03.よくわからないけど。
「――――で、その足で走ったの? 上原くん?」
「だって、あの先生こわいんだよー。ガチで! マジで!」
「授業サボってうちのクラスに来たひとが悪いと思うんですけど」
「だってそれはかなかなに会いたくて、その」
「で、走ったの?」
「は、はい……」
真っ白い保健室に真っ黒な魔女降臨。
華奢な身体をして縦に大きいはずのハルくんが小さく見えるのは、気のせいではない。
丸めた背中の向こうにナカちゃんのつめたい笑顔。
背筋も凍るっていうのは、きっとこういうときに使う言葉なのだろう。
あの後、授業が終わったのと同時に廊下へ出てみれば。
足を引きずってこっちに向かってくるハルくんを発見。
そして保健室へ強制連行。
暗雲立ち込める教室は果歩にまかせて脱出してきた。
まあ果歩のことだから、うまいぐあいにごまかしてくれているだろう。
「捻挫とはいえ、かなりひどいのよ?」
「うん。いたい、かも」
「松葉杖、どうしていやがるの? 固定だってしたほうがいいのよ」
包帯の、白。ハルくんの右足。
折れてはいないそうだが、筋や筋肉をかなり痛めているらしく状態が悪い。
それは、あたしから見ても分かるくらいのもの。
どうしてなのかわからないけど、ハルくんは足を積極的に治療しない。
ナカちゃんの話によると怪我をした日以来、病院にもいってないらしい。
先生方の説得もお医者さんの言葉も、ハルくんには届かなかった。
「ハルくん」
「なあに、かなかな」
ゆるんで汚れた包帯を代えようと、ナカちゃんが席を外す。
ふたりきりになった、真白い部屋。
回転椅子を鳴らして遊ぶ猫背。
声をかけると、ハルくんは即座に振り向いてあたしを見た。
「足、痛いんでしょう」
しゃがみこむ。
立ったままじゃ、視線が合わないから。
ハルくんの目はあたしとおなじ色なのに、どうしてか空の青を思い出させる。
「いたい。けど、へーきだよ」
細められた目。
うつっていたあたしが消えていく。
弾き返される、言葉。
「平気じゃないくせに。だったら足引きずらないで歩いてみせてよ」
「かなかな、いじわるー」
はぐらかすように笑う姿に、イライラする。
我慢できないなにかが込み上げて、泣きたくなる。
こんなわけのわからない無気力ダメ男。
どうしてあたしは、ほうっておけないんだろう。
「かなかな?」
その名前で呼ぶなって、何度言えばわかるんだろう。
いつのまにかクラスでもそう呼ばれることが多くなって、話しかけられるようになった。
果歩は完全に調子に乗りすぎだけど。
「かーなっかな?」
なにそのリズム。音感ゼロすぎ。
なんでへらへら笑ってるんだろう。このバカ男は。
『ごめんなさい』
あのときのすがるような目が、涙が。
胸をえぐるような泣き声が忘れられない。
うちのクラスの真上。二階の教室。
授業に目を背けて、空を眺めていたあたしの目にいつしかうつるようになったもの。
それは消しゴムだったり、ノートの端だったり。
たわいもないものばかりのはずだったのに。
タイクツな授業。わずかなザワメキ。かすかな眠気のなか。
いつもどおりで、いつもと違ったあの日。
泣き声は、つづく。
涙がかわいても、この胸のなかで。
いつまでも。
「ああ、もう!」
あたしは。
あの日から、濡れた青に絡めとられたままなのだ。
「めんどくさいってのよ! このバカ! そんなに足固めるのがイヤで、引きずって歩いて悪くするくらいなら、あたしの手をかしてやるっつーの! 痛いならすなおに頼ればいいでしょ! だれも断ったりしないっての! つか、毎回うちの教室に来なくていーわ! 会いたいなら、呼べばいいでしょ! 行ってやるから! 二階の教室でも廊下でも学校じゃなくたって! だからもっと自分を大事にしなさいよ! このバカ!」
息が切れて、目の前が熱い。
ぼやけた視界の向こうで、ハルくんの腕が持ち上がるのが分かる。
細くて折れてしまいそうなそれはあたしの握り固めた手を包み込んで、自分のおでこに、こつんとぶつけた。
「な、なな、なに」
「ごめんね、かなかな」
祈るように、願うように。
その手を小刻みにふるわせて、ハルくんは言葉を吐き出した。
白い部屋で、向い合わせで目を閉じて。
まるであたしが神様にでもなったみたいだった。
「あ、あやまるくらいなら、その態度を改めてよ」
そっけなく言い放ったあたしの言葉は、ハルくんにちゃんと届いたのだろうか。
「――――うん」
顔を上げたハルくんと、目が合う。
いつもみたいな、でもいつもとは少し違う、笑顔。
包み込まれていた手のふるえは、いつのまにか止まっていた。
「あらあら、まあまあ。お邪魔だったかしら?」
なにこの最強なタイミング。
いかにもな。
してやったり顔はやめてください。中山先生。