11.怒ったっていいよ。
「後輩ちゃん! ちーっす!」
「おー、果歩ちゃん、今日ポニテ? いいねー!」
「イス借りちゃっていい? おにーさんと半分こして座ってもいいよ?」
「いやはや後輩ちゃんのおかげで女クラ来れて最高だわー!」
真夏、灼熱、昼下がりな昼休み。
今日も廊下から響く無数の足音に怯えていれば、案の定だった。
「かな……、なんでこんなことになったのー! この人たちは毎日毎日なんなのー!」
叫びを上げる果歩とうなだれるあたしを囲む群れ。
影は外気の熱に揺らめいて、目の前をもくらませる。
待ち人はその気配すら絶ったままだというのに。
「おい」
ここ数日、やけに目にするメガネが言葉を発する。
この男はなんでいつもあたしの視界をふさぐように立つのか。
おかげでまったく空が見えない。
「ナンデスカ」
「変な片言で話すんじゃねえよ。ジュース買って来い」
「……ハイ?」
「特別にお前の分も出してやる。好きなの買ってこいよ。俺、コーラな」
机の上に乱暴に置かれた五百円玉。
わずかに跳ねるくすんだ銀。
彼のものとは違う、太くて日に焼けたその指先があたしの前髪の毛先をつかむ。
軽く引っ張られたその先で、青が見えた。
空っぽになっていたなにかが、一瞬満たされては薄まっていく。
「なにぼーっとしてんだ。さっさといけよ」
「ドウシテワタシガ、」
「ったくしょうがねえ。……行くぞブス」
乱暴に立ち上がるその音の主が、あたしの腕をつかむ。
メガネの奥に見えるものは、苦虫を噛み潰したように歪んでいる。
そんな顔するなら、はじめから自分でいけばいいのに。
そしてそもそもうちの教室に来なければいいのに。
ほんとうにおかしなクソメガネだ。
「あ、俺の分もよろしくー! はい、お金」
「果歩ちゃんの分は俺が出そっか? そのかわり放課後遊んでよ? 他にも女の子連れてきてね」
「ちょ、お前らパシらせんなって! あ、俺はペプシでよろしくっす!」
「助けてええええ、ジュースなんていらないからー! おいていかないでえええ!」
果歩の伸ばした腕はあたしに届くことなく。
もう一方の抵抗を許さない力によってなすすべもなく連れ去られた。
** *
「おい、しっかり持てよ」
校舎一階、食堂と売店に続く渡り廊下の途中。
中庭が見渡せるそこにある自販機の前で、五個目になるジュースを渡される。というか、乗せられた。
「む、無理……っ、もう腕から落ち、」
「うるせえ。黙って持て」
「いやいや、ほんと無理ですから! そして冷たいんですよ! 腕が!」
あたしの要望を見事にスルーしたそのクソメガネは、また自販機にお金を投入した。
ピ、という電子音のあと落下するアルミ缶の重い音。
続く電子音。また落ちるペットボトルの鈍い音。
「ちょ、ちょっと! なんでこんなに!」
「なんでもいいだろ」
あきらかに頼まれた人数より多いそれは、いったいどうするつもりなのか。
有無を言わさず、積み上げられそうになるものに大声で抵抗した。
「はああ!? よくない! よくないですよ! 金持ちか! 頭が良いだけじゃなくお金もあるのか! こんなに買ったってしかたないでしょうに、あ! もしかしてうちのクラスの女子を狙ってのことですか!? だからこんなに毎日毎日来るんですか! まったく頭がよくてお金があるなら、女子なんてホイホイついてきますよ! 別にうちのクラスじゃなくったっていいじゃないですか! 自分の周辺のクラス狙ってくださいよ! というよりも、まず飲み物買って懐柔するより女子に対して親切にしたほうが何倍もかっこいいですよ! ということで、いま目の前にいるあたしにとりあえず親切にしてくださいよ! こんなに持てるわけないだろーが! もう重いわ冷たいわで感覚がマヒしてきてるんですよ、こっちは!」
「――――ふ、」
あたしの怒号を引き裂くように、噴出したメガネが顔をそらす。
こらえるように続くその笑いに、腕から頭まで冷えてきて冷静になってきた。
というか、ちょっと恥ずかしくなってきた。
「……なんですか」
「いや、別に」
「そんなに笑っておいて、別にはないでしょ」
「うける。ってか、ようやくらしくなってきたなと思って」
メガネの発言に、息が止まる。
まるで自分の内側が見透かされていたようで、熱が上がる。
メガネの奥の目があたしをまっすぐ見ていた。
さっきまでの笑いが嘘みたいに、真剣に。
「あいつのこと、どんだけ待ってんの」
冷えて、重くて、痺れて、感覚のない腕を伝うもの。
「一週間待てっていったのに、窓の外見てぼーっとしやがって」
目の前で持ち上げられる、赤い缶。
「もう、上からなにも落ちてこねえよ。いくら待ってても」
缶からしたたる水滴が、景色を、メガネを、声をにじませていく。
「……なんで、そんなこと知って」
「消しゴムのことか? それともノートの紙切れ? ああ、クリップもあったか。あとは、」
あたしが心待ちにしていたもの。
空の青から降りそそぐ、ハルくんがくれたもの。
それをどうして、このメガネが知っているの。
「だからなんで、それを!」
「さあ?」
何でもないようにはぐらかされて、伸ばされる腕。
宙に浮いて、向こう側に収まる缶やペットボトル。
軽くなっていくそれに反して、重くなっていく心。
「お前、ジュース買ってやるより親切にしたほうがいいんだっけ?」
「は? なにを急に、」
「さっき、目の前のあたしに親切にしてくれっていっただろ? どうだよ?」
急に話が変わりすぎて、会話についていけない。
腕が軽くなったのはありがたいけど、このメガネはいったい何が言いたいのか。
「だから、なにかどうって」
「それとも窓からなにか落としてやろうか。そんなに恋しいなら」
腕の中に残っていた缶が、隙間から落ちた。
その重々しく響くものに、足元が揺らぐ。
「あーあ、俺のコーラ落としやがって」
なんなの。
このクソメガネがそんなこというの。
「責任取れよ、ブス」
いつまでも待っていて、なにが悪いの。
窓の外を見ていれば、もしかしたらって思うことのなにがいけないの。
恋しいなんて、そんなの考えてもないけど。
「おい、聞いて――――、」
だけど、会いたいひとに会いたいと思うことのなにがいけないの。
「柳原くん」
突如、背後から差す影と、まぶたを覆う闇。
閉ざされた視界に降りそそぐのは、間伸びした声。
「かなかなを、いじめないで」
なにこの登場。
ちょっと、かっこつけすぎじゃないですか。
ねえ、ハルくん。