2、弓奈
誰もが彼女を振り返った。
透き通る肌の白に柔らかな黒髪は麗しく映え、絵画のごとく整った顔立ちに凛とした瞳が星のような輝きを灯している。彼女は名を弓奈といい、廊下を行き交う他の生徒たちと同じくサンキスト女学園の新一年生である。
弓奈は女子高校に進学することにかなり抵抗があった。ここだけの話だが、弓奈は大変同性からモテる女なのである。ちょっと外へ出掛ければ知らない女子大生にキスをされたり、塾の若い女講師に派手な宿泊施設へ連れ込まれそうになったりと、彼女には幼い頃から怪し気なエピソードが絶えない。小学校低学年の頃は単純に大人の女性に可愛がられることを喜んでいたが、やがて性的な欲求とその行動について本能的に理解し得る年頃に近づいてくると、急に自分という存在が非常に恐ろしく危なっかしいものに感じられてきたのだ。
傾向と対策というものは試験勉強にのみ重要なことではなく、自分のコンプレックスを克服するためにもぜひとも把握するべきものである。弓奈は「同性から好かれ易い」という悩みを自分なりに分析し、これに打ち克つ術をこの春休みに思いついた。弓奈の抱える悩みの大きな特徴として、年上にばかり好かれるという点があげられる。それは自分が中途半端に天然で、可愛い子ぶっているのがいけないのだと弓奈は考えた。つまり、高校生になったこの期に思い切ってイメージを切り替え、クールなキャラクターでやっていこうというのである。そうすれば弓奈を見た年上の女性たちは「生意気に格好なんか付けちゃって」と思うに違いない。人から嫌われるのは確かにいい気持ちはしないが、このまま同性愛だらけの青春を歩み続けるよりは余程マシである。弓奈は「普通の女の子」になりたいのだ。
入学式が終わってホールの化粧室へやってきた弓奈は鏡の中の自分とにらめっこをしている。弓奈は中学の三年間でぐっと背が伸びた。胸も大きくなり、腰は品良くくびれ脚も細く長いので充分に「クールな女」としてやっていけそうである。弓奈は今日、彼女にとって初の試みとなるポニーテールを作ってみた。言うまでもなくポニーテールは髪を高めの位置でひとつに結い、うなじの部分を見せる髪型であるが、弓奈の場合髪を下ろしている時よりもこのほうがずっと大人っぽく見える。
「よおし。」
しゃべり方もクールな感じにしようと弓奈は思った。人が寄り付きにくいような、冷たいオーラも出せるようになればベストである。友達は確かに欲しいが、誤って恋人が出来てしまったらたまらないからだ。
「あの・・・」
気がつけば弓奈の背後に少女が立っていた。少女は弓奈が鏡を独占していたために洗面所が使えなかったらしい。
「あは、ごめんね。はーい、どうぞぉ」
弓奈はそう言って少女に洗面台を譲った。今のしゃべり方はクールさに欠けていた感じがあるので、次に口を開く機会があれば申し訳ないがもっと冷ややかに接しようと弓奈は思った。髪をいじりながらそんなことを考える弓奈を、少女は鏡越しにそっと見つめている。
「すみません・・・」
ハンカチで手を拭き終わった少女が、少し間を置いてから弓奈に近づいてそう言った。
「ん、どうしたの」
急に声を掛けられたので弓奈は少々驚いたが、クールな振りをして少女に向き直った。少女の頬は桜色で、何やら恥ずかしそうにもじもじとしていてまばたきも多い。弓奈は動揺した。
「あの・・・クラスと名前教えていただけませんか」
少女の無垢な瞳が弓奈を見上げてる。同い年の女の子からこのようなラブリーな瞳で見つめられたのは初めてだった。
「・・・私はC1組の倉木弓奈だけど」
弓奈が答えると少女は花のように可愛らしく微笑んだ。
「倉木さんですかぁ。倉木さん・・・倉木さんかぁ・・・」
弓奈はわざと無愛想な感じで返事をして少女を突き放したつもりなのだが効果はなかったらしい。少女は少しうつむいて、弓奈にも聴こえるか聴こえないかというささやくような声でこう言った。
「倉木さん、とっても素敵です・・・」
少女は弓奈に会釈してから逃げるように廊下へ飛び出していった。
弓奈はしばらくその場に立ち尽くした。やはり女子校に入ったのは失敗だったと思った。
ホームルーム開始のチャイムがゆるやかに廊下に響き始めた。




