第15話、盲目ナース
ゆっくりと遠ざかっていく足音。
そして眼鏡に倣って左側の通路を覗き見ると、既にナースの姿は無かった。
「よし、行くぞ! 」
眼鏡の先導で、俺も他の奴らに混じってついて行く。
しかし正直通路を進む足が重たい。眼鏡がバスで話した説明では、これからあのナースと何処かですれ違わないといけないらしいから。しかしあの不気味な姿は想像以上、やばすぎる。あの内から漏れ出る不気味さを醸し出していたゲイリーが可愛く見えるレベル。
そして眼鏡はあの姿を知っていてなおこのステージに挑戦し、平然と説明して皆を鼓舞していたわけだ。
眼鏡も狂ってやがるな。
25メートルはある長い通路は薄暗く、あちらこちらに物が散乱している。
通路の左右にはいくつも部屋があり、各ドアの上には診察室などと書かれたプレートがそれぞれ取り付けられている。
そして眼鏡は、おもむろに右側の何も書かれていない部屋を開けた。
小さな部屋の壁全面には、天井まである高くて横幅のある棚が所狭しと設置されており、その棚の中には様々な小瓶が陳列されている。それらにはどうやら薬品名が書かれたラベルが巻かれているみたいだが、どれも古くインクぼけしており文字が見えない。中にはひび割れた部分から中の液体が漏れ出て、棚の一部にシミを作っているものさえある。
どうやらここは薬品庫のようだが、何かが隠されていそうな怪しさ満点である。
「ではこの部屋を二人ぐらいで探して貰いたいんだけど——」
「俺が探そう! 」
眼鏡の言葉が終わるのを待たず、田中が自ら名乗り出た。
「おお、立候補ありがとうございます。10点加点しましょう。そしたらもう一人は——」
眼鏡の言葉を遮るように、おっさんが前に出る。
「俺が探す」
「でしたらお二方に探してもらいましょう。瓶を持ち上げて裏部分も確認してくださいね。……そうそう、ドアを閉めていても物音がすれば気づかれるから、気をつけるように。この部屋だと逃げることは出来ませんからね」
眼鏡がいやらしい笑みを浮かべ二人を見やる。
「「わかった」」
おっさんは眉間にシワを寄せ、田中は顔を青ざめさせながら返事をした。
「非常階段の鍵を入手したら戻りますので、それまで探索お願いしますね」
そうして薬品庫を後にした俺たちは、通路を進む。
進めば進むだけあのクリック音が大きくなっていく。
しかも通路に散乱している物を踏み音を立てれば、その音で奴が引き返してくるかもしれない。
……正直進みたくない。
でも俺がすべき事は情報収集。何がなんでも眼鏡に引っ付いて行動しないと駄目なんだ。
廊下の突き当たり近くまで行くと、レントゲン室と書かれた左の部屋に入り扉を閉める。
「ここで折り返して来たナースをやり過ごします」
眼鏡の説明を受けて、俺と山村は息を殺して佇む。
因みにこの部屋は既に調査済みらしい。
と言うか、やっぱり眼鏡は普通じゃない。
俺たちは物音を立てないよう細心の注意を払っているというのに、奴は床で胡座をかいてリラックスしてやがる。
いや、これだけリラックス出来ると言うことは、もしかしたらあのナースに見つかっても即退場にならなかったり、心臓麻痺とかで苦しまなくて死ねると言う事じゃないのか?
いや、このゲームがそんな生易しい訳がない。ゾンビになるんだった。
また期待していると、裏切られた時のダメージが半端ないから、期待はしたら駄目なんだ。
とそこで不意に見上げた時、天井に大きな赤黒いシミがある事に気がつく。
なんかあそこから化け物とか出てきたりしたら最悪だな。
そして俺たちが待機している中、足音が次第に大きくなり始める。
思考が停止し、その音に意識が集中する。
確実に近づいて来ている。
もう少しで俺たちがいるレントゲン室前を通過する。
そして扉の目線付近に取り付けられている、薄汚れた小窓に奴の陰が——
そこで足音が途絶えた。
なんだ?
どう言う事なんだ?
音が聞こえなくなったぞ!?
しかも奴は、扉一枚を隔てたそこに立ち止まっているのが見える。
眼鏡を見れば、奴の余裕の表情が崩れていた。奴は両目を見開き、声にならない声を上げている。
それを見た俺の心臓が、バクンと大きく高鳴る!
これは想定外の出来事、緊急事態なんだ!
眼鏡も初めて体験する展開。
そして今、恐らくここで、微小の物音を立ててしまうと、高確率でこの扉を開けられてしまう!
頼む、頼むから次の部屋へ向かってくれ!
そこで思わず、口から息と一緒に心臓が飛び出そうになる。
俺の肩が、後ろから掴まれたのだ。
すぐに犯人はわかる。
山村だ。
ビビり上がった山村が、反射的に俺の肩に掴まったのだ。
静まり返る室内で、俺は口を開けてしまったが、奇跡的に声を上げなかった。心臓はバクバク爆音をあげているが。
そこでまた足音が聞こえ始める。
小窓から奴の陰も確認出来ない。
移動を開始したのか?
それとも——
遠ざかる足音。
たっ、助かった。
そしてすかさず俺は、山村を睨みつける。
山村はというと、片手で自身の口を押さえ震えていた。長い黒髪から覗く瞳に、うっすら涙を浮かべて。
……こいつもこいつなりに、必死に頑張っていたのか。その考えが頭をよぎると同時に自己嫌悪になってしまう。
今までソラと秋葉さん以外の人は、正直生きようが死のうが知ったことではなかった。ただただ俺の足を引っ張ってくれるなよ、と言う思いだけであった。
しかしここにいるみんなは、それぞれの人生を歩んで今ここにいる。
もしかしたら山村は、知り合いもなくこの狂ったゲームに参加しているのかも知れない。
もしかしたら眼鏡も、あぁは言っているが生きる事に必死なだけで余裕がないだけかも知れない。
ここにいるみんなは、俺と同じで、弱者。
でも俺は人を思いやれる程の人間なのか?
今自分とソラの事を考えるだけでいっぱいいっぱいなのに、他人の事を思いやる余裕はあるのか?
「学くん、行くよ」
眼鏡の呼びかけで我にかえる。
そうだ、今はこのステージをクリアする事に集中するんだ。
それにこんな状態で考えが纏まるわけがない!
他人をどう思うかは、クリア後に考えればいい。
音もなくレントゲン室から退室した俺たちは、音を立てないよう注意を払いながら足早に進む。通路を道なりにL字へ曲がると、左側に外へと出る事が出来る扉があり、その外には二階へと続く鉄製の階段が見える。
恐らくここが二階への非常階段だろう。
通路は来た道をUターンする形で、またすぐに右に折れていた。そのまま真っ直ぐに行くと通路いっぱいに積み上げられたゴミ、あのバリケードの裏側が見える。
右には何も書かれていない、そして上半身の高さにガラスが嵌め込まれた扉のある部屋がある。
外から覗き見るに、先の薬品庫と同じように棚が設置されているが、棚の中身は書類や小物が置かれているようだ。
「ここのどこかに非常階段の鍵がある、さあ探そう」
ん?
こいつはアイテムの場所を知っているんじゃないのか?
「その顔はなんで知らないんだ? って顔をしているな? 君はわかりやすいね」
笑う眼鏡が続ける。
「なあに、毎回配置が微妙に変わるみたいなんだよね。何回やっても楽しめるための配慮ってやつさ。と言うわけでそっちの棚を調べてくれないか」
「わかりました」
そこで足音が近づき出す。
「なっ、折り返しが早すぎる! 」
眼鏡の小声の抗議に、血の気が引いてしまう。
『パタンッ、カチャリ』
えっ、まさか!?
山村が我先に部屋に突入すると、なんと俺たちを置いて鍵をかけてしまったのだ。
眼鏡がカチャカチャいわせドアノブを捻るが、鍵がかかっているため開かない!
山村の奴、やりやがった!
そこで眼鏡が視界に入ったのだが、酷く冷静な表情で扉を見つめていた。
「粛清せねば」
眼鏡のやつ、今なんていった?
懐をまさぐっていた眼鏡が小袋を取り出す。
……あれはたしか!
その袋を山村が立て籠もるドアに投げつけた。続いて上がる笑い声。そう、あれは笑い袋。
そしてこの使い方は——
通路の先から足音が、猛烈なスピードで迫ってくるのが聞こえる。
「学くんはこっちに」
眼鏡に手を引かれ、瓦礫に埋もれるようにして身を隠す。そして現れた。醜悪な姿を身に刻む盲目ナースが。
小走りで現れたそいつは笑い袋が鳴る部屋の前までくると、片腕をぬっと扉に向けて伸ばした。
『カチャリ』
すると扉の鍵が開く音がして、キィィーと音を立て扉が一人でに開いていく。
もしかして盲目ナース、超能力のような力で扉を開けたのか!?
開かれた扉の中には身を丸くして縮め、ギョッとした表情で見上げる山村の姿が。
そして耳鳴りが始まったかと思うと、すぐに音が全く聞こえなくなる。しかし確かに盲目ナースは剥き出した歯茎が見える程の大口を開け何かを叫んでいる。
俺の身体全体が、盲目ナースが口を開けてから揺さぶられ続けている。
「ぎゃあ"あ"あ"」
盲目ナースが怪音波を向けているであろう山村は、その場で耳を押さえ跪く。
「あ"ーあ"あ"あ"、や"め"でぇ!ああ"うぐっ」
山村の悲痛な叫びが上がる中、どろっとした濃い血液が両目から流れ始める。が山村は血を拭うのではなく、口元を両手で押さえる。
「げぇぐぇっゲウォオグォ」
そして山村が吐き気をもよおしたのを皮切りに、夥しい量の血を滝のように吐き始める。
途中白目を剥いて全てのものを吐き出し、それでもゲェーゲェーしている。
その悲惨な光景を、眼鏡はギラついた目で見ていた。
そして山村が倒れて動かなくなると、盲目ナースは何事も無かったかのように足音をたてこの場からゆっくりと遠ざかっていった。
その後倒れて動かなくなった山村を尻目に、俺たちは部屋から二階へと続く扉の鍵を見つけるのであった。
「さてと、二人を呼んで非常階段から二階に進みますよ」




