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31、商売

 

 石津さんはいつも空腹だ。

 まさかいるとは思わなかったのに、駅前のドーナツ屋の正面で弓奈は彼女を発見した。「偶然だ」などと石津さんは言うがきっと毎日弓奈を待っていたのだろう。

「君にお願いがあるんだ」

 石津さんが食べているオレンジトーストの代金は弓奈が払った。あのような物欲しそうな目でショーケースを見つめられてはどうしようもない。

「あの・・・お金貸してとかはホントにやめて下さいね」

「ばかを言え。私とて常識はわきまえている」

 常識をわきまえているなら年下にドーナツをおごらせないで欲しい。一年生はアルバイトが出来ないので弓奈の小遣いもキツキツなのだ。イヤなものはイヤと言える大人になりたいと弓奈は思っている。

「お願いというのは、髪をひとつ編みにしてみて欲しいんだ」

「え」

「今だけでいい」

 人の容姿になど全く興味なさそうな石津さんが髪型について語り出したので弓奈は驚いた。

「ひとつ編みって・・・三つ編みで一本にまとめればいいんですか」

「その通りだ」

 どうも石津さんのペースに飲まれているような気がするが、彼女の望み通り弓奈はポニーテールをほどいて粗めに三つ編みを作っていった。その間石津さんは弓奈に目もくれずトーストのマーマレードにきらめく天井のライトを見つめていた。

「・・・できましたけど」

 石津さんが顔を上げた。こうして見つめ合ってみると石津さんは端麗館とかいう化粧品会社のCMによく出ている有名人に似ている気がした。いつも石津さんはスッピンに近いのだが、彼女が本気でお化粧をしたらきっとすごく華やかになるだろうと弓奈は思った。

「なるほど」

「・・・何がなるほどなんですか」

 石津さんは窓の外に目を向けながら小さい声で答えた。

「君はあの人に似ている」

「あの人・・・?」

 石津さんはトーストを口いっぱいに頬張ってしばらくもぐもぐしたあと、死神のような暗い目をして語り出す。

「私は恋をしているんだ・・・」

「コ、コイですか」

 川底の淡水魚の持つ泥っぽい風味は酸性の調味料を使用することで抑えられる。

「そうだ。恋だ」

「それがこの前おっしゃっていた悩みっていうやつですか」

「ああ」

 恋とは無縁そうな石津さんにも一塊の乙女心はあるらしい。

「私の本当の人生はあの人に出会った日から始まったんだ・・・」

「そうですかぁ・・・」

 恋はもう少し楽しそうに語って欲しいものである。

「だから彼女は私の人生そのものなんだ」

「か、彼女?」

 ひとつ編みの男性はそうそういないと思っていたがまさか石津さんにまでそんな趣味があるとは全く弓奈の予期せぬことであった。

「んーと・・・その人は事務所の同僚さんとかですか」

 石津さんは自称ミュージシャンなのでその同僚となると歌手である可能性が高い。

「はずれだ。彼女は私の高校時代の同級生だ」

 この時なぜか弓奈の頭に紫乃の姿が浮かんだ。

「その人とは今も連絡取り合ってるんですか」

「まさか。彼女は私の名前すら覚えていないだろう」

「片思いってことなんですね・・・」

 そこに同性愛が絡んでいること以外はよくあるお話である。

「あの人のことを考えると作曲も手につかない・・・」

「はぁ」

 空腹と恋煩いを併発していてはいよいよ歌手生命が危うい。

「そこで君にお願いがある」

「な、なんでしょうか・・・」

 君にあの人の代わりをやって欲しいなどというのが一番面倒なお願いである。弓奈は自分の体が大事だ。

「サンキスト女学園の職員室か事務室にある5年前の卒業生の連絡先が乗った名簿を盗みだしてきてくれないか」

「・・・え」

 弓奈は絶句した。やはり石津さんは危ない人だったのだ。

「釈然としない顔をしている。もう一度言おうか」

「いえ! その、石津さんもサンキスト出身だったんですね」

「そうだ」

「それで同級生だったその人の住所とかが知りたくて、個人情報を学園から盗ってきて欲しいって、そういうことですよね」

「その通りだ」

 これ以上石津さんのペースに巻き込まれれば犯罪に手を染めかねない。弓奈は自分をしっかり持って彼女の依頼を断ることにした。

「あの・・・申し訳ないんですけど、あんまり悪いことはしたくないんで、ごめんなさい」

「なるほど。君は優等生だな。さては生徒会員か」

「あ・・・正解です」

「おお、当たりか」

 石津さんは得意気にカフェオレを飲む。ちなみにこのカフェオレも弓奈が恵んだものだ。

「そういえば石津さん。十月の第四日曜日は何か予定ありますか」

「私は平日と土日以外は全て忙しい」

 つまり暇ということだろう。

「学園祭があるのでよかったらいらして下さい。生徒会で喫茶店やったりするので、ぜひ」

 生徒会でなにかを催したところで誰も来ないと思っている弓奈は今のうちからお客さんを集めておきたいのだ。

「ドーナツの類いはでるか」

「ごめんなさい。メニューは紅茶とパフェだけなんです」

 石津さんはちょっとカッコつけて答える。

「いいだろう。久々に母校を訪れるのもわるくない」

「多分紅茶一杯300円の予定なんですけど」

「300円?」

 石津さんはうなだれて声を震わせた。

「300円・・・300円・・・」

「な、泣かないで下さい! 店員さん来ちゃいます」

「うぅ。さん、さんびゃ・・・く。うぅ」

「じゃあ・・・石津さんの分はこっそり私が用意しておきますから!」

 弓奈は商売ができない女なのだ。

 

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