1 ミレシア
「ミレシア、こんなところで何をしてるんだ? 結婚したはずだろう」
「離縁されたんです」
「だからって、侯爵令嬢が騎士団でメイドはしないだろう!?」
「……」
「——ヴィンセント、何処にいる!?」
「——! 王太子……」
遠くから呼ぶ声がして、ヴィンセントは私をチラッと振り返って行ってしまう。
幼馴染の侯爵子息のヴィンセント・フェルスターにはすぐバレてしまった。
騎士団の寮の新人メイドの私、ミレシアが、ヴェルディア侯爵家の令嬢だと言うことが。
当たり前か……。
身分を隠していても、多分、もっとたくさんの人が気付くわね。
社交界デビューしてすぐに結婚してしまったけど、それなりに声を掛けてくださる人もいたし……。
私が結婚したのは、リュート・ヴァルセイン子爵子息。
身分は私より下だけど、お父様の取引の為に必要な契約結婚だった。
「お父様のわがままに付き合わせて申し訳ありません。三年間よろしくお願いします」
私がヴァルセイン子爵家で挨拶すると、
「あなたのような人を契約結婚でもお嫁さんに出来て、僕はとても幸せです」
リュート様は眩しい笑顔で私を迎えてくれた。
押し付けられただけの私に気を遣ってくれたのか、リュート様の優しさと笑顔に、私の張り詰めていた心が溶けていった。
——一目惚れ。
私は契約結婚の相手を本当に好きになってしまった。
私、ミレシアは16歳、リュート様は17歳の騎士見習いだった。
騎士見習いのリュート様は騎士団の寮に居て、ほとんど週末にしか自宅に戻らず会えなかったけど、会うたびに好きになっていった。
騎士団から給金が支給された時には、必ず私へのプレゼントを買って来てくれた。
アクセサリーも嬉しかったけど、王都で評判のお菓子を買って来てくれた時は、一緒にお茶をして楽しい時間が過ごせた。
ううん、緊張して全然楽しくなかったかもしれない。
でも、一緒にいられるだけで胸が詰まった。
契約結婚なのに……リュート様を愛してしまった——。
(リュート様は、本当の結婚にしてくださらないかしら……?)
契約の終わる頃にはずっと考えていた。
でも、もうすぐ契約の終わりが近づいてリュート様が嬉しそうにしていて——。
契約結婚が終わるのがそんなに楽しみなんだ。
愛されることのない私は、それでもあなたのそばにいたくて——。
——騎士団の寮のメイドに転職しました!
今の騎士団長は私が子供の頃から知っている侯爵様で、幼馴染のヴィンセント・フェルスターのお父様だ。
叔父様に思い余って相談の手紙を書いたら、騎士団の寮が人手不足だということで、すぐに来てくれと言われて、慌てて荷物をまとめてやって来たのだった。
リュート様には最後の挨拶をせずに、置き手紙だけだったけど、ちゃんと読んでくださったかしら?
私は洗濯の終わった騎士たちの制服やリネン類を各部屋に届けていた。
まずは騎士たちの名前と部屋を覚えるのが仕事だと言われたのだ。
2階の見習い騎士は数人の相部屋で、まとめて洗濯物を置く場所があるから名前を覚える必要はないけれど、新人メイドの私を手伝ってくれる見習い騎士がたくさんいて、名前を教えてくれた。
16歳から20歳くらいで、19歳の私とはだいたい同世代だった。
私は洗濯物を置きに来たのに、それすらせずに仕事が終わってしまった。
三階より上の騎士の部屋になると個室か二人部屋になる。
リュート様は騎士になったばかりだから、二人部屋にいると思う。
洗濯物を積んだ台車を押しながら、部屋の前の名札と洗濯物に書いてある名前を照らし合わせて、洗濯物を部屋の中に置いていく。
今は訓練中で騎士は出かけていて、部屋で鉢合わせすることはない。
洗濯を用意するメイドがちゃんと部屋の順番に洗濯物を並べてくれているから、とってもやりやすい。
私が洗濯物を並べる仕事をする時も、こういうふうにやらなきゃいけないのね。
そして、リュート様の部屋を探すつもりが、名前を覚える事に集中していた。
だから、急に現れたその名前に必要以上に驚いてしまった。
リュート・ヴァルセイン
ヴィンセント・フェルスター
とある部屋に、二つの名前が並んでいる。
リュート様と、私の幼馴染のヴィンセントだ。
——え……二人は相部屋だったの……?
「——ミレシア……ッ!?」
私が名前を覚えながら洗濯物を配っていたから時間がかかって、訓練を終えた騎士たちが戻って来る時間になっていたらしい。
振り返るとリュート様がいた。
驚きに目が見開かれていた。
手紙を置いて来たけど、リュート様には読んで貰えなかったのね。
「リュート、どうしたんだ?」
後ろからヴィンセントも来ていた。
ヴィンセントも私に気づいて驚いている。
「知り合いだったのか……?」
ヴィンセントは、私の結婚相手がリュート様だって知らなかったのね。
契約結婚で三年後に離縁するのが決まっていたから、相手の名前はそれほど重要じゃなく『ミレシアは結婚した』とだけ伝わっていたのかもしれない。
「ヴィンセントこそミレシアを知っているのか……!?」
リュート様が驚いている。
「……いや、同じ侯爵だし知り合いでもおかしくないのか……」
子爵のリュート様と、侯爵のヴィンセントでは身分が違うけど、騎士団の寮の中では関係ないみたいで、対等に話している。
二人とも私より一つ年上の20歳で、同じ歳だ。
「ミレシアは俺の幼馴染だ。……ミレシアが離縁された結婚相手ってお前なのか? リュート」
ヴィンセントの問いかけに、リュート様が一瞬怯む。
「……それは……ミレシアとは結婚していたけど……」
ヴィンセントの顔は怒りでカッと赤くなる。
「なんで、離縁なんてしたんだ……お前が離縁しなければ、ミレシアはこんな場所で働かなくて良かったのに!」
ヴィンセントは誤解している。
結婚は元々契約結婚で離縁が決まっていたし、私が勝手に騎士団の寮に押しかけたのに……。
「……ヴィンセント……それは……」
「それは、僕の方が知りたい……!」
私の言葉をリュート様がさえぎる。
「急に出ていって……どうして、騎士団の寮にいるの? ミレシア」
リュート様に優しく問いかけられた。
置き手紙を読んでくれていたら伝わったのに……。
「リュート! お前に急ぎで手紙が届いていたから持ってきた……」
男性が階段を登ってやって来ると、手紙をリュート様に手渡した。
私が子爵家に残して来た手紙で……。
リュート様はすぐに手紙の封を切った。
「——ミレシア……!?」
私が、リュート様が手紙を読むのを見守っていたら、手紙を届けてくれた男性が私の名前を呼んだ。
振り返ると見覚えがある男性だった。
「ネイサン・ローゼン……様……」
私が社交界にデビューしていたわずかな時間に声をかけてくださった、公爵子息だった。
「探していたんだミレシア! 侯爵家では結婚したと聞いたけど、相手のことは全く教えて貰えなくて、嘘だと思っていたんだよ」
ネイサン様が私の手を握る。
「ヴィンセント、どこだー!」
また、違う男性が階段を登ってくる。
「……ジュリアン様……!」
ヴィンセントが振り返った。
確か、ヴィンセントは王太子の護衛をしていると、メイドとして働く挨拶に伺った時に叔父様——ヴィンセントのお父様の騎士団長が言っていた。
ジュリアン・フェルネス……彼が王太子様なのね。
17歳で騎士見習いになったばかりだと聞いている。
公爵のネイサン様が確か21歳で、20歳のリュート様やヴィンセントと比べると、王太子はなんだか可愛く見えた。
私がジュリアン様を可愛いと思っていたはずなのに……ジュリアン様も、
「可愛い……」
と言っていた。
なんの事かと思っていたら、フラッとジュリアン様が私に近づく。
ネイサン様が私の手を握っていたけど、ジュリアン様が現れて振り返った時に離していた。
誰にも触れられていない私の手を、今度はジュリアン様が握って言う。
「可愛い……名前を教えてください!」
え? 私はただのメイドなのに——。
ヴィンセントも私と同じくらい、驚いている。
「ジュリアン、君にはもっと相応しい子がいるから、年上のメイドに手を出すのはやめるんだ」
ネイサン様がジュリアン様の手を私から引き離す。
「ネイサン兄様こそ、三年前に別の人と結婚した侯爵令嬢が忘れられないんでしょう? メイドに手を出すのはやめて下さい」
ジュリアン様とネイサン様は従兄弟同士で仲がいいと噂になっていたけど、本当に仲がいいみたい……。
でも、私の前で、私の事で喧嘩してるなんて……。
「ミレシア……どういう事なんだこれは……!」
私の手紙を読み終えたリュート様が私を見つめる。
リュート様は青ざめた顔をしていた。
『契約結婚の期限の三年が経ちました。私は、ちゃんとした夫を探さなくてはいけませんから、騎士団の寮で働くことにしました。
今更、社交界には戻れないけど、騎士団の方になら、騎士のあなたと婚姻関係があったことはアピール材料になると思います。
騎士団の寮で、リュート様にお会い出来るのを楽しみにしています』
ただ、リュート様のそばにずっといたくて書いたのだけれど——。
理由がなければただリュート様を追いかけて来ただけの痛い女になってしまうから、夫を探すためと書いたのだけど……。
この状況って——本当に私が婚活に来たみたいになってない?




