19、適当の力
今回の作戦は完璧だった。
弓奈は試験当日まで全く勉強をしなかったのである。これで今回は総合順位一位ということはないだろう。前回はオレンジの香りがするサイコロで適当にページを決定したとは言え二日ほど勉強をしてしまったのであのような悲惨な結果となったのだ。今回の期末試験に向けて弓奈は毎日のように『かわいいこいぬ』というフォトブックを眺めて放課後を過ごしたので勉強の神様が彼女に微笑む訳が無いのだ。
「・・・よぉし」
問題用紙が配られる。弓奈の苦手な化学の試験だ。そこに血の通った物語の入り込む隙のない化学の世界に弓奈はどうしても興味が持てない。彼女は花が好きなので幾何学的な文様に惹かれることはあるが、さっぱりイメージのわかない物質の世界をかっこいい文面で語られても、頭を使うことそのものに喜びを感じたり、方程式や理路整然とした論理にときめくことができる紫乃のような人間以外には厳しい学問だ。
「はじめ」
化学の先生ずいぶん可愛いメガネに変えたなぁなどと余計なことを考えているうちに試験は始まった。いい成績はとりたくないが0点では困ってしまうので弓奈はとりあえず問題に向かった。授業だけは真面目に受けたのでいくつか答えられる問題もあるだろう。ところが、問題の解答はおろか問題文の意味すらわからない。こりゃ困った。隣りの席からは紫乃の持つ鉛筆がサラサラと問題を解いていく音がする。こんな時にあのオレンジの香りのサイコロがあれば選択問題にも数字選びにも困らないというのに、弓奈は今朝あのサイコロを寮に置いて来てしまったのだ。もう魔術は使えない。弓奈は小さくため息をついて背筋を伸ばした。ふと見れば解答用紙の一番下の名前記入欄が空白になっていることに気がついた。弓奈は桃色の鉛筆を手に取り名前を書いた。
名前といえば、弓奈は自分の名前にどんな意味があるのか母に尋ねたことがある。母は庭のベンチに腰掛け、ラフィアで花束を結ってみせながらこう答えた。
「別に山に狩りに行ってほしいって意味じゃないのよ。弓奈の弓は虹のこと。レインボウは雨の弓っていう意味でしょ。雨あがり、陽の光に七色に輝くあの虹よ。近づくことも触れることもできない人間が追い求める憧れの象徴。夢と希望の代名詞」
「じゃあ弓奈の奈は?」
「奈は・・・適当♪」
そう、弓奈の半分は適当で出来ているのである。このピンチを切り抜けるのは適当の力だ。
(これだ!)
弓奈は手の中の鉛筆の切り口が六角形であることに気づいた。サイコロがなくともこの鉛筆さえあれば解答に迷う事はないのだ。弓奈は鉛筆の側面の模様に数字をふって覚えると、周囲に気づかれぬようなるべく音が立たないやり方で転がした。
ころころころ・・・
「悔しいです! 32位でした」
「・・・そうなんだぁ」
「また成績上位者一覧に載ることができませんでした。ですが、二学期は必ず」
「・・・うん。紫乃ちゃん頭いいもん。きっといけるよ」
「すみません弓奈さん。私メガネ作ったほうがいいのでしょうか。また一覧表の上位10人くらいの名前が見えないのですが」
「え」
「読み上げてくれませんか」
「あー・・・上から佐藤さん佐藤さん、あともみんな佐藤さんだよ」
「弓奈さん、どうかされたんですか」
「なんでもないよ。・・・早く寮に帰ろう紫乃ちゃん」
どうやら生徒たちだけでなく学業の女神様までもが弓奈に恋をしているらしい。二度連続でナンバーワンをとってしまった弓奈は知的美少女としての地位を確固たるものにしてしまったのだった。




