06.おれを笑わない、きみに会えた。
「かなかな、なにがいー?」
「もう選択するほど残ってないと思うけど。ハルくんは?」
「うーん、しょっぱいのより甘いのがいいなー。あ、メロンクリームあるねえ!」
「ゲロ甘」
「ええー! おいしいよー! かなかなのばか―!」
メロンパンの中身が生クリームなんて邪道だ。
というのが、あたしの持論であった。
そしてバカじゃない。
昼休み中盤。
食堂がもっとも混み合う時間の騒音ときたら、まるでパチンコ屋のようだ。
満員御礼のテーブル。
長蛇の配膳前。その横に併設された売店。
残り少ないパンやおにぎりを前に、すっかりテンションの上がっているハルくんは小さい子どものようだった。
「かなかなにお弁当もらっちゃたし、ここはおごるねえ」
「結構です。そういうのこそ、気にしなくていいのに」
財布を手に目をかがやかせてあたしを見るハルくん。
そんな気を回すより、自分のを先に選べばいいのに。
このひとは。
「じゃ、かなかなにメロンクリームの良さを分かってもらうために二つ買おうっと!」
「え、ちょ、やだ! あたし小倉マーガリンあたりにしようかと、」
「あんこにマーガリンなんておかしいよー! おばちゃん、メロンクリームパン二つ!」
強引に突き立てられた指二本。
強制メロンクリームの悪夢。
否定された小倉マーガリンに茫然とする間もないまま。
目の前の売店のおばちゃんがてのひらを突き出す。
「ハイ、三八〇円。あらあ、ふたりは付き合ってるの? かわいい彼女だねえ」
「は!?」
豪快に笑うおばちゃんが、とんでもないことを口走る。
「はい! すごく優しくて、ちょっと怒りんぼだけどかわいいんです」
それを否定もせずに、お金を差し出すハルくん。
目の端であたしを捉えたかと思うと、まるでのろけるかのようなセリフを吐いた。
「ち、ちち、ちがいます! そんなんじゃないです!」
断じて付き合ってない。
怒りんぼはあってるかも、しれないけど。
けど優しくもないし、ぜったいに、かわいくない。
「あらあら、彼女違うっていってるみたいだけど?」
「恥ずかしがり屋さんだから、しょうがないんですよー」
「それは大変ねえ。がんばってね、おばさん応援してるから」
「はーい!」
間延びした間抜けな返事に気が抜ける。
あたしだけが手に汗握って。
必死に空回りしてるみたいだ。
ハルくんは、ほんとうに何を考えているのか。
全然わからない。
「ちょ、もう! なにいってるの!? ハルくん!」
「えー、だってうれしかったし。そうなればいいなーって思ったんだよ?」
小首をかしげ、あたしをのぞき見るように近づく顔。
突然の言葉とこの状況に判断がつかない。
冗談なのか、本気なのか。
それを問いだ出す前に、顔が熱くて、喉が焼けてしまいそうで。
声に、ならない。
「かなかな、あのね、」
「すんませーん! まだ残ってますか……って、あれ、上原?」
ハルくんがあたしに何かを言いかけた、そのとき。
後ろに並んでいたらしい男子グループの一人が、ハルくんの苗字を呼んだ。
「ちょ、マジ上原だし! おーい、ここに上原いっぞ!」
ハルくんの顔をのぞきこんで確信を得たらしいそのひとは、さらに後ろに並んでいた数人に声をかけた。
ちらっと見えたネクタイの色は、赤のチェック。
ということはハルくんと同じ特進のひとだ。
「ハルくん、知り合い?」
あたしの質問に返答はなく。
その目はこちらを見ることもなかった。
「うわっ、マジ上原じゃん! お前メシとか食うの?」
「食ってるとこ見たことなかったから意外だわ。ガリッガリじゃん、お前」
一瞬にして、目の前が塞がれる。
集まってきた男子の嗅ぎ慣れない匂いと低い声に、セカイが陰る。
「あれ、隣にいるのって下の階の女クラの子じゃね? ほら、上原がドジって落ちたときにやたらでっけえ声出してた」
「あー、あんときのな。上原落ちてきたとき、びびったっしょ? 俺らも焦ったよな」
「まあ正直、授業中断になって最高だったわ。あの先生の顔見ただろ」
小さな笑い声が、聞こえる。
それはとうめいな棘を持つもので、次々に放たれてはハルくんへ向かう。
このひとたちは、いったいなんなのだろう。
少なくてもハルくんの友達という感じじゃないし。
まるでばかにしているような、にやついた顔をしている。
その中でもひとり。
メガネをかけたいかにも優等生っぽい長身の男がハルくんの肩に手をかけた。
その歪んだ口の端に浮かぶなにかに、嫌な予感がした。
「あんとき、だれか飛べっていったよな。だからやっちゃったんだろ?」
その言葉に、耳を疑った。
「てかお前もマジになりやがってよ。あんなん冗談に決まってんのに」
「最近大人しいじゃん。またなんかやってくれよな」
メガネが口火を切ると、次々に影が浸食していく。
このひとたち。
なにを、いってるの。
「なあ、次はなにすんだよ。おれらもいっしょにやっか」
「上原に付き合ってたら身体もたねえ。冗談通じねえし、ハンパねえもん」
ハルくんの顔が、見えない。
長すぎる前髪が邪魔して、その目が見えない。
「この子と付き合ってんの? お前、怪我の功名ってやつじゃね」
「それ、ちょっと意味違うだろ」
下種な会話。
粘ついた口元を歪ませて出る言葉。
それを黙って聞くハルくんの顔に張り付いた、色のない表情。
いつもみたいに目を細めて。
楽しそうにあたしを見ているハルくんじゃない。
あたしの知ってるハルくんは。
こんな、顔しない。
「すみません! あたしたち、もう戻らないといけないので! 待っている友達がいるし、ハルく、……榛馬先輩はこれから保健室のほうにもいかないといけないんです。中山先生に呼ばれているみたいですから。お昼も中途半端な状態でここにきているので、時間がなくて。お話し中お邪魔して申し訳ないんですけど、そういうことなので!」
保健室なんてうそだ。
ナカちゃんと約束なんてしてない。
だけどハルくんをこのままにしておけない。
こんな顔させたくない。
「かなかな、」
「いきますよ、先輩」
ハルくんが、目を見開いてこっちを向いた。
ようやくその目が見れたことがうれしくて、勢いのまま手を引いた。
食堂の扉に向かって歩き出す。
足を引きずるハルくんが無理をしないよう、ゆっくりと。
前だけを見て、はやく。
ここから抜け出そう。
こんなところにいちゃだめだ。
あんなひとたちのそばにいちゃだめだ。
はやく教室に戻って、待っている果歩とお昼ご飯を食べないと。
メロンクリームパンはもうしかたないから、ちゃんと食べてあげよう。
感想もおまけして、おいしかったって言おう。
いつもみたいに、三人で過ごそう。
バカみたいなこといっても、怒らないから。
だらしなくても、無気力でも。
ちょっとくらい恥ずかしいことされても、いいから。
だから。
「上原の御守も大変だな。保健の先生に頼まれてんだろ? かわいそうに」
なんで。
ここでそれを言うんですか。
ふざけんな、このクソメガネ野郎。