ホールのステージで小熊アンナ前生徒会長の再選推薦演説をすることになった。

「原稿は持ってきましたか」

「うん。大丈夫。紫乃ちゃんも司会頑張ってね」

「こんな大事な日に用事だなんて・・・会長はどうしようもない人です」

 ステージの脇から覗く限り、巨大な映画館のようなこのホールには学園生徒およそ3000人が既に集まったようである。日曜日に、しかも学生主体で開催しているというのにこの集まりの良さ・・・サンキストの生徒は実に真面目である。

「弓奈さん、緊張してるんですか」

「・・・うん」

 小熊会長の理不尽な要望に応え、緊張で体をがちがちにしている愛しい弓奈を励ましてあげたいと紫乃は思ったが、どうしていいか分からない。

「弓奈さん、あなたは生徒会員です。こんなことで緊張していてどうするんですか」

「そ、そうだよね。頑張るね」

 また冷たいことを言ってしまった。冷たく突き放すような態度が紫乃のアイデンティティではあるが、ちょっと弓奈が可哀想になってきた。紫乃はなんとかして彼女を笑顔にしようと知恵をしぼる。

「これが終わったら・・・一緒に花でも見に行きますか」

 はやりこれしかないだろう。

「え! ほんとに?」

「信任投票の選挙ですからすぐに終わるでしょう。開票を終えても、午後には自由になれるはずです」

「じゃあじゃあ、金木犀見に行こう。時計塔の周りにたくさん咲いてるらしいの。いい香りがするんだよ!」

 あなたの方がいい香りがしています・・・そう紫乃は心の中でつぶやいた。

「それでは演説を滞りなく粛々とこなしたら、時計塔へ連れてってあげてもいいです」

「やったあ! 私演説がんばるね」

 時間が来た。司会の紫乃は放送機器でブザーを鳴らしてからマイクのスイッチを入れる。

「ただいまより第190回サンキスト女学園生徒会長選挙演説会を開催します。静粛に願います」

 さて、日曜日に全校生徒が集まった理由についてはここで補足する必要がある。彼女たちはある目当てがあってこのホールへやって来たのだ。

「説明は以上です。それでは推薦人、一年C1組の倉木弓奈さん。どうぞ」

 名前を呼ばれステージへ踏み込んだ瞬間、弓奈は次の一歩を差し出す勇気を砕かれる黄色い歓声の一斉砲撃を受けた。

「弓奈さまー!」

「弓奈ちゃーん!」

「女神さまぁー!」

「弓ちゃん可愛ーい!」

 お祭り状態である。生徒達は紫乃が厳重注意をするまで騒ぎまくった。

「えーと・・・」

 実に演説しにくい。だがこれが終われば紫乃ちゃんと一緒に花を見に行くことが出来るはずなのだ。弓奈は勇気を奮ってホールの椅子を埋め尽くす何千もの眼差しに立ち向かった。

「い、一年C1組の倉木弓奈です。私が小熊アンナさんを推薦する理由は・・・」


 ホール最上部の放送室は密室である。ここに籠ってダージリンティーを飲みつつステージの演説をモニターしている少女がいた。

「さあ弓奈ちゃん、聴かせてくれるかしら。あなたの気持ち」

 小熊アンナである。用事があるから欠席というのは嘘だったのだ。これぞ「カワイイ弓奈ちゃんが自分をベタ褒めする演説をお茶しながら誰にも邪魔されずに楽しんじゃうわ大作戦」である。いつの世も天才の考えることは理解しがたい。


「・・・以上です。ご清聴ありがとうございました」

 演説は無事終了した。弓奈は手のひらの汗でふにゃふにゃになった原稿を抱え、聴衆の大歓声から逃げるように舞台を去った。

「初めにご説明申し上げました通り、小熊アンナさんの再選に賛成の場合はお配りしている用紙に彼女の名前をしっかり記入して、反対の方は白紙のまま正面の投票箱に提出して下さい」

 生徒達は皆カバンからペンケースを取り出している。これは小熊会長の再選が問題なく決まりそうだ。

「提出した方から順に解散して下さい。本日はご協力ありがとうございました」

 60名のクラス委員の協力で開票はあっと言う間に行われる。なにしろ文字が書いてあれば賛成、なければ反対というものなので簡単な作業なのだ。

 ところが、ランチのことなどを考えながら機材の片付けをしていた弓奈たちの元に残念なお知らせが届く。

「あの、鈴原さん、倉木さん・・・」

「クラス委員の方ですね。ありがとうございます。選挙結果出ましたか」

「出たのですが・・・こうなっちゃいました」



 『倉木弓奈 2159票 小熊アンナ 841票』



「えー・・・寮に戻られた皆さんにもう一度ホールに集まって頂いたのは、この選挙に関して誤解があったからです」

 3000人の生徒たちが必死に笑いをこらえている。

「立候補しているのはあくまで小熊アンナさんでありまして、倉木さんは推薦人なんです。立候補していないんです」

「はい・・・私は立候補していません」

 放送室の小熊会長もティーカップを傾けながら上品にクスクス笑っている。

「無効票が三分の二も出てしまうと、規則により選挙が成立しません。もう一度紙を配りますので、小熊アンナと書くか白紙のまま提出するかのどちらかを選んで下さい。お願いします」

「お願いします・・・」

 生徒たちはサンドイッチなどを食べながらカバンからペンケースを取り出し用紙に記入し始めた。弓奈たちもランチにしたいが選挙が終わるまではおあずけである。

「まあ、ここまで言えばきっと大丈夫でしょう」

 紫乃が弓奈に耳打ちした。

「そうだね。これが終わったら私たちもランチにして、その後一緒に時計塔へ行こうね」

「そうですね」



 『倉木弓奈 2565票 小熊アンナ 435票』



「皆さん。もう一度よく聴いて下さい。倉木弓奈さんは立候補していないんです」

 生徒たちはお腹を抱えて笑っている。

「なんでさっきより倉木さんへの票が増えてるんですか。いいですか、推薦人の名前は記入しないで下さい。お願いします」

「お願いしまーす・・・」

 小熊アンナ会長は生徒たちから大人気なので彼女の再選に反対するものは誰一人いない。ただ生徒たちは学園のアイドル倉木弓奈が困っている顔が見たいのだ。その世界一愛らしい困り果てた表情を。

「紫乃ちゃん、ちょっとマイク貸して・・・」

「は、はい」

 全ては弓奈がモテているからいけないのである。ここは一つ嫌われるような事をして小熊アンナ票を入れさせるしかない。

「えーと・・・」

 例えばぶっきらぼうな言葉遣いである。

「あ、あんたたちさ! 黙って小熊アンナって書いたらどうなの?」

 客席が盛り上がった。作戦失敗である。弓奈はそっとステージを降りた。

「これで終わればいいですけど」

 紫乃が弓奈に耳打ちする。

「そうだね・・・終わったら金木犀見に行こうね」

「はい。早く行かないと散りそうです」



 『倉木弓奈 2913票 小熊アンナ 87票』



 このような投票をさらに繰り返すこと5回。ホールの外は茜色に染まっていた。

 お昼ご飯を食べていない弓奈たちの気力と体力は限界を迎えつつある。これはもはや生徒会員二人と生徒たちの戦いなのだ。

「皆さーんいい加減にして下さーい・・・」

「私は立候補していませーん」

 生徒たちはお菓子を食べながら早くもペンケースを取り出している。中には寮から持ち込んだ双眼鏡で弓奈の表情を観察する危ない子まで現れ、さながら遠足のような光景が客席に広がっていた。

「わかりました・・・ではこうしましょう。次に倉木さんの名前を書いて投票した場合、それは彼女の推薦する小熊さんへの賛成票と見なします。無効票には致しません。いいですね?」

「おおー」

「おおー」

 生徒たちの間から紫乃の戦略に対する賞賛の声が上がった。

「さすがだねぇ紫乃ちゃん」

 紫乃は胸を張ってマイクを握りしめた。

「これで我々の勝ちです。さ、早く用紙に記入して下さい。生徒会長に相応しいと思う生徒の名前を」

 生徒たちは弓奈の困った表情を引き続き見る方法を考え始めた。果たして生徒たちの弓奈への愛は紫乃の知略に勝ることが出来るのだろうか。

 ホールのやり取りをスピーカーから聴いていた放送室の小熊会長は、ここで再びクスクス笑い出した。彼女にはこの後の展開が読めているようである。

「弓奈さん、これで選挙は終わります。ですからその・・・情けない表情をやめていつものように笑って下さい。夕食の前に少しだけならお花を見に行けるかもしれませんよ」

「そ、そうだね。ありがとう紫乃ちゃん。ホントに長い一日だったね」

「はい。弓奈さん、おつかれさまでした」



 『鈴原紫乃 3000票』



 選挙は深夜まで続いた。

 

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