29、ネコ
紫乃がその異変に気がついたのは朝の食堂だった。
「おはようございます、弓奈さん」
その日も紫乃は弓奈がいつも腰掛けている柱時計の側の席についた。弓奈と紫乃は別に朝食を一緒に食べる約束をしているわけではないのだが、二人揃うまで弓奈は朝食に手をつけずに待っていてくれる。
「あれ?」
そう言って弓奈が紫乃を見つめてきた。
「な、なんですか」
「こんなところにネコちゃんがいる」
「ネ、ネコ?」
何の冗談かわからないが、弓奈はそのまま紫乃の髪を撫で始めた。
「どこから来たの? 学園に住んでるのかな」
「ゆ、弓奈さん・・・やめて下さい。怒りますよ」
弓奈はその温かい手で紫乃の頬をむにむに触ったり顎のあたりをコチョコチョしたりした。紫乃は顔から火が出そうである。
「お腹空いてる? 私が育ててあげるね」
「ゆ、弓奈さん?」
「私の部屋行こうか」
「いや、朝食ならここにありますし、今から寮へ戻っていたら授業に遅れちゃいます」
「にゃーにゃー、可愛いね」
「にゃーにゃーなんて言ってないです!」
弓奈にはなぜか紫乃の声が全てネコの鳴き声に聞こえているらしい。紫乃は訳も分からぬまま弓奈に手を引かれて彼女の部屋へ来てしまった。
「ネコちゃんは何を食べるのかなぁ」
弓奈がキッチンで紫乃の食事を用意している。自分が人間であるアピールをすることに疲れた紫乃は仕方なく弓奈の支持通りに彼女のベッドの縁に腰掛けた。大好きな弓奈がいつも眠ってるベッドである。紫乃がドキドキしていることは言うまでもない。
「ネコちゃーん。ごはんだよー」
そう言って弓奈が持って来たのはサーモンのマリネが山盛りに乗っかった巨大なチーズケーキだった。甘じょっぱいシーフードツイーツの誕生である。弓奈の表情はいつもと変わらず美しく愛らしいままので、彼女の行動のどこまでが本気でどこからが冗談なのか紫乃にはサッパリ分からない。
「はいネコちゃん、あーんして」
「や、やめて下さい」
とても人間の食べ物とは思えない。今の紫乃は人間ではなくネコだと思われているのだから当然ではあるが。
「ネーコーちゃん♪」
「・・・ネコじゃないです」
しかし、ここで紫乃の心に変化の波が押し寄せる。このように弓奈の部屋に入り、二人きりで向かい合えたのは全てこのネコ現象のお陰なのだ。どんなに人間だと主張しても認めてくれないのなら、いっそのことネコ役に徹してしまうのもいいかもしれない。そうすればもっと弓奈に近づける。触れることすら許されるに違いないのだ。紫乃は万が一このネコ現象が弓奈によるドッキリ企画であった場合に備え、徐々にネコ役を演じ始めることにした。
「にゃ・・・にゃー」
「ん? なあにネコちゃん」
大丈夫そうである。紫乃はとりあえずベッドを降り、サーモンチーズケーキなるナイトメアブレックファストを冷静にキッチンに戻してきた。
「食べないの?」
「・・・にゃー」
紫乃はベッドに上がり弓奈の真横にペタンと座った。弓奈は無邪気な瞳で紫乃をじろじろ見つめたあとなぜか紫乃の背後に回った。
「何ですにゃ・・・」
「私、ネコ大好きなの」
紫乃の心臓が止まった。弓奈に後ろから抱きしめられたのだ。
「きもちい。すごく柔らかいよ」
「だめ。だめです・・・にゃ」
弓奈の頬が紫乃の左肩を越えて耳元に迫ってくる。彼女の柔らかい胸と腕に包まれて紫乃の心臓は堰を切ったように真っ赤な血を全身に流し込み始めた。
「これ、脱ごっか」
弓奈が妙なことを言い始めた。
「ネコちゃん用の服って窮屈そうなんだもん。はい、じっとしてね」
「あ・・・」
弓奈のすべすべの手の平が紫乃の制服のリボンを解き、シャツのボタンを上からひとつひとつ外していった。
「こ、これ以上は怒ります・・・にゃ」
「にゃーにゃーにゃ♪」
弓奈が紫乃の真似をしてにゃーにゃー言い始めた。もう訳が分からない。紫乃は弓奈の腕の中から本物のネコのようにするっと抜けると弓奈と向かい合い、彼女の首元のリボンをパクっとくわえた。
「ネコちゃん、どうしたの」
口でくわえたままゆっくり引っ張るとリボンはするする解けていった。紫乃は恥ずかしくてもう弓奈の目を見る事が出来ない。
「私も脱ぐの?」
紫乃は「にゃっにゃ」とだけ返事をした。弓奈はクスクス笑いながらシャツを脱いでいった。ボタンを外す度に見えていくすべすべの肌を前に紫乃はどうしていいか分からず前足で布団をふみふみした。
「はい、脱いだよネコちゃん」
ブラジャーに抱かれた桃の実が現れた。ふっくら丸くて可愛い弓奈のお胸である。てっきり桃色かなにかだと思っていたのだが彼女の下着は天使の羽のように真っ白で、肌の白さに見事に調和してめまいがするほど美しい。こんなに綺麗な胸元をした女性が、世界に何人いるだろうか。
「はむ」
紫乃は弓奈のブラジャーの端をくわえた。
「ネコちゃん?」
そしてそのブラジャーを口だけを使ってくいくい引っ張ってみた。
「く、くすぐったいよ」
引くだけではリボンのように解けなかったので今度は首を横にぶんぶん振ってみたりした。
「もう、これも脱いでほしいの? わかった。今ホック外すからちょっと待ってね」
弓奈が自分の背中に腕を回す。紫乃はブラジャーをくわえながら鼻先を弓奈の柔らかい胸にすりすりしてホックが外されるのを待った。
「でも、ミルクは出ないからね。紫乃ちゃん」
「し、紫乃ちゃん!?」
ここで目覚まし時計が鳴ったのだ。
なかなか恐ろしい夢だった。紫乃は顔を洗いながら自分のバカさ加減に嫌気が差した。夢の中とは言え弓奈に冷静さの欠片もない史上最低の対応をしてしまった。こんな調子ではこの先彼女に自分の心の内を悟られてしまうのも時間の問題である。これからはもっとクールなキャラクターを徹底しなければならない。大きな戒めを胸に刻みつつ紫乃は学舎へ行く準備を整え食堂へ向かった。
弓奈がいつもの席に座って朝読書をしている。紫乃を待っているためかテーブルのフレンチトーストには手が付けられていない。紫乃は夢のことはなるべく忘れ、涼しい顔でトレイにシーフードサラダとミニチーズケーキ、そしてミルクを乗せると彼女の隣りの席に向かった。
紫乃は弓奈の横で小さく咳払いしてから口を開く。
「おはようございますにゃ」
「・・・にゃ?」
「あ!」




