第一章2
『今から行くからね! お覚悟!』
『へいへい』
すぐに返事が返ってくる。
わたしは黄熊家へと向かった。
黄熊家の内装は、白とグレーをベースにしたどこか北欧の風を感じさせる家。物が少なく、ナチュラルな色合いのシンプルな家具が並びとってもおしゃれ。
そのおしゃれ空間にいる金髪はとっても場違い。
顔立ちが彫りの浅い日本人だからね。
素朴で、だけど派手な白金は、まあ、団地とか、もっと田舎っぽさを感じさせる場所なら似合いかも。
白金のさらさらの髪、垂れ目がちな瞳はどこか力強い。振る舞いが紳士的なところもあるのに、いちいち乙女ちっくなその所作は、男の子にも人気があるが、女の子にも人気がある。
学年が違えば、同じ学校に通っていても、一人一人の生徒なんてわかんないのに、まちきっちゃんの噂だけはよく聞く。かわいいかわいいって。わたしが一番知ってるよ!
「まちきっちゃん!」
ベッドの上でぺたんと女の子座りをしていたまちきっちゃんに、わたしはダイブして抱きつく。
「ぐえ」
「ぎゅー!」
抱きしめる。めっちゃ締める。
「むふー。良い匂い」
「苦しい。はなして」
いつもの流れで大満足したものの、この愛しい愛しいまちきっちゃんのお体が我らが長兄に汚されていると思うと、むかむかしてきて、ゆるゆると抱きついておく。
あんま締めつけない。嫌がられたら嫌だしね。
おでことおでこをくっつける。ひんやりしてる。
「冷水でも浴びた?」
「浴びた」
この娘は……。
「風邪ひくよ?」
「日中ずっと家にいる不健康な穂々に言われたくない。動け出不精」
「ぶー」
でぶと掛けたのだろうか。地味に傷つく。割りとこういう傷つくことは平気で言う。人の気持ちが分からないサイコパスなところがある。
膨らませた頬を両手でつぶされる。「ぷしゅっ」と息を吐き出す。
わたしは両手で頬を挟まれたまま俯く。引っ張られてちょっと変顔。まちきっちゃんが首を傾げたところで、変顔のまま思い切って訊いてみる。
「ねえ。お兄ちゃんと何かあったの?」
ぼんっ! と、いう擬音がアニメだったら煙と共に聞こえるだろうなってくらいにまちきっちゃんは真っ赤になって両手をわたわたさせる。
「たっ……って! なんっ、で!」
なんだこのかわいい生き物。ぶんなぐってやりてーあの鳥の巣。
ほんと、アニメみたいな反応する子だな。嫌われそうなのに。これで同性から人気あるってのが正直同じ学校通っていて信じられなかったり。
「ほら。お兄ちゃんにさっき会ったら、鳥、首に付けたから。訊いてみたら吐いた」
わたしは抱きついたまま引っ付いていた体をほんの少し離す。両手をそのまままちきっちゃんの両手に重ね合わせた。
「そっか」
笑った。喜びを噛みしめるようにはにかむ。いらいらいらいら。
「なんでお兄ちゃんが好きなの? 今までそんな雰囲気なかったよね? いつから? 男として好きなの? 兄妹としてじゃなくって? 意味わかんないんだけど? 意味わかんないんだけど? もう一回言うよ? 意味わかんないんだけど?」
わたしの矢継ぎ早な質問の嵐にも、まちきっちゃんは落ち着いていて、言葉を探すように自分の中から答えを探っていく。
「私、ちっちゃい頃からずっと、ずっと、ずーっと、実は、好きだった、のね?」
「はあ。は?」
そんな素振りあったかなあ。
どちらかというと、兄には懐いていない方だと思っていたが。
姉妹の中ではね。まちきっちゃんって大人しく後ろに控えているイメージあるから。
「近くにいた男の人ってお兄ちゃんだけだったから、自然と好きになった……でも。言えなくて。夏休みになってから、お兄ちゃんと二人っきりで話す機会があったんだけど」
まちきっちゃん寡黙だから男子寄ってこないしねー。
わたしたちの通う学校は共学だ。男子もいる。
けれど、同年代の男子はこういう寡黙な子よりも、イケイケガンガンな、誰にでも話しかけることのできるオープンな女子に弱い。草食系の波はすごいよ。十代は特に。
「機会ねえ」
「あ。クーラーで涼もうとして。お兄ちゃんの家に」
節約。
こういう家に住んでいると、一個で済ませられるところは済ませておこうという意識がわたしたちの中にはあるのだ。わたしはクーラー嫌いだから、暑いとこでも平気でいるけどさ。涼しい家あったら自分ん家のエアコン付ける前にその家行っちゃうってのがあるんだよ。
まちきっちゃんは夏休み中、部活やってるし、帰ってきて、暑いところにいるよりは最初から涼しい場所へってのは理解できた。
改めて思うと猫みたいだな……けど、この子、猫みたいなとこある。
「そこでお兄ちゃんの考えを聞かされて。ああ、いいんだなって思って。思っちゃって」
思っちゃったかー。
小さい頃から好きだったけど言えなくて? どこまで乙女なの?
「考え方って、あの家族で完結させたいってやつ?」
「そう、それ。穂々も言われたんだ」
まちきっちゃんは、意外そうな顔する。
マジカヨ。
あの考えをそのまんまこの娘に話したということは、他の姉妹にも手を出す、あるいは既に手を出しているということをこの娘は了承済みということか? 早急確認必須。だけど、どう切り出したものやら。
「お兄ちゃんを好きな子って他にもいるじゃん。碧姉とかさ」
沙弥姉の名前は出さない方がいいと判断する。
「それでもいい。この家族なら。許せる」
許せるって。こえ。この反応は、お兄ちゃんが、わたしに話したことと寸分違わぬ内容をまちきっちゃんにも伝えていると思って間違いない。のだろうか? 不確定要素やらのあの話の内容に同調しているように思える。
「したの?」
「……うん」
まちきっちゃんのほっぺたがさらに真っ赤に染まる。包み込んでいた両手も熱くなる。
あんのお兄ちゃん野郎。というより、まちきっちゃん、十六だよ? 不純異性交遊にも程度ってもんがあるのよ? まあ、どこまでやったとか野暮なことは聞かないけどさ。
「でもね。わたしもまちきっちゃんのことは好きなの」
まちきっちゃんの柔らかいほっぺたを今度はわたしが両手で包んだ。赤くなった頬の熱が手のひら越しに伝わってきた。何を思ったのか彼女も右手を重ねてくる。
おでこをくっつける。こっちはひんやり。
彼女は恐らくわたしが、お兄ちゃんとの関係を心配していると思っているだろう。しかし、わたしは今、自分の中で、心の中で、ある考えが浮かんでいる。
解決策と言ってもいいかもしれない。それも、かなり無謀で乱暴な。
だって、この家のみんなはおかしいから。
そう、お兄ちゃんも言ってたから。
だったらいいだろう。
わたしはそのまま顔を近づけて、まちきっちゃんの薄い唇に自らの唇を重ね合わせた。わたしは目を瞑る。まちきっちゃんは目を見開いているだろうか? ぎゅっと肩を抱き、さらに舌を潜り込ませようとしたところで、肩を叩かれた。
距離を取られる。瞳に警戒心が宿っている。
「なに?」
「わたしはお兄ちゃんよりもまちきっちゃんのことが好きだから」
唇だけで笑ってみせた。
未だ戸惑うまちきっちゃんを置いて、わたしは黄熊家を後にする。
唇がまちきっちゃんの唾液で湿り気を帯びている。
つとよだれ。一筋。
手で掬い、綺麗に舐め取った。
ミントの香り。
沙弥姉んところに行く前にもう一度お兄ちゃんの意思を確かめておこう。
そう思い、一里家に向かおうとしたけれど、お兄ちゃんと中庭で出くわしてしまう。さっき会ったときの格好のまま。プラスサンダル。首には当然シルバーアクセサリー。こいつ、さては今から黄熊家に行くつもりじゃあなかろうな。
「どこ行くの?」
「コンビニ」
「ふうん」
横を通り過ぎようとする兄に、
「お兄ちゃん!」
と、叫び止めた。
あんな話をしたばっかりだ。わたしの瞳の色に何かを感じ取ったのか、お兄ちゃんもどこか挑戦的な瞳の色をしていた。
「家族で完結させたいって本気?」
「ああ」
「どうして?」
「だって、みんなのこと好きだし」
そうか。性欲第一みたいに考えていたけれど、好きじゃなくちゃできないもんね。
「ふ」
わたしは息を吐く。
こいつはモテる。顔立ちは良い。軽くて接しやすい。わざわざ家族を選ぶ必要も無いっんだ。それなのに家族を選んでいるということは。
そこに、愛があるからこそ。
「姉妹に他に……例えば、外に、好きな人ができたら?」
「俺の方を好きになってもらう?」
だったら。
「内だったら? 家族の中で、とか」
お兄ちゃんは一瞬わたしの言っていることの意味を図りかねたのだろう。眉根を寄せた。やがて、わたしが言わんとしていることの意味を悟ったのか、
「それは当人たちの自由だな。尊重するよ」
と、言ってきた。呆れ顔で。肩を竦め。
「穂々って姉妹の誰より頭おかしいよな」
「行ってらっしゃい」
歩みを再開する。お兄ちゃんがその場を去るのも確認せず、わたしは沙弥姉のいる羽田家へ向かった。向かうことにした。
そうだ。順番にいこう。




