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15、午前の部

 

「己の生命の本然的要求の声に傾聴し、統一せる人格的生活を開拓せんとする真摯なる姿勢を以て汗を流されますよう、会長より生徒諸君にお願い申し上げて挨拶とさせて頂きます」


 開会式は小熊会長の意味不明な挨拶にも動じず粛々と進んでいった。弓奈も一応生徒会員なので仕事は任されていたがすべて体育祭の準備に関係するものだったので今日は一般生徒と同じように気楽に参加すればよいことになっている。

「紫乃ちゃんは何の種目に出るの」

 開会式が終わりC1組の応援席に戻った弓奈と紫乃は隣り同士で椅子に腰掛けた。

「例のリレーの他は借り物競走ですね。午後の競技なんですけど」

「わお、頑張ってね! 私応援してるから」

「なんとも子どもじみた競技ですが、学園のために人肌脱ぎましょう」

 紫乃は今日もクールだ。弓奈は彼女と友達になってから少しずつだが自分も硬派な女になってきたような気がしている。もちろんそれは弓奈の気のせいであるが。弓奈が微笑みながら輝くお目々で紫乃を見つめていると、やがて紫乃は早口に説明を加えた。

「ひ、人肌脱ぐというのは決して服を脱ぐという意味でなく・・・」

「わかってるよ紫乃ちゃん!」

 さて、紫乃の応援の前に弓奈にはやることがある。サンキストスプリンターという名前の短距離走競技に出場しなければならないのだ。障害物競走や団体競技はルールが複雑なものがあるし、知らない女子生徒と仲良くなってしまいかねない「触れ合い」を予感させる種目名ばかりが並んでいたので弓奈はあえて短距離走にエントリーしたのだ。

「いってくるね」

「まあ・・・頑張ってきてください」

「うん!」

 集合場所のゲートに知っている顔はなかった。もっとも弓奈にはこの学校に知り合いと呼べる人間は片手に余るほどなので無理もない。しかし、生徒たちの視線を全身に感じるのは一体どういうことだろうか。弓奈は髪を結い直そうと思っていたがなんだかやりづらくなってしまいそのまま競技に挑むことにした。

 もちろん勝つ気はない。万が一目立ってしまったらモテてしまう可能性があるからだ。さすがに最下位では紫乃に合わせる顔がないので5人中3番目か4番目にゴールするのがベストである。前に並ぶ人垣が徐々に薄くなっていき、スタートラインが見え始めた。まもなく順番が回ってくる。弓奈は何気なくC1組の応援席の方に目を向けた。右から二番目の応援旗の前に細い足を抱くようにして座る紫乃の姿が見える。試しに弓奈が手を振ると彼女はその格好からさらに縮こまってから小さく手を振り返してくれた。どうやらずっと弓奈のことを見ていたらしい。

「よぉし・・・」

 弓奈はポケットからクラスの桃色はちまきを取り出した。

(3位か4位・・・3位か4位・・・3位か4位・・・)

 今ひとつ気合いの入らないおまじないを繰り返しているうちに弓奈の順番がやってきた。

「位置について」

 もうついている。

「よーい」

 用意もしている。

「ドン!」

 どんってなんだろう。

 とにかく弓奈は駆け出した。この競技はトラックを半周走ってゴールするだけの簡単なお仕事だ。順位の調整はするつもりだが、そもそも本気を出しても1位になど滅多になれるものではないので目立つ心配はないのかもしれない。現にスタートした直後弓奈は3番手だった。このまま順位を維持していけば完璧なのだが、弓奈のこの予定はすぐ後ろを走っていた黄色はちまきの少女が転倒したことによって崩れ始める。弓奈の知るところではないのだが実は彼女、憧れの人と並んでスタート地点に立つトキメキから昨夜も緊張で眠れず、いざ走り出したら足がもつれてしまったという不憫な少女なのだ。しかも彼女はそこそこ派手に転んだので一番後方を走っていた生徒がその巻き添えをくらって一緒に転んだ。二人はあっという間に遠ざかって行く体操着姿のポニーテールを目で追い、なぜかちょっぴり微笑んでから地面に突っ伏した。

 運動靴が大きくすべるような音が聴こえ、それきり後方から足音がしなくなったため弓奈は大体のことを察した。気の毒だがこれで実質3人競争になったので3位を取ることは容易になった、そう弓奈は考えることにした。カーブに差し掛かると青いはちまきの少女が弓奈の正面を走り始める。こういったコーナーでは内側をとることが基本なので皆一列になって走るのだ。そこまでは問題なかったのだが、この時外野から思いもかけない声援が聴こえてきた。

「倉木さーん!」

「弓奈さまー!」

「頑張ってー!」

 それを聴いた青はちまきの生徒はちらっと後方を確認してすぐ後ろに弓奈が走っていることに気づくと、大慌てで弓奈にアウトコースに移動した。弓奈にインを譲ったのだ。

(ええ! 私は全然勝つ気ないんだけど!)

 弓奈の心の声が彼女に聴こえるはずもなく青はちまきの生徒はどんどん減速していく。自分も一緒に減速していてはあまりに不自然だし、何より青はちまきの少女の計らいを無駄にしてしまっては申し訳ない。1位にさえならなければいいだろうと判断した弓奈はそのまま走ることにした。

 目立つまいとすれば目立ってしまい、好かれまいとすれば好かれてしまう弓奈が、1位になるまいとすればどうなるか・・・答えは明らかだ。3メートルほど前を駆けていたはずの1位の生徒はいつの間にか弓奈のすぐ斜め前を走っている。残りわずかの直線距離を上手い事手加減して走れば2位でゴールインできたのだが、突如それは起きた。1位の生徒の手が弓奈の腕に偶然触れたのである。そのとたん一位の生徒は「あんっ!」と言って立ち止まる勢いで急減速してしまった。彼女は学園のプリンセスの肌に直に触れてしまった幸福な衝撃に脳をやられたらしい。

「え」

 弓奈はそのままカッコ良く一位でゴールテープを切ってしまった。ゴール付近に集まっていた生徒たちは弓奈の気も知らないでキャーキャー騒ぎまくった。クラスが一緒でない限り弓奈がスポーツをしているところなど見られないので、特に弓奈に『かっこよさ』を見いだしている生徒たちにとってそれはたまらない瞬間だったのだ。

「み、見えないじゃないですか!」

 応援席の紫乃はゴールに群がる生徒たちを睨みつけた。


 この後弓奈が水飲み場で、先ほど転倒した少女たちに「大丈夫だった?」と慈悲深い言葉をかけたことはあまりに有名な話である。たまたまタイミングが重なってしまい気まずかったため声をかけただけだったのだが、噂に尾ひれがついてその日のお昼頃には1年C1組の倉木弓奈さんは女神様と呼ばれていた。

 

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