25、清楚に
弓奈は自室の郵便受けをじっとにらんでいた。
ポストを開ける瞬間・・・それは彼女にとってまさに緊張の一瞬である。一学期は知らない女子生徒からのラブレターの処理に困っていたからだ。二学期からでも遅くはない。普通の女子生徒になり、同性からモテない地味な毎日を送ろう・・・弓奈はそう固く心に誓ってここへやって来たのだ。
「よぉし!」
「弓奈さん。廊下で大きな声を出してはいけないです」
お隣りの紫乃が現れた。相変わらずクールな女の子である。
「寮の廊下では礼節を普段より意識し、清楚に振る舞わなければなりません」
「ありがとう。さすが紫乃ちゃんだね。私今日からちゃんと気をつける」
「まあ、分かればいいんです」
紫乃はそういって弓奈の隣りにくっつくように立ち、そのまま動かない。これではポストが開けづらい。
「えーと、わるいけど先に生徒会室行っててくれる?」
「え、そうですか。・・・すぐに来てくださいね」
「うん。またあとでね」
紫乃の後ろ姿が見えなくなってから弓奈は思い切ってポストに手をかけた。郵便受けはキュウっという気の抜けた音とともに口を開ける。
「う・・・」
中には三十通近い書類が収まっていた。だが絶望するのはまだ早い。この郵便受けには職員室からの事務連絡書類も配達されるのだ。なんたら通信とかいうのが山ほどあるに違いない・・・そう祈りながら弓奈が書類の山をポストから引っ張り出すと手から洋封筒が4、5通こぼれ落ちた。その封筒には可愛らしいパステルカラーのものや流行りの脱力系キャラクターのデザインが施されたものがあり、中にはハートのシールが山ほど貼られているものもあった。残念ながらラブレターである。人形を供養してくれる神社のようにこれらのお手紙を引き取ってくれる機関がこの国にあればよいのにと弓奈は常々思っている。一応全て読むのだが、いつも途中で具合が悪くなってしまうのだ。二学期の弓奈も前途多難である。
「あれ」
一通だけラブレターでないものを見つけた。和紙を内側に二度折ることで封筒代わりにした、さながら果たし状のような趣きのお手紙である。どんな内容の果たし状であれラブレターよりはマシだ。弓奈は墨でつづられた本文に目を通した。
『突然口出しをする無礼をご容赦下さい。貴女、倉木弓奈はさんきすと女学園の総長に相応しい女傑とお見受けしました。然らば来る生徒会長選挙にてあの忌々しい小熊某を蹴落とし東の頂に立ち腐りやがり賜って頂きたく候由。かしこかしこ』
日本語ではないようだ。差出人も不明で京都の消印が付いているあたり怪しすぎる。弓奈はその手紙をくずかごにプレゼントした。
「お久しぶりです。小熊会長」
生徒会室香りが変わっていた。弓奈の記憶が確かならこの香りはローズマリーだ。
「お久しぶりね。弓奈ちゃん。それから鈴原さんもね」
今日の会長の髪は縦巻きロール。これからパーティにでも出席するつもりなのだろうか。
「どうぞお座りになって。今お茶を入れるわ」
弓奈の目には小熊会長が一学期の頃とは少し異なって映っている。ただのお絵描き好色家だとばかり思っていたのに、紫乃の髪型をめぐって趣味が完全に一致してしまったからだ。もっと色々なことを話したらもしかしたらすごくいい友達になれるのかも知れない・・・弓奈は今そう考えている。
紫乃もまた会長を見直していた。会長のお陰で彼女は大好きな弓奈に可愛いと言われたのだから。素直に「会長。この髪型の件、ありがとうございました」と言えればいいのだが、紫乃は一学期の間ずっと会長を目の敵にしてきたので今更対応を変えるのも難しいし、そもそもそんなキャラではない。会長から見える位置でそっぽを向きながらわざとらしく髪を撫でてみせるのが精一杯だ。
「あら、いけないわ」
会長が鞄の中を覗きながら言う。
「約束通りお二人に出張のお土産を買ってきたのに、私ったら自室に置いて来てしまったわ」
基本的にしっかりしている小熊会長が忘れ物とは珍しい。
「取りにいってくるわね。お二人は来週発行の学園通信に目を通していて下さる?」
「あ、会長・・・」
弓奈は「別にわざわざ取りに行って下さらなくても」と言いかけたのだが、それではまるでお土産に期待していないみたいで失礼な気がして言葉に詰まってしまった。
「今週は私が忙しくて三人集まれないかもしれないから今日渡しておきたいのよ。それとも、一緒に来てくれるのかしら」
一学期までの弓奈であれば笑顔で「いやです♪」と答えたのだが、会長と一緒に二年生寮へ行ってみることへの興味が今の弓奈にないと言えば嘘になる。
「・・・一緒に行ってもいいですか?」
「もちろんいいわ。鈴原さんはどうされるかしら」
そう訊かれて紫乃は考えた。お土産を取りに行く会長に付いていくのは、いかにも自分がそのお土産に期待しているようでなんだか卑しい。そんなことをしていてはクールな紫乃ちゃんの名が廃る。
「私は待ってます」
弓奈と会長を二人きりにさせることにもちろん抵抗はあるが、一学期までとは少々事情が異なっているので紫乃は生徒会室で待機することにした。きっともう会長は弓奈を狙っていないのだ。もし狙っていたのならば、ライバルであり邪魔者である自分を弓奈好みにプロデュースするはずがない。紫乃はあの日美容室の鏡越しに見た会長の大人びた微笑みを信じることにした。
「じゃあ紫乃ちゃん、すぐ戻るね」
「・・・はい」
二年生寮は現在改修中の大浴場と時計塔の間に建っている。明治十四年築らしく重要文化財に指定されているため一年生寮とはまた異なった落ち着いた雰囲気がある。
「私の部屋は三階よ。足下に気をつけて」
「あ、はい」
なにかこの金髪のネーチャンとお話をしたいのだが、いざ二人きりになると妙に緊張してしまって無口になる。弓奈は会長の揺れる髪のあとを追って階段を上っていった。
「私の部屋はここ。少し寄っていって」
一学期までの弓奈であれば笑顔で「結構です♪」と答えたのだが、会長の部屋を覗いてみることへの興味が今の弓奈にないと言えばやはり嘘になる。
「そう・・・ですか。ではちょっとだけ、お邪魔します」
会長の部屋はてっきり生徒会室のようなフェミニンな家具と陶器に囲まれた貴族主義なお部屋かと思っていたのだが、そこはアトリエと呼ぶに相応しい空間だった。
「どうぞ腰掛けて」
言われた通り弓奈はベッドの脇に据えられた現代美術風のガラスの椅子に腰掛ける。部屋の中央には巨大なキャンバスが置かれており、白地のまま手がつけられていない。気づいてみると絵の具の匂いがせず、例のローズマリーの香りだけが部屋を満たしている。もしかしたら「アトリエ」というテーマのもと会長が作り上げた空間美術なのかもしれない。
「この部屋・・・いい香りですね」
やはり弓奈は小熊会長を警戒しすぎたのだ。こうして側にいると会長の魅力が分かってくる。理知的で、美的で、そして人間的な彼女の魅力が。
「あら、ありがとう弓奈ちゃん」
会長はクラシックな旅行鞄からお土産と思しき紙袋を二つ取り出してテーブルにそっと置くと夏服のリボンをほどき、ボタンを外し始めた。
「会長・・・なにをしてるんですか」
「この香りはね、新しいトリートメントの香りなのよ」
ボタンを上から三つほど外して胸元をはだけた会長は椅子に座る弓奈に迫った。弓奈は「私はあなたの体に触れませんよアピール」をするために両肘をぎゅっと曲げたが、そのせいで弓奈は完全に会長に捕捉され彼女の腕の中に収まってしまった。
「ほら。いい香りでしょう」
会長の髪の香りなど今の弓奈にはどうでもいい。問題は彼女の顔に押し付けられた小熊会長の胸である。ブラジャーに乗った白くて柔らかい女の感触が弓奈の頬いっぱいに容赦なく注がれ、もがくほどにそれがいやらしく自分の肌になじんでいく。そもそも自分の髪の香りを嗅がせるのに胸をはだける人間がどこの国にいるというのか。
「会長・・・放して。放して下さい」
「んもぅ。いいのよ、いっぱい甘えて」
弓奈は中学校入学前に沢見という近所のおねえさんに軽い気持ちで甘えた結果とんでもないことをされたので「甘える」という言葉に過敏に反応し、その実行を拒む。
「や、やめてください」
「あぁ・・・かわいい。かわいいわぁ弓奈ちゃん」
会長を信用した自分がバカだった・・・後悔先に立たずである。
「全て計算通りなのよ」
会長は弓奈のおでこにちゅっとキスをしてから語り出した。
「あなたの外見と所持品のチョイス、行動パターンを分析して弓奈ちゃんの好みを察するなんて私には簡単なことなの。鈴原さんを弓奈ちゃん好みにいじれば、あなたが私に親近感と興味を持って私への警戒心を解くことが出来るって全部分かっていたの」
「・・・先輩。なにをおっしゃってるのかよく分からないんですけど」
「弓奈ちゃん素直だから鈴原さんに『その髪かわいい』って言ったでしょう? いい想いをした鈴原さんは弓奈ちゃんを私から守る使命を放棄したわ。私がもうあなたを狙っていないって思い込んだみたいね」
「会長、お胸が・・・くるしいです」
「結果私は弓奈ちゃんを自室に連れ込むことに成功。あなたを美味しく頂けるのよ。三人が幸せになれる一石三鳥の素晴らしい計画。なんて合理的で美しい作戦かしら」
「・・・いや、今の私あんまり幸せじゃないんですけど」
「あら。この様子じゃまだ女の子に抵抗があるみたいね。鈴原さんを使って一夏で慣れさせたつもりだったのに」
弓奈はそのまま滑るようにベッドに押し倒された。
「でも大丈夫よ」
会長の甘い匂いと柔らかい肌に包まれて弓奈は頭がクラクラする。
「すぐに幸せにしてあげる」
「やめてくださーい!」
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
紫乃はオーロラパフェを三つ買った。二年生寮のフォッカへやってきたのは久しぶりだ。本当は恥ずかしいがやはり会長にはお礼をせねばならないと思った紫乃は、一歩遅れて会長の部屋へ向かうことにしたのだ。生徒会室のある管理棟から二年生寮までは一本道なので入れ違いになることはないはずである。
「・・・会長、この前はありがとうございました」
普通すぎる。紫乃は二年生寮の階段を上りながら小声でリハーサルをし始めた。
「・・・会長、髪のことは感謝していますから、早くこのパフェを処分する手伝いをして下さい」
これくらいが丁度いい。紫乃は会長の部屋番号が記されたメモを頼りに彼女の部屋の前までやってきた。ここへたどり着くまで会長と弓奈に出会っていないということは二人がこの部屋にいるということである。紫乃は背筋を伸ばし、涼し気な表情を作ってから扉をノックした。
「会長・・・失礼してもいいですか。たまたまパフェを買いすぎてしまったので弓奈さんと三人で・・・」
「紫乃ちゃーん!」
部屋から自分を呼ぶ弓奈の元気な声が聴こえてくる。紫乃は照れながら扉を開けた。
「失礼します」
「紫乃ちゃん! 助けてー」
紫乃はパフェを床に落とした。
「あら、私の計画にないことをしちゃいけないわ。鈴原さん」
小熊会長は「ザーンネン」と言いながらしぶしぶベッドから降り、シャツを整えリボンを結うと何事も無かったかのように部屋を出て行こうとした。
「・・・会長の」
紫乃は息を大きく吸い込んだ。
「会長のばかー!」
紫乃は部屋の真ん中に据えられていた白いキャンバスを小さな体で持ち上げ廊下に向けてぶん投げた。
「んもぅ、そんなに怖い顔なさらないで」
小熊会長は上品にクスクス笑いながら舞うように遠ざかっていった。
「会長の裏切りもの! ばかばか! あなたなんて嫌いです! 大嫌いです!」
「あ、ありがとう紫乃ちゃん・・・私ならもう大丈夫だから」
「会長の嘘つき! もう会長なんて信用しないです! 会長なんて、会長なんて!」
弓奈はキャンバスを持って会長を追いかけようとする紫乃の腕を抱きしめて彼女を必死に引き止める。
「紫乃ちゃん・・・寮の廊下では清楚に、清楚に!」




