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27、歌う女

 

 サンキスト女学園の生徒は携帯電話を所持できない。

 学生手帳を読み込んでみると、どうやら学園への持ち込みを禁止しているだけではなくそもそも電話会社と契約することすら良しとしていないらしいのである。学園長の長女鈴原紫乃曰く「軽薄なコミュニケーションと卑俗な集団心理を生み出す最低のツール」らしい。生徒間の情報のやり取りには学園内の郵便業者を介するしかないのだ。

「もしもしお母さん。お誕生日おめでとう!」

 共同固定電話は各寮にあるので外部への通信は可能だが、弓奈は自分の電話を他の生徒に聴かれるのが恥ずかしかったのでわざわざ駅前の公衆電話までやって来た。

「おめでとーおかーさん♪ おめでとーおかーさん♪」

 弓奈は受話器を持ったまま歌い出した。これは駅前まで来て正解である。

「きょーはあなたのたんじょーびー♪」

 確かにサンキストの生徒たちの目はないのだが、その代わり猛烈な勢いで一般の人々の視線が弓奈に集まる。

「おめでとーおめでとーかわいいかわいいおかーさーん♪」

 このような怪行は弓奈の意思によるものではない。誕生日に毎年この歌を歌ってあげないと弓奈の母はグレるのだ。正直弓奈もそろそろやめたいと思っている。

「じゃあまたね、お母さん」

 母が満足したようなので弓奈は受話器を置いた。人々の視線が背中にチクチク刺さる。弓奈はさっさとバスに乗って学園へ戻ろうとカバンを抱えて駆け出した。

「あっ」

 道往く女性にぶつかってしまった。弓奈が下を向いて走っていたせいだ。

「・・・すみません。大丈夫ですか」

 相手の女性は特によろけた訳でも尻餅をついた訳でもなかったが、不幸にして手に持っていた何かを地面に落としてしまったようだ。

「あぁ、ごめんなさい! 私のせいで」

 ドーナツだった。相手の女性は静かに腰を下し、食べられなくなってしまったドーナツをじっと見つめた。

「いや・・・いいんだ。全然気にしていない」

「で、でも」

 女性はドーナツの前で頭を抱え今にも泣きそうなか細い声で呟く。

「いいんだ・・・いいんだよ・・・全然・・・気にしてない・・・」

「い、今買って来ます! 同じものを」

 弓奈は女性がドーナツを買ったと思われるドーナツ屋に飛び込んだ。

「えーと・・・このクリスピーチョコリングをひとつ下さい」

 そう店員さんに言いかけたとき、弓奈は自分のすぐ脇に人の気配を感じた。

「こっちのドーナツもすごく美味しいんだ」

 さっきの女性だ。彼女はガラスケースの前にしゃがみ込んで別のドーナツを指差している。彼女がドーナツを地面に落としてしまったのは弓奈のせいなのだから、お詫びにもう一つくらい買って差し上げるべきなのかも知れない。

「それと、ダブルストロベリーを・・・」

「あ、これもたまらなく美味しいんだ」

 女性はまた別のドーナツを見つめている。弓奈はちょっと財布の中身と相談をしてから店員さんに言った。

「クリスピーチョコリングとダブルストロベリーとハニーカステラと・・・アイスカフェオレを二つ下さい」


 20代前半のお姉さんだった。

「あの、ごめんなさい。私の不注意で」

 二人は店内窓際のテーブルで向かい合った。

「いや、いいんだ。全然気にしていない」

 彼女の瞳は凛としていながらもどこか悲し気な色を灯していた。よほどお腹が空いていたようで黙々とドーナツを食べている。よく見れば彼女は楽器のケースを持っているのだが、サイズから推測するにそこにはヴァイオリンが入っているに違いない。弓奈はなんとなく夏休みのことを思い出した。

「あの、もしかして八月にサンキスト女学園に来てました?」

「ん」

 お姉さんはカフェオレをくいっと飲んでひと呼吸置いてから答えた。

「いや、それはないだろう。なぜなら私はサンキスト女学園の生徒ではないからだ」

「そ・・・そうですよね」

 ちょっと会話しづらい雰囲気だ。硬派な女性は好きだが、紫乃とは違った妙な雰囲気がある。

「石津だ」

「え」

「石津茜だ。よろしく」

 お姉さんがチョコの付いた細い手を差し出して来た。

「あ、えと・・・倉木弓奈です」

 石津というその女性は弓奈の手をぎゅっと握るとカフェオレを一気に飲み干してさっさと店を出て行ってしまった。寮の門限が近いので弓奈も店を出なければならない。右手に付いたチョコをペロッとなめてからトレーを持ち席を立とうとすると、弓奈は向かいの席に石津さんの楽器のケースが残されていることに気づいた。

「あ、石津さん! 石津さん」

 慌ててケースを抱え店を出たがもうそこに彼女の姿は無かった。

「・・・どうしよう」

 お店に拾得物として預かってもらうか交番にでも出すか弓奈はしばらく迷ったが、いずれも面倒事を他人に押し付けているようでなんだかスッキリしない。弓奈は楽器を持って明日またこの道へ来て石津さんを待ってみることにした。きっと彼女も同じことを考え弓奈を探すに違いない。弓奈は時間ギリギリまで店の前で待ったあと、ケースを抱えて学園へ帰るバスに乗った。

 

 

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