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33、生徒会喫茶アンナ


「い、いらっしゃいませ」

 テーブルの陰に据えられたスピーカーからはワルツ19番イ短調が流れている。弓奈はまだお客様が一人も来ていない店内で入り口に向かってひたすら挨拶のリハーサルを繰り返していた。セレモニーを終えてすぐに着替えてからずっとこの状態なのでかれこれ30分もお辞儀をしている。

「ご、ご注文はお決まりですか」

「ゆーみーなーちゃん」

 小熊会長が弓奈を背後から抱きしめた。会長は容赦なく人の体を触るのだが、例えばそれが無邪気に脇腹をくすぐったり頬をつついたりするような可愛いいたずらならまだ良い。彼女のスキンシップはとてもゆるやかで柔らかく抜け目のない持続性を伴い、しかも手や足、胸そして唇や頬までもを活用した全身密着スタイルなので計り知れないいやらしさを誇っているのだ。本当にこの人は高校2年生なのかと弓奈は時々疑っている。

「会長・・・胸は触らないで下さい」

「衣装とーっても似合っているわよ」

「あ、ありがとうございます・・・」

 会長は弓奈の首筋にそっと唇を押し当ててからようやく離れた。

「廊下係の鈴原さんの様子を見てくるわね」

「あ、はい。お願いします」

 廊下係とはお客様が廊下に行列を作ったときの整理券配りをしたり近隣を歩いてお店の宣伝をしたりする係である。本人の希望により紫乃の廊下配属が決定した。これくらいお店が暇なら宣伝以外の仕事はなさそうだ・・・会長の美しい後ろ姿を見送りながら弓奈はそう思った。

「鈴原さん、お姫様がお城で退屈されてるわよ」

「あ、会長。すみません、もう少し我慢して下さい」

 弓奈は知らなかったのだが、生徒会喫茶の前にはとんでもない長さの行列が出来ていたのだ。

「あなたはリボンが乱れています。生徒会喫茶への立ち入りは許可されません」

「えー!」

「あなたはスカートが5ミリ短いです。直してからまた来て下さい」

「そんなぁ!」

 行列の先頭ではウェイトレス姿の紫乃がデスクにつき、お客の一人一人をチェックしている。さながら検問である。彼女は弓奈を狙ってくる女性たちをそのまま店内に流し込むことの危険性を熟知しているのだ。弓奈の身体と精神を護るためにはお客の厳選は不可欠なのである。

「あらあら、がんばってるのね鈴原さん。それじゃあ私たちは店内でお茶しながら待っているわ」

「はい」

 客をひたむきに待つ店員、客を突き返す店員、そしてお茶を飲み出す店員。生徒会喫茶アンナにはバラエティ豊かなスタッフが揃っている。

「あなたは腰のラインが卑猥です。学生らしい清楚なスタイルになってからまたどうぞ」

「ええ! どうすればいいのよぉ!」

「次の方ー」

 紫乃の前に見慣れないセーラー服の少女が現れた。

「わた、私! お姉様に! お会い、お会いしたくて!」

 中学生と思われる彼女の気合いの入った眼差しは純情色に輝いている。揚げ足をとって追い払うことは簡単だが、もしかしたら来年あたりにサンキスト女学園を受験するかもしれない少女の胸に哀しい思い出を残してしまうのは些か気が引ける。

「わた、私! 私!」

「いいですよ」

「え?」

「入店を許可すると言っているんです。・・・早く入って下さい」

「あ、ありがとうございますぅ!」

 初の入店者に行列がざわめいた。少女はイチゴヘアゴムのツインテールを揺らして深くお辞儀をすると緊張した面持ちで店へ入っていった。

 その後しばらく紫乃がお客様の入店拒否を続けていると見覚えのある少女がやってきた。

「次の方どうぞ」

「やっほー鈴原。ホントにこれ喫茶店の行列だったんだ。マジ混み過ぎでしょ。ジェットコースターかと思った。ここって冷たい飲み物出るの? さっき公開練習終わったばっかりだから喉乾いてるんだよねぇ。テニスって超疲れるスポーツなんだよ。ユーサンソ運動ってやつ? でもまあ、うちは毎朝走って鍛えてるから・・・」

「次の方どうぞ」

「ちょっとぉ! 無視しないでよ」

 野生の安斎舞は至る所に出没する。キラッと光るキバを向いて襲ってくるので注意が必要だ。

「あなたの目には知性が感じられません。もしどうしてもカフェに入りたいのであれば・・・」

「なぁに?」

 紫乃はカバンから3000ページある百科事典を取り出して舞に差し出した。

「これを全て暗唱できるようにしてからまた来て下さい」

「はぁ!? ・・・わ、分かったよ。覚えてくればいいんでしょ」

 舞は去った。変なところだけ素直である。

 その後もさらに入店拒否を続けていると最高に怪しい女性が現れた。

「次の方どうぞ」

「お茶を・・・飲みたい」

 その女性は学生ではない一般のお客様で、大きな白いマスクに顔の半分を隠している。紫乃に向けられた彼女の眼差しは凛としていながらもその背後に激しい疲労感と不幸の星を隠しているように見えた。

「お茶を・・・飲みたいんだ」

「た、体調が優れないのでしたら保健室へ行かれてはいかがでしょうか」

「いや、ドーナツ・・・ではなくてパフェも食べたいんだ。頼む、入れてくれ」

 入店を拒否したら卒倒してしまいそうである。怪しい女性を弓奈に近づけたくはないが、弓奈を狙っている訳でもなさそうなので入店を許可することにした。

「では・・・どうぞ」

「おお、感謝する」

 女性はフラフラしながら店内へ入っていった。

「次の方どうぞー」

「はい!」

「あなたは顔と声が合っていませんので直して来て下さい。次の方ー」

「はーい!」

「あなたはリボンが360度曲がっていますので直して来て下さい。次の方ー」

「よろしくお願いします!」

「あなたは背中がお腹より後ろについているので直して来て下さい。次の方どうぞー」




「ご注文はお決まりですか」

「お姉様のサインを下さい! ほっぺに!」

 元気なお客様である。弓奈は苦笑いしながらペンで彼女のピンク色のほっぺに『ゆ』と描いた。

「ご注文はお決まりですか」

「無料のバスが出ていることに気づかず歩いて来たんだ・・・。もう死にそうだ」

 陰気なお客様である。弓奈は苦笑いしながら石津さんに約束の紅茶とわざわざ足を運んでくれたお礼でパフェをプレゼントした。石津さんの巨大なマスクは彼女が自分の喉を大切にしている証拠だと思われる。腐っても歌手なのだ。

 ちなみにパフェは一人目のお客様がやって来た直後に到着した香山先生が鼻歌を歌いながら厨房で作っている。先生は高校生の頃二年生寮のフォカッチャ・ドルチェでアルバイトをしていたらしく、名物のオーロラパフェを上手に作ってくれた。

「わた、私! 春の体育祭で弓奈お姉様を初めて見て! それがすごくかっこよくて! でも今日はかっこいいだけじゃなくて! すごく、かわいいです!」

「あ、ありがとう。じゃなくて、ありがとうございます」

「このパフェ・・・懐かしいな」

「喜んで頂けて光栄ですわ、マスクのお姉様。私はこの学園の生徒会長兼喫茶店長の小熊アンナと申します」

「小熊君か。すごい存在感だな、特に髪が」

「・・・とても光栄ですわ、あなたのような方にこんなところでお会い出来るなんて。弓奈ちゃんとはどんな関係ですの?」

「キミは聡いな。弓奈君とはドーナツ仲間だ」

「まあ素敵」

「会長様も素敵ですぅ!」

「あら、嬉しいわ。素直で可愛いお嬢ちゃん」

「サインを下さい! ほっぺに!」

「じゃあ反対のほっぺにクマの絵でも描いちゃおうかしら」

「キャ! くすぐったいですぅ!」

「サクランボを食べるのは6年ぶりだ・・・」

「キャー弓奈お姉様ぁ! 助けてくださーい。私会長さんに襲われていますぅ」

「た・・・種を飲んでしまった!」

 実に混沌とした喫茶店である。彼女たちはこのエントロピーの高い午後のひとときをそれなりに楽しく過ごしたのだった。




「あい。しんぞくへのいつくしみのこころ。こうぎでは・・・えーと」

「はい、不正解です。さようなら」

「ちょっと! なんで私こんなの覚えなきゃいけないの!」

「内から出る知的なオーラを手にするには辞書の一冊や二冊の暗記は必要です」

「そういう鈴原は覚えてんの?」

「もちろんです。ですが、あなたのようなフィールドピンポン中毒者に披露する知識はありません」

「なにそのテーブルテニスみたいな言い方・・・とにかくすぐリベンジするから。覚えてなよ鈴原」

「覚えなきゃいけないのはあなたの方です」

「腹立つぅ!」

 他の来客者は紫乃のあまりに厳しい検問ぶりに入店をあきらめたようである。彼女たちは学舎の北側のエリアに大挙して廊下の窓からキャーキャー言いながら喫茶店内の弓奈を眺めることにしたのだ。彼女たちはそれで満足らしい。




 日は傾いた。

 紫乃は夕焼け色の廊下でぐったりしていた。なにしろ紫乃は今日訪れた数限りない少女たちと同じくらい、いや彼女たち以上にウェイトレス姿の弓奈に会いたかったのだ。ところが弓奈を想うばかりに廊下係を引き受け、そのために結局弓奈の姿を一度も拝むことなく学園祭を終えてしまった。先程今日の頑張りを労いに来てくれた小熊会長は既に制服姿だったので喫茶店もウェイトレスも全て終わってしまったようである。紫乃はそれが悲しくて悲しくて仕方が無いのだ。

「はぁ・・・」

 紫乃はため息をついた。紫乃も早く制服に着替えなくてはならない。彼女はそっと店内に入った。

「いらっしゃいませ」

「えっ」

「1名様ですね。こちらへどうぞ」

 お客さんも会長も香山先生も去った店内に弓奈はいた。

「ゆ、弓奈さん。なにを・・・」

「こちらがメニューになります」

 左のページに紅茶のティーカップがひとつ、右のページにカラフルなパフェがひとつ描かれた手作りのメニューだ。店内は完全に二人きりである。紫乃は顔がアツくなってきた。

「では、紅茶と・・・パフェを」

 思わず注文してしまった。ウェイトレスの弓奈は「かしこまりました。少々お待ちください」と笑顔で告げて厨房へ行った。一体どういうことなのか紫乃にはサッパリ分からないが、茜色の窓と厨房の扉を交互に見つめながら彼女を待つことにした。

「お待たせいたしました」

「・・・は、はい」

 弓奈が作ったと思われるそのオーロラパフェはクリームが明後日の方向を向いていた。

「い、いただきます」

「待って」

 弓奈は紫乃の隣りに腰掛け、彼女のスプーンを手に取った。

「あーんして・・・」

「え?」

 紫乃は自分の耳を疑った。

「あーんして・・・紫乃ちゃん」

 EARNして、つまり稼げという指令だろうか・・・いや、およそこの状況では口を開けてくれというお願いに違いない。紫乃は混乱した頭の中から次の行動を正しく選択していくのに必死だ。

「あ・・・あーん」

 紫乃が目を閉じてそっと口を開けると、優しいスプーンの舌触りと共にチョコレートとクリームと果実の豊かな風味が彼女の口いっぱいに広がった。幸せで頭がくらくらするこの感覚は以前夢の中で味わったものに限りなく近い。

「あのね、紫乃ちゃん」

 お互いの肩が触れ合う。

「前から言いたい言いたいって思ってたんだけど」

「は、はい」

 いつの間にか紫乃は弓奈の甘い香りに包まれていた。もう紫乃は彼女の目を見ることが出来ない。

「・・・いつもありがとう紫乃ちゃん。これからも、よろしくね」

 夕焼けの中でコスモスがやさしく揺れた。

「しょ、しょうがない人ですね」

「えへ・・・なんかちょっと照れちゃった」

 弓奈は紫乃の肩におでこを一回当ててから立ち上がった。

「今日は楽しかったね! お客さんは三人だけだったけど」

「え! そ、そうですね」

 本当は1000人くらいいた。

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

 

 

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