La storia di un certo pilota
蒼天に、ひと筋の白が輝く。ぼくはただ両手を広げて。
空に、溶けてくんだ。
La storia di un certo pilota
___或る飛行機乗りの話
1,
彼の戦死通告を受けたのは、どれくらい前のことだったかしら。
ラウラはそんなことを考えながら、キッチンの端に座って頬杖をついた。あの薄っぺらい紙が家に届いてから、もうひと月近くになる。ラウラはキッチンの小窓から外を覗いた。窓の外には、この辺りの夏特有の雲ひとつない澄みきった蒼が広がっている。
ラウラははぁ、と溜息を吐いた。未だにまるで実感が湧かないのだ。彼が、死ぬ2,3年程前から家を開けていたからかもしれない。違うのは、彼がずっと帰ってこなくなったことだけ。これからの彼女の暮らしには何の変化もないのだ。
でもラウラは彼のことを忘れたことなんて一度もなかった。目を瞑れば、彼が出掛けに笑った顔がすぐに浮かんでくるぐらい。
「ラウラ、暫く会えそうにないね。この国には飛行機乗りが足りないみたいだから」
そう言って、困った様に笑ってたっけ。あたしの夫、アンドレーア=イウラートは。
あのとき、彼と離れるのは心底嫌だった。ずっとずっと、あのままでいたいと思ってた。だけども。あたしはそれからしばらく後に届いた彼の死の知らせに、泣くことはなかった。
別に愛がなくなったってワケじゃない、と思う。やっぱり実感が湧かないのだ。彼はまたいつかふらりと帰ってきてくれそう、そんな気がするのだ。
ラウラはずっと放置してあった、白いボウルを覗き込んだ。色とりどりの果物がシラップの中でゆるりと踊っている。彼が好きだった、マチェドニア。こんなに沢山、独りで食べきれるかしら。
結婚祝いにと貰ったラジオからは、いつも通り陽気な音楽が流れている。遠くて近い、異国の戦況はもう流れてこないのかもしれない。
平和。
それはきっと、とってもすばらしいことなんだろうけれど。
なんとなく、さみしいような気がするの。
からん。
ラウラが近くにあった皿に手を伸ばそうとしたとき、ちょうど玄関のベルが鳴った。
2,
アンドレーアにとって、帰る家はいつもあそこしかなかった。いつだって彼女の笑顔で溢れている、岬の上のちいさな家。
「悲しいことがあってもね、笑っていればへっちゃらなの。」
それが僕の妻、ラウラ=イウラートの口癖。ケーキを焦がした日も、嵐でタオルが飛ばされちゃった日も、そう言っては笑ってたっけ。夏の太陽なんかよりも、ずっとずっと、明るい笑顔で。
あのときは、この幸せがずっと続くもんだって信じて疑わなかった。あのときの僕は近い将来、自分が雲と雲のあいだをさまよってる、遭難してるだなんてきっと夢にも思ってないんだろうな。
アンドレーアはコックピットにある燃料計を覗き込んだ。さっき基地を出たところだから、まだ針は少ししか回ってない。だけども。この燃料だって、3日もしないうちに尽きてしまうだろう。
もしそうなってしまえば。
ああ、死ぬ前にもう一度、ラウラに会いたかった。
アンドレーアは懐中時計の裏に貼りつけてある写真を眺める。結婚したときに奮発して撮った2人の写真。もう何年も離ればなれになってるからって、別に愛がさめた、ってワケじゃないんだ。そうじゃなきゃ、こうやってちょくちょく彼女の写真を眺めたりなんかしないだろう?
「何だ?」
アンドレーアが懐中時計を閉じて運転席に寄りかかったちょうどそのとき、彼の頭上を何か大きいものの影が通り過ぎた。
3,
それはまるで夢のようだった。
いや、たぶん夢だったんだと思う。
アンドレーアは視界いっぱいに広がる灰色の雲のすき間から、一機の飛行機が飛び出してくるのを見た。それは、黒い影のようにときどきゆらゆら揺れて。でも、アンドレーアにはなぜか、それははっきりとそこにいるような気がした。
しばらく、アンドレーアはその飛行機のすぐそばを飛んでいた。もしかしたら、またもとの場所に戻れるかもしれないから。アンドレーアは隣の飛行機の操縦席に目をこらした。向こうのパイロットは機体とおんなじように、全てが真っ黒。それは気持ちが悪いほど。
「僕は…死んだのか?」
そうじゃなきゃ、こんなことありえない。認めたくないけど…きっと。
雲の切れ間から、太陽の光が差す。その光は黒い飛行機の本当の色をうつしだした。
それは、アンドレーアの飛行機と同じ、朱色。ずっと前に死んでしまった、父さんの飛行機と同じ、朱色。
「父さん…?」
雲が太陽を隠し、またあたりは灰色に包まれる。その飛行機の色は、またもとの黒に戻ってしまった。
あれは、見間違いだったんだろうか。いや、そんなことはない。アンドレーアは首をふる。あの油染みだらけのシャツは父さんのものだ。ぼろぼろの手袋も、白髪まじりの無精ヒゲも、全部。全て。
黒い飛行機は、急に高度を下げて雲の中に溶けてゆく。それが消えて行った雲の下に、緑の大地が見える。アンドレーアは、飛行機のかじをめいっぱい切った。
僕も、行かなくちゃ。
だけども。
彼の飛行機の高度はちっとも下がらなかった。
4,
あの後のことを、僕ははっきりと覚えていない。気がつけば、僕は基地に戻っていて、仲間たちがみんな泣いていて。
みんなが言うには、僕は一ヶ月近く遭難していたらしい。そのあいだに戦争は終わっていて、しかも、てっきり僕は死んだとまで思われていた。
おかしいなあ、たったの1,2時間のことのような気がするのに。
アンドレーアは懐中時計をポケットから引っ張り出して、中身を覗き込んだ。幸せそうなラウラの笑顔。ああそうだ、僕は家に帰らなくちゃ。
真っ青な海に面した、岬の上の、ちいさな家。アンドレーアはそのドアにそっと、手をかけた。
君に会ったら、まずは何て言おう。愛してる?会いたかった?
そうじゃない。もっともっと、シンプルな言葉でいいんだ。そうだ、こう言えばいい。
ただいま、って。
からん。
玄関のベルが鳴った。
5,
「はーい、どちら様?」
ラウラはいそいそと椅子から立ち上がり、玄関へと急いだ。
こんな時間に来るなんて、アンナ小母さんかしら。もしかしたら近所のガキんちょたちかもしれないわ。今日のマチェドニアは特別だから、あんたたちにはやらないんだから。
それとも。
「アンドレーア…」
「ただいま」
ああもう、涙が止まらない。ラウラ(あたし)は両目からぼろぼろと涙を溢しながら、アンドレーア(僕)に抱きついた。
"Sono (Ben)tornato"
あとがきと言う名の懺悔
拙作を読んで頂き、ありがとうございました。
一応元ネタはロアルド・ダールの作品…ですね。でもこれじゃレベルが下がり過ぎ…
内容については、話が切れすぎてて何のこっちゃな部分が多かった気がします。時系列的には2→3→4→1→5→6の順になっている、はず。
補足説明ですが、舞台はww1前後のイタリアになります。アンドレーアは軍に召集されたっきりなかなか戻ってこれなかった、って感じです、かね。
細か過ぎる気もしないではないですが、作中に登場したマチェドニア(=マケドニア)のあるバルカン半島はww1の主戦場のひとつにあたります。
あ、あと、冒頭部分はきっとアンドレーアの父の言葉だと思います←
最後に、作中のイタリア語の訳を(笑
Sono tornato
ただいま
Bentornato
おかえり
La storia di un certo pilota
特定のパイロットの履歴
直訳って凄い…