11、くじ引き
来週は横浜へ遠足に行くらしい。
生徒たちにとってその行き先など些細なことである。どこへ行こうとやることは大して変わらない。バスに乗って歴史的価値のある名所をいくつか巡り、ご飯を食べ、再び周辺を観光しバスに乗って学園へ帰る。言ってしまえばただそれだけのことなのだ。
重要なのはその班分けである。
「・・・では、くじ引きでいいですね」
「はーい」
紫乃はクラス委員になっていた。紫乃は学園長の娘であるばかりでなく、朝一番に教室へ来て掃除をしているくらいの優等生なので名実ともにクラス委員に適任ということで先日ホームルームで就任が決定したのだ。
「・・・それじゃあ窓側の列の人からくじを引きに来てください」
緊張した面持ちで紙袋の中に手を突っ込みくじを引いていく生徒たち。多数決でくじ引きに決まってしまったが、班分けは好きな人と組めるほうが良かったと紫乃は思った。好きな人・・・つまり弓奈と同じ班になることが紫乃の望みである。だが弓奈と同じ班になりたいのは他の生徒も同じなので、公平で誰にもチャンスがあり抜け駆けと責められることもないくじ引きが支持されたという訳である。
「クラス委員の仕事、板に付いて来たね」
くじを引きに来た弓奈がウインクしながら小声でささやいた。紫乃が弓奈に恋心を抱いていることを弓奈は全く気づいていない。
「・・・いいから早くくじを引いて席に戻って下さい。後ろの人がつっかえます」
そしてそれは気づかれてはならないことなのだ。
「私、紫乃ちゃんと一緒の班になりたいなぁ」
弓奈は恥ずかしそうに笑いながらいつもの上目遣いで紫乃にそう言って席へ帰っていった。私もそう思っています・・・きっとあなた以上に・・・紫乃は弓奈の背中を見つめながら心の中でそう呟いた。
さて、くじにはA〜Fのアルファベットが記されており、同じアルファベットを引いた者同士で班が形成される。紫乃は紙袋に残った最後の一枚を引いたわけだが、そこにはFと書かれてあった。
「D班の人ー!」
「Aの人はどこでしょうか」
「E班E班E班E班!」
紫乃は遠くからじっと弓奈の表情を見つめていたが、彼女はどの班の呼びかけにも応じず席から動かない。
「それじゃ・・・Fの人」
紫乃はわざと弓奈とは違う方を向いてからそう呼びかけた。
「はい! 私Fです!」
冷めた合理主義者である紫乃は神様の存在を信じてはいない。だがこの瞬間ばかりは見えない操り糸の存在を信じ、それに心から感謝した。返事をして立ち上がったのは紛れもなく弓奈だったのだ。弓奈はポニーテールをご機嫌な調子で揺らしながら甘美な香りを運んで紫乃の元へやってきた。他の班の生徒たちはがっくりとうなだれている。
「やった! 紫乃ちゃんと一緒だ」
「ま、またあなたですか。迷子にはならないで下さいね」
「はい!」
ふと見れば弓奈の桃色の頬の向こう側にもう一人少女が立っている。班のメンバーは二人だけでないことを紫乃はすっかり忘れていたのだ。A〜E班は4人班だがFだけは3人班なので、もう一人のメンバーが例えば小熊会長のような好色家だったら弓奈の護衛が非常に面倒だと紫乃は思った。その少女はおずおずと紫乃たちに歩み寄る。
「私・・・倉木さんたちと一緒の班なんですか」
鈴原さんたちと言わない時点で既に少女が弓奈を意識していることがわかる。だが紫乃にはこの少女がそれほど積極的な子には見えなかった。うつむき加減に自分の指をいじり、可愛い目元も前髪の向こうに隠してしまっている。
「私のこと知ってるんだ。改めまして倉木弓奈です。よろしくね」
「あっ・・・よろしく」
「あなたのお名前教えてくれる?」
二人ともその少女の名前を知らないので弓奈はそう質問したのだが、彼女に名前を訊かれた瞬間少女は少しだけがっかりしたような、それでいて何かが吹っ切れたような複雑な表情を見せた。
「松尾めぐみです。よろしく」
「よろしくね。めぐみちゃん」
弓奈は紫乃以外の女子生徒に自ら接近したりはなるべくしないようにしているのだが、それでも新しい友達の予感に無邪気に歓喜した。紫乃もめぐみという少女が今すぐに自分と弓奈の関係に害を及ぼすとも思えず、少し安心してメンバー表に名前を書いた。残り時間は班ごとに市内の観光案内図を囲んで話し合いをする時間だ。
「F班は他の班の見本となるような意識の高い集団を目指します」
弓奈のアツい支持により紫乃が班長となった。
「自由行動は中華街めぐりたいです!」
弓奈は野菜がたっぷり入った緑色の中華まんが食べたい。
「それじゃあお昼は中華にしましょう。自由行動は210分もありますので他に行きたい場所が言ってください」
なんとなく紫乃と弓奈の視線がめぐみに集まる。彼女が先ほどから黙ったままだからだ。めぐみは二人の様子に気がついて少し慌てて口を開いた。
「あっ・・・自由行動ですか。そう・・・ですね」
めぐみは弓奈の目をちらっと見てから小さい声で続けた。
「海が・・・見たい」
めぐみのこの提案に弓奈が目を輝かせた。
「いいねえ海! ちょっと遠いけど中華のお店でお持ち帰りして、海見ながら食べようよ」
横浜湾に自然の美による癒しを求めることは些かナンセンスな気もしたが、弓奈の嬉しそうな顔を見た紫乃は予定表に「海」とでかでかと書き込んだ。
めぐみは窓の方を向いた。教室の窓のパノラマには散り終えた桜の枝々が切り取られていて、不意によぎったウグイスの姿が春の空へにじんで消えていくのが見えた。




