05.ばかだって、みんな笑うけど
「かなかな、売店って遠いねえ。おれ、もう歩けないよー」
「だからっ、て、この体勢は――――ないでしょーがっ!」
教室を出て、廊下を踏みしめて。
つないだ手がぬるくて、不覚にも胸が鳴った。
そこまでは、まだよかった。
そこまでは。
歩き出して、数歩。
断じて数メートルじゃない。数歩。
足を引きずって歩くその姿が痛々しくて、肩を貸そうかと声をかけた。
ありがとうと笑うその顔にだまされたと気付いたのは。
手を強く引っ張られてからだった。
あたしがバカだった。
わかってる。あたしがバカだった。
大事なことだから、二回確認した。
「こんなに寄りかかられたら、歩けるものも歩けないわ!」
おんぶとまではいかない、それでも背中に寄せられた身体と温度。
重い、歩きにくい。
それよりも、心臓が押しつぶされそうだった。
声を張り上げなきゃ、やってられない。
相手は怪我人。あたしは背中で支えているだけにすぎない。
「かなかな、がんばってー」
「ちょ、ほんと、に重い、んです、け」
「はあ、それにしてもかなかなはいいにおいだねえ。オンナノコって感じする」
ぶちっ、と、何かが切れそうになった。
ぱんっ、と、音を立ててはじけそうになった。
首筋でくんくんと、ハナを寄せられた気がした。
一瞬にして、身体の水分が蒸発していく。
「かなかなはあったかくて、やわらかくて、いいにおいで、やさしいオンナノコだね」
耳、いたい。
熱くてちぎれそう。
すりすりと、頬を寄せられた肩が爆発しそうだ。
蒸発したはずの水分が、今度は汗になって湿り気を帯びていく。
この制服、クリーニング出したのいつだっけ。
昨日、ちゃんと髪かわかしたっけ。
バカみたいに、バカみたいなことばかりがかけめぐる。
そんなこと考えている場合じゃないのに。
「は、発言がっ、へんたいすぎる、んですけど!」
「ええー、ほめ言葉なのにー」
たしかにほめ言葉かもしれないけど、タイミングが悪すぎる。
なんで、こういう状況でこんな体勢のときにそんなことを口にするんだろう。
「そういう憎まれ口を叩くかなかなはー」
「え、ちょっ、ハルく、」
「オシオキ、です」
細い細いとバカにしていた腕が後ろから腰に回された。
思いのほかたくましかったその腕は、あたしのおなかの前で交差して。
「ぎゅむむむむー!」
すこし苦しいくらいに締めつけられた。
思いっきり後ろから抱きしめられた、みたいに。
「ちょ、なにして……!」
「オシオキだよー?」
「っ、」
反射的に横を向いたら、肩口にあごを乗せたハルくんと目があった。
近い。
ちかいちかい。
呼吸が、息遣いが、近すぎて目の前がくらむ。
顔をそらしても、真横にあるという事実は変わらない。
くっついている体をさらに締めあげられて、ますます実感する。
いまにも爆発してしまいそうなのに、ちっともいやじゃないなんてうそだ。
耳のそばで笑う声がこんなにも心地いいなんて、うそだ。
自分でも真っ赤に焼けただれそうになっているのがわかる。
薄い夏服ごしに汗がつたって、肌を染め上げていくのがわかる。
「ハルくん! いいかげんに……!」
「かなかなにとっては、オシオキだったかもしれないけど、」
耳をかすめたその言葉を最後に、離れていく温度。
廊下の窓から入ってくる風が、赤くただれてしまいそうなあたしを撫ぜる。
「おれには、ゴホービだったかもしれないねえ」
息を詰めてこぶしを握りしめたのに。
しかりつけようとしたのか、どなろうとしたのか。
何を言おうと思ったのか、自分でも忘れてしまった。
「ねえ、いまの見た!?」
「みたみたみた! マジやばくない?」
「リア充爆発しろ」
「そのとおりだな」
いやいや。
とんでもない誤解です。
リアルの生活なんてちっとも充実してませんから。廊下の方々。