17、寝顔
「これでじっとしてればすぐ良くなるからね」
弓奈が貼ってくれた湿布は湯上がりの足首にひんやりと心地よかった。
「じ、自分で出来ますから・・・早くお部屋に戻って下さい」
紫乃はベッドに仰向けになり弓奈の介抱を受けている。さっきはシャワーまで手伝うと弓奈が言ってきたので必死に断ったのだ。弓奈のほうは問題ないだろうが、もしそんなことをしたら紫乃が平静でいられなくなる。
「私ももうお風呂入ってきちゃったもん。あとは寝るだけだから、もう少し紫乃ちゃんの側にいさせて」
寮の階段を上るとき、紫乃にとってそれは夢を見ているような幸せな時間だった。そこまで紫乃に肩を貸して歩いてきた弓奈が突如紫乃をお姫様抱っこをして階段を上がったのだ。確かに紫乃は背も小さめで体重も軽いが、弓奈の腕もそれに負けないくらいほっそりしているので相当無理をしたことは間違いない。だが弓奈は可愛い声で「よいしょ。よいしょ」と言って笑ってくれた。紫乃は彼女の腕にぎゅっと抱かれ、その柔らかい胸に体が密着したので耳まで真っ赤になってしまった。お姫様は私ではなくてあなたです・・・紫乃はそう心の中で呟きながら弓奈に気づかれないように彼女の腕に頬擦りしたのだった。
「ねぇ紫乃ちゃん」
「は、はい」
「今日私目立っちゃったかなぁ」
「え」
そりゃそうである。病気やケガで欠場した仲間の代わりに生徒会代表として交代なしでリレーに参加し、ラストスパートで強豪テニス部を破って一位でゴールした弓奈が目立たないわけがない。その証拠に、寮には各部屋にレターボックスがあり学園内の郵便業者が書類や手紙を届けてくれるのだが、今日の夕方弓奈の部屋には限りなくラブレターに近いファンレターがいくつも届いていたのだ。
「あんまり目立ちたくないなぁ」
「そ、そうなんですか」
それだけかっこよくて可愛くて優しかったら目立たないようにするほうが無理があると紫乃は思った。弓奈はカーペットにひざをついたままトコトコと歩き、紫乃の手を握りに来た。
「紫乃ちゃんみたいな・・・友達が欲しいから」
「わ、私みたいな?」
「紫乃ちゃんみたいな・・・真面目で・・・クールで・・・頼りになる・・・優しい友達」
「弓奈さん?」
弓奈は急に眠くなってきたらしい。
「私のこと・・・変な目で見ない・・・ほんとの・・・ともだち」
弓奈はそのままゆっくりと紫乃のお腹の上にうつ伏せた。この時の紫乃の動揺は計り知れない。大好きな弓奈の温かいほっぺが自分のおへそのあたりにやってきたのである。しかもパジャマが少しめくれ上がっていたので弓奈の長いまつ毛や唇の感触、濡れた髪の毛の一本一本まで感じられたのである。
「・・・眠っちゃったんですか」
紫乃はなるべくお腹を上下させないように小声で弓奈に訊いた。弓奈は返事の代わりに小さな小さな寝息を立てた。リレーで余程疲れたらしい弓奈は紫乃の細くて温かい体を枕にして夢の世界へ旅立ってしまったのである。雲の上で眠る天使のような幸せそうな寝顔だ。紫乃は大好きな人と肌と肌で触れ合うことがこんなにも気持ちいいことだとは思いも寄らなかった。
「弓奈さん・・・」
紫乃は初めて抱いたその感覚をどうしていいか分からず、足をもじもじと動かした。彼女は加速していく衝動に打ち克つために弓奈の頭をどかそうとしたが、触れてしまった弓奈の頬も髪も今は自分だけのものだと思うと一層我慢が出来なくなってきた。優しく彼女の頭を自分のお腹に押し付けると、まるでお腹にキスをされているようで、紫乃は身体の芯が熱くなる気がした。だが、そんな幸せな時間も長くは続かない。
「くしゅん」
内側はともかく身体の外側は冷えていたので紫乃はクシャミをしてしまったのだ。
「・・・ごめん。寝ちゃってたね」
弓奈は目を覚ました。
「あ! はい。まあ・・・」
紫乃はなでなでしていた弓奈の髪から慌てて手を離す。
「ホントに、迷惑な人ですね。早く自分の部屋で寝てください・・・」
「いやぁごめんね紫乃ちゃん」
「別にいいですけど・・・」
弓奈の白い胸元がちらっと見えたので紫乃は思わず目を伏せた。
「じゃあまた明日ね。ばいばい」
「は、はい。おやすみなさい」
弓奈はにっこり笑って部屋を出て行った。
一人になった紫乃は、まだ弓奈の香りが残っている部屋の天井を見上げたままため息をついた。人を好きになるというのはこうも罪悪感が伴うものなのかと紫乃は悩んだ。しかし、それが不幸な悩みにも思えなかった。
「弓奈さん・・・弓奈さん・・・」
紫乃は枕をぎゅうっと抱きしめ、弓奈の名を呟きながらベッドの上をコロコロと転がった。
「大好き・・・」




