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ソラアイ。  作者: 梶原ちな
本編
11/18

10.なみだを落として怒ってた。




息を飲む。

情けないことに、そこから動けずにいた。



階段をのぼって、うちのクラスと同じ位置にあるこの教室。

しかし廊下の雰囲気がまったくちがうのは、ここが特進コースだからなのか。


休み時間だというのに、廊下に出ている生徒は数名。

教室から漏れる音はとてもひそやかだ。


「はあ、」


目的地についたものの。

そこからどうすることもできず、ドアの手前で立ち尽くすこと数十秒。

そろそろどうにかしないと、間違いなくおかしいと思われることだろう。


でもそもそも他の教室には入りにくいし、学年も違うし、なんたって頭いいクラスだし。

とにかく、入りづらいことこの上ない。


それになんていって話しかけたらいいんだろう。

嫌がられて避けられているかもしれないのに。


どうしたらいいものか。

でも、このままおめおめと自分のクラスには帰れない。


「……よし」


休み時間も残り半分。

じりじりと背を焦がす夏の光線に押されるように、指をドアにかけた瞬間。


「ったく! わーったよ! しかたね、……え?」

「え?」


目の前の扉が勢いよく開いて、そしてあたしの視界は暗転した。






** *






「ごめん」

「……イイエ、コチラコソ」


なんでこんなことになったのか。

あのまま気でも失えばまだ楽だったものを。


「いてえの? やっぱ保健室、」

「結構です。……それより、この状況をなんとかしてください」


教室の窓側、後ろから二番目のあたしと同じ席。


教室から出てきたあのクソメガネ野郎と衝突して、ぶつけたおでこを押さえる間もなく。

数名の男子に両腕を抱えられたあたしは、なぜかこの席に座らされていた。


目の前にはクソメガネ。

その脇を固めるのは、どうやらあの食堂で会った人たちらしかった。


しかし、この状況はいったいなんなのか。

ズキズキ痛む頭を押さえながら、目をそらすことしかできなかった。


「この状況って、ああ。お前ら散れよ」


メガネが手を振るもむなしく、ガンとして動かない男の群れ。

あたしのクラスは女子ばかりだから、こんな光景を目にすることはほとんどない。


影差す頭上に、低い声。

嗅ぎ慣れない整髪料のにおい。


なんだか、さらに頭が痛くなってきたような気がする。


「んでだよ。俺らだって後輩ちゃんと絡みてえの」

「こないだぶりだもんなー。一週間くらい?」

「それよか、頭大丈夫か? このバカとぶつかったんだろ?」


気のせいだろうか。

どうもこないだ会ったときよりも友好的、というかなれなれしいような。


まあ、このひとたちは頭のいい男子ばっかりのクラスだし。

あたしみたいなのは、非常にものめずらしいのかもしれない。


しかし辺りを見回せば男、男。

しかもその目のほとんどがこちらを向いている。


この気まずさがとにかく居心地が悪くて、早々に席を立ちあがりたいのに。

後ろにもクソメガネの友達がいるものだから、もうどうしようもない。


「バカっつーな。お前より模試の成績いいだろ」

「うっわ、いいやがったよ。これだから頭のいいヤツはさー。ねえ、後輩ちゃん」

「つっても、上原にはかなわねえじゃん」


小突き合う男どもの会話に混ざったのは、ハルくんの苗字。


そうだった。

いったいあたしはなんのためにここに来たのか。

最初の衝撃のせいで、うっかり本来の目的を忘れるところだった。



「あの……!」



気まずさや居心地の悪さなんてこの際どうでもいい。

あたしは、ハルくんに会いにきたというのに。


痛む頭から手を放して、スカートに上でぐっと握りしめる。

食い込むツメの感触に意識を集中させて、口を開く。


「は、榛馬先輩は、あの、どこに、いますか!」


見据えた視線の先に、クソメガネの顔。


その表情が一瞬、驚きの形をとったかと思いきや。

わざとらしいため息とともに、その目が伏せられた。


あんなにざわついていた他のひとたちも、あたしから目をそらすように顔を背ける。


「あたし、ハルく……榛馬先輩にその、会いにきたんですけど」


次いで出た言葉に、顔だけじゃなく思い切り背を向けられる。


いったいなんだというのだろう。この態度。

ハルくんの話題を口にしただけでこの有様。


やっぱり、このひとたちはハルくんになにかしていたに違いない。

だからこんなふうにあからさまな態度を取るんだろう。


食堂でのあの会話をあたしは忘れたわけじゃない。


ハルくんに酷いことをいって、この窓から飛び出すようなことをしたのは。

間違いなく、このひとたちなのだろうから。



「ハルくんは、どうしたんですか」



頭の痛みは熱に。

沸き立つほどのなにかに変化していく。



「なんで、だれも答えてくれないんですか!」



濁った赤に染まっていく向こう側で、ようやくクソメガネと目が合った。



「いっておきますが、あたしはかわいそうなんかじゃないです。ハルくんを御守りしてるなんて思ったこともないです。保健室のナカちゃんに頼まれたのはちゃんと断ったし、たしかに毎日来られてちょっとと思うことも無きにしも非ずっていうか、まあいろいろ思うこともありましたけど。でも、ハルくんはあんなんですけど、だらしなくて無気力でへらへら笑ってばかりで何考えてるのかさっぱりわからなくてとても年上で頭いいクラスの先輩とか思ったこともないくらい情けない感じですけど、でも! でも、すごく繊細なとこがあって、言いたいこと言えないから我慢して、笑って場を和ませて、自分よりも他人のことばっかり思っているようなそんな優しいひとなんですよ!」



ぼやけていく。

霞む濃赤が、ハルくんの魔法みたいな青に沈んでいく。



「やさしいひとなんです。だから、」



もっと、優しくすればよかった。

こんなふうになる前に。


だらしないかっこも、寝癖だらけの髪も。

それなりに見えて悪くなかった。


ほんとうは。



開けっ放しのシャツから見える鎖骨から目を背けたこともあった。

だって、顔が赤くなったらあたしが変態みたいだから。


かなかなって、間延びして呼ぶ声がいつのまにか耳慣れてた。

そんなあだ名も悪くないって、そう思ってた。


足が痛くても毎日会いに来てくれて、くすぐったい気持ちがしてた。

あたしが大声だしても、うれしそうな顔して返事してて。

そのたびに顔がにやけそうになるのをごまかすのに必死だった。




『かなかな』




空から降る消しゴムの雪や、紙の花や、鉄の銀星は。

あたしの心をどれだけ救ってくれたかわからない。



あたしのどうしようもなく退屈な毎日を変えてくれたのは。


ハルくんだったんだよ。




「ちょ、後輩ちゃん!」


ぼたぼたと音を立てて机を打つあたしの雨に、気づいた一人が声を上げた。


目の前のクソメガネは、その目を大きく見開いてあたしを見ていた。

茫然と、ただ。


「やべ! あのな、俺らちょっと相談してて、」

「上原は今日来ねえんだよ、そのいろいろやっててさ」

「ああー! まどろっこしい、俺こういうのたえらんねえ! 上原はいま、」


クソメガネを囲む数名の影が慌てふためいたように、次々と口走る。

その中の一人があたしの肩をつかんで、何か言おうとした。


その手を。



「言うな」



クソメガネが紡ぐ言葉とともに、強く払い落とした。


その声に反応して、口を噤む集団。

うつむいていくその影を追うように目を向けるけれど、だれも口を開かない。


「上原のことは悪かった。きちんと話つけたし、もうちょっかい出さねえから」


クソメガネがその本体であるメガネを外して、あたしを見る。


まっすぐに。

今度はそらすことなく。


伸びてきた腕が、ハルくんとはちがうしっかりとした手が、あたしの落とす青をぬぐっていく。


「あと一週間。上原のこと、待っててやってくんないかな」


その声とともに響く鐘の音。

チャイムに重なる、メガネの言葉。


なにがなんだかわからなかったけれど、うなづく以外のすべをあたしは持たなかった。






「だれかハンカチもってねーの!?」

「俺らそんなもん持ってねえよ! あ、ティッシュならここにあんぞ!」

「待て待て待て、それトイレの紙だろ! んなもんよこすな!」

「しかたねえな、ここは俺がひと肌……」



コントですか。

ツッコミ待ちですか。

というか、なんで本気で脱いでるんですか。


ここって本当に頭いいクラスなんですか? 優等生の先輩方。

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