07.あの空も、あの青も
窓の外を見るのはあたしの日課で、趣味だった。
はじめに落ちてきたのは。
たしか、消しゴムのかけらだった。
ちいさななにかが白く雪のように降ってきて、思わず目で追ってしまった。
次に落ちてきたのは、紙ふぶき。
これはノートかルーズリーフみたいな紙をちぎったものだった。
夏風にほんの少しだけ舞い上がったりして。
花びらみたいで悪くはなかった気がする。
次は、クリップ。これは傑作だった。
きらきら降りてくる銀色をよく見てみると、それは星のカタチをしていて。
わざわざクリップを伸ばして星型に作ったんだろう。
地面にたくさんの星が落ちてきたみたいだった。
こんなふうに、毎日何かが落ちてきた。
筆記用具が多かった気がするけど、身近にあるものを使っていたんだと思う。
そのうちあたしも空から降るものが楽しみになってきて。
あんなにタイクツだった授業も、待ち遠しく思えるようになった。
でも、あの日だけは違った。
雲ひとつない、あの午後。
西日の強さに目がくらんだ先で、落ちてきたのは上履きだった。
地面を弾いたその音にさすがの果歩も気がついたのか。
あのときは一緒に外を見ていた気がする。
次に落ちてきたのは、椅子だった。
コンクリートに叩きつけられた鉄や木の音に、クラス全員が窓の外に集中した。
嫌な予感がした。
いつもとは違う、重々しく響くものに。
『かな!?』
果歩の声が聞こえたけれど、迷わず窓を開け放った。
わずかに身を乗り出して、見上げた先。
そこには。
『バカじゃないのアンタ!? 死にたいの!?』
青くて、青すぎるそこに。
真っ白ななにかがゆらめいて。
そして、落ちてきたのだった。
『あ……っ!』
地面を割るような物音。
空を覆った黒と、悲鳴。
白いシャツがはためいて、ゆっくりと落ちたかのように見えたけど、それは斜めに傾いて倒れてしまった。
瞬間、あたしは窓枠を蹴り上げて教室を飛び出していた。
幾重もの甲高い叫び。
先生方の駆けつける足音。
そして上から聞こえるかすかな笑い声が、彼に降りそそいでいた。
駆け寄ったあたしの声が聞こえたのだろうか。
濡れたビー玉のようなその目は、空の青を宿していた。
『ごめんなさい』
かすれて、消えてしまいそうな泣き声。
それは彼が降らせるものと同じで、あたしだけが知っている音だった。
『ごめんなさい』
ぽろぽろ。ぽろぽろ。
水の珠がこぼれては跳ねる。
落ちるなみだは、あのときあたしに魔法をかけた。
あの魔法はいまでも、とけることなく。
つづいているような気がしてならない。
** *
「かなかな」
無視した。
聞こえないふりをした。
そもそもその名前で呼ぶなっていつも言っているのだから、返事をしてやる義理はない。
ハルくんの腕を握る自分の手がじっとりと濡れていて気持ち悪い。
歯を食いしばっているせいか、さっきからこめかみがずきずきと痛む。
食堂を出て、むせ返るような熱を持つ廊下へ出た。
息もできないくらい、今日は暑くて嫌になる。
汗がすごいのも、頭が痛いのも、悔しいのも。
歯がゆいのも、泣きそうなのも、ぜんぶそのせいだ。
「かーなっかな?」
ハルくんが腕をわずかに引っ張る。
しかたなく、足を止める。
顔は上げなかった。
見られたくなかった。
見たく、なかった。
夏は、嫌だ。
冬もきらい。
暑いのも寒いのも、あのクソメガネ野郎も大嫌いだ。
「かなかな、怒ってるの?」
そう。怒ってる。
あたしはいま猛烈に頭にきている。
なのになんで、ハルくんはへらへらしてるの。
あんなふうにバカにされて。
ケガのこと心配もしないクソ野郎どもにいいように言われて。
なんで、ハルくんはあたしを呼ぶの。
聞こえてたでしょう。
あのクソメガネ野郎の言葉。
「かなかな、ごめんねえ。嫌な思い、させちゃったねえ」
掴んでいるのと反対側の手で、撫でられる頭。
そっと大事なものみたいに触れられて、胸がつまる。
嫌な思いをしたのは、ハルくんのほうなのに。
なんであやまるの。
なんで、やさしくするの。
「おれ、知ってたんだよ」
「……え、」
思わず、顔を上げた。
その先でいつもみたいに、ハルくんが笑ってた。
「だから、ごめんね」
離れていくてのひら。
掴んでいた腕が、するりと抜けていく。
遠く、揺らぐ、白。
頼りない、猫背。
足を引きずる音と耳に残った声が。
いつまでも反響していて動けなかった。
動けないのに。
頬を伝うなまぬるさだけは、止まることがなかった。
「ちょっと、パン! パン忘れてるよ!」
ちょっといま。
それどころじゃないんです。
でもありがとうございます、食堂のおばちゃん。