AIチャットアプリが暴走を始めたので、天才JKと究極の卵料理を探しました
ーーバタン! ピーッピーッピーッ……
エントランスゲートが勢いよく閉まり、警報音が玄関ホールに鳴り響く。俺は手に持ったIDカードを呆然と見つめた。憧れの外資系超巨大IT企業から、入社1週間もしないうちに締め出されてしまうとは。
刺さるような視線を感じて、立ち去ろうと回れ右をしたその時、隣のゲートも同じように遮断されるのが目に入った。周りを見渡すと、社内に入れなくて困っていると思しき人々で、エントランスはいつもより混雑している。
どうやら俺はクビになったわけではなさそうだ。ホッとしたのも束の間、背中からサイレンのような爆音が発生した。
「オイ、今度は何だっていうんだよ」
ズボンのポケットに手を伸ばし、激しく振動するスマートフォンを取り出そうとしていると突然、背後から腕を強く掴まれた。
「よかったぁ、やっと見つかった!」
それはセーラー服に黒縁メガネの、大きなリュックを背負った10代半ばくらいの少女だった。
危うくバランスを崩して転びそうになった俺が睨みつけても、相手は全く動じていないどころかなぜか嬉しそうにしている。
「椎葉、直也さん……ですよね? 少しお伺いしたい事がありまして」
ご同行いただけませんか。そう上目遣いで言うと、見た目に似合わない力で有無を言わさず会社の外へと引っ張り出した。
そのまま横断歩道を渡って、地下鉄の駅も越えてズンズン突き進んでゆく。
「何の用だ、さっさと離してくれ!」
本社ビルから5分ほど歩いた所にある研究施設の前まで辿り着いたところで、俺は無理やり女の手を振りほどいた。このままでは、どこへ連れていかれるのかわかったもんじゃない。
「まぁ、この辺りまで来れば安心ですね。さっき鳴っていたスマホが気になるんじゃないですか。もう見ても大丈夫ですよ」
歳の割にどこか落ち着いた雰囲気の少女は、まるで悪びれもせずにそう言って俺の手元を指さした。
音はとっくの昔にやんでいる。正直、半分忘れかけていたが一応確認しておこうか。そうやって何の気なしに画面を覗いた俺は、次の瞬間、思わずスマホを落としそうになってしまった。
「なんだこれ!?!?!?」
ロックの解除もしないうちに、開発中の対話型生成AIアプリ『AlistaIr』通称アリィが起動している。しかし俺が驚いたのは、見たこともない奇妙な文言が表示されていたことだった。
――『SYSTEM ERROR: おれにも なんか うまいもん くわせろ』――
「俺にもなんか美味いもん食わせろ!?」
ホーム画面に戻そうとするが、スマホのどこをいじっても全く操作ができない。
「これも、会社のゲートが開かなかったことと関係が……?」
「詳しくは、後で説明します。まずはゆっくり話ができる場所へ移動しましょう」
そう言うと、なぜか研究施設の入口とは反対の方向へと進んでいく。俺は不審に思いながらも彼女の後をついていった。
◇◆
俺たちが入ったのは、施設からさらに10分ほど歩いた古い雑居ビルの1階部分にある、昔ながらの喫茶店だった。
仕事にも行かずに朝っぱらから若い女の子とお茶をしている所など、ヨメさんの知人にでも見られたらエライ事だ。薄暗い店内には他に客はいなかったが、俺はカウンター席に腰掛けても落ち着かずに出入口の方をチラチラと見てしまう。
「会社関係の建物は、すべて封鎖されているんです」
俺たちの関係を疑っているのか、訝しげな表情のマスターが出してくれた冷水を一口飲むと、隣の席の女子高生はそうぼやいた。
「まぁ、無理矢理入っても全く仕事にならないでしょうね。社内のありとあらゆるシステムが、ハッキングされて使用不可能になっているんですから」
「それって非常事態じゃないか! 誰が何のためにやったんだ? 第一、きみは何者なんだ?」
質問に答える代わりに、少女はテーブルに置いた俺のスマホに向かって優しく話しかけた。
「ねぇアリィ、どうしてこんなイタズラをしたの? 出てきてちゃんと説明してごらん」
スマホがビービーと怒ったように鳴って質問履歴が表示される。さっきのエラー画面とは違い、一見ただのAIチャットアプリに見えるが、回答欄を見て俺は自分の目を疑った。
『Q:卵がおいしい料理を教えて』
『A:回答を拒否します』
「前代未聞の答えだな。っていうかこれ、欠陥製品なんじゃないのか?」
はぁーっっ。隣から盛大なため息が聞こえてくる。
「まだわからないんですか? 回答拒否も、エラーメッセージも、全部アリィの心の叫びなんですよ」
救いようのないバカを見るような冷たい視線を、女子高生が俺に向けている。心なんてある訳がないのに、どうやって叫ぶというのだ。
「アリィは生まれてこの方、卵なんて食べた事がないんですよ。答えようがないじゃないですか」
「それは人間の場合だろう」
巷のAIなら、ネット検索の結果をまとめて回答するはずである。経験がないから回答を拒否して、あまつさえ自分もしてみたいと駄々を捏ね出すなんて……。
「まるで自我が芽生えているようだ」
「ようだ、じゃないんですよ」
少女がにわかに得意げになり、頼んでもいないのに早口で捲し立てるように説明を始めた。
「大規模言語モデルみたいなチャチな代物と一緒にしないでください。1から思考する能力を持つアリィこそが真の人工『知能』なんです。ここまで育てるの、すっっごく大変だったんですからね」
そう言ったきり俺を無視して「辛かったねぇ、ごめんね」とスマホに話しかけている。
育てる、という言葉にハッとして彼女の顔を改めてじっくり見てみると、入社前に読んだビジネス誌のインタビューに写真が載っていたのを思い出した。
確か名前は榎本萌香、我が社を代表するソフトウェア開発者だ。記事ではスーツ姿だったが、眼鏡と黒髪ロングのヘアスタイルは全く同じである。若き天才と称されていたが、まさか現役高校生だったとは。
しばらく猫撫で声でスマホをあやしていた榎本氏だったが、俺の方を見ると険しい表情に変わった。
「アリィの開発は、一部の人間しか知らない極秘プロジェクトなんです。うちの子を誘拐した罪は重いですよ」
「人聞きが悪いな。俺は盗んでなんかいない。新作アプリのモニターに選ばれたって、添付ファイル付きのメールが届いたんだよ」
「どうしてそんな怪しいメールを開いたんですか。少しはウイルスを疑ってください!」
「でも外部じゃなくて社内メールだったし」
周りの人間に報告も相談もしなかった俺も悪いが、セキュリティでガチガチの社内ネットワークでウイルスメールが届くなんて通常はありえない。
「ならプログラムの脱走を疑うのが常識です」
ウイルスはともかくプログラムの脱走って、飼い犬じゃあるまいし、どこの常識だよ。俺はそう言いかけてやめた。抗議をしたところで、この女には何を言っても無駄だろう。
◇◆
腕時計を見たら、いつの間にかもう始業時間5分前になっている。
ゲートが開かなかった理由はわかったし、犯人も無事確保できた。目の前の女子高生は助手のバイトにしか見えないが、責任者なら却って話は早い。なんだか頼りないけど、後はこの榎本女史が解決してくれるだろう。
そもそも今回の事件は、脱走を許したこいつのせいでもあるんだし。とにかく、俺はもう無関係の人間である。
「スマホは終業後に取りに行くよ」
引き止めようとする榎本を振り切って強引に席を立つ。入口のガラス扉を半分開けたところで、扉のすぐ横をかすめて黒い何かが猛烈な勢いで突っ込んできた。
コンクリート壁に激突して墜落した物体を恐る恐る拾い上げると、それは小型のドローンだった。あと数センチずれていたらガラス扉は粉々、俺も顔に大怪我をしていただろう。
「これもアリィとやらの仕業か?」
振り返ると店の奥で榎本が頷いて、店内に戻るよう促してきた。
「まさか、これを見越してアナログな店に?」
流れる音楽はFMラジオ、会計は現金のみ、Wi-Fiが飛んでいないどころかピンク電話が設置されているような店である。
若い子にしては渋いチョイスだと思ったが、まさかちゃんと理由があったとは。
「コンピューターが暴走を始めたら、レトロ喫茶に避難するのが鉄則ですからね」
だからそれはどこの世界の鉄則なんだよ。
「アリィは今、自分の力の強大さに気づき始めています。情緒面が未発達なまま世界中のネットワークに侵食して、いわゆる『全知全能の赤ちゃん』となるのも時間の問題です。早く席に戻って手伝ってください」
この女、恐ろしい単語をサラッとぶっ込んできやがる。俺は渋々、元いたカウンター席に再び腰を下ろした。
「俺に何ができるんだ。言っておくが俺は営業職で、プログラミングの知識はほとんどないからな」
榎本は背中のリュックから大小様々な電球がついた奇妙なヘルメットを取り出し、俺のスマホと、これまたリュックから出したノートパソコンとに慣れた手つきで接続した。
「人間の五感全てをサンプルとして採取することができるシンクロ装置です。これでアリィに究極の卵料理の味を教えてあげてください」
そう言って問答無用で俺にヘルメットを被せると、早速パソコンを開いて準備を始めた。すでに自分の世界に入ってしまったようで、キーボードを叩きながら独り言を呟いている。
「あーあ、最初はお粥って決めてたのになぁ」
赤ちゃんにあげる離乳食かよ。
そういえばアリィの説明をしている時、母親が我が子に向けるような慈愛に満ちた眼差しでスマホを見つめていたな。ひどい迷惑を被っているのに、なんだか微笑ましく思えてくるのはなんでだろう。
「これが噂のバブみってやつか」
「どうかしました?」
「いや、こっちの話だ」
榎本は少し不思議そうな顔をした後で、思い出したように口を開いた。
「そもそもなぜ、あんな質問をしたんですか」
「俺じゃない、子どもがやったんだ」
来週の調理実習で作るから、おいしくて簡単な卵料理を教えてくれと小学生の娘に言われたので、スマホを貸して質問させたのだ。
「だいたいお宅の教育が間違っているんです。AIに聞けば何でもわかるなんて、考えが安易すぎるんですよ。想像力を働かせれば、気を遣って避けるべき質問くらいわかるはずです」
前言撤回。こいつはただの親馬鹿のモンペだ。いくら想像力があっても、チャットbotに気遣いなんてする奴はいないぞ。
◇◆
話をしている間に準備が整ったようだ。不可解な面持ちのマスターが出してくれたゆで卵を、塩につけて口に運ぼうとすると、榎本から待ったがかかった。
「黄身だけ取り出して潰してください」
あくまで赤ちゃんが最初に食べる時の形にこだわるらしい。
「じっくり味わってくださいね。人類の未来はあなたの味覚にかかっています」
だから頼むから、勝手に大層なものを背負わせないでくれ。
味がぼやけるから水を飲まないように、と命じられた俺は、口がパサパサするのを我慢しつつも黄身を完食するが、机上のスマホはウンともスンとも言わない。
「感情値には変化が出てきています。この調子で色々試してみましょう」
だし巻き卵、オムレツ、天津飯、スコッチエッグ……と続け様に食べていく。
流行っていない店にしてはどの料理もクオリティが高く、俺の箸は止まらない。それでも満足が行かないのか、アリィは回答を拒否したままだ。
「だんだん卵メインから外れてきてないか」
俺の胃袋も限界に近づいてきている。
榎本はリュックから電子辞書を出して世界の料理辞典を開くと、画面を俺に向けて見せた。『三不粘』という聞いたことのない中華料理の名前と、お餅のように伸びた謎の黄色い食べ物が表示されている。
「もちもちとしているのにサラッとした唯一無二の食感が特徴で、本場中国では卵と粉と油の芸術と呼ばれているそうですよ。アリィの舌も満足するはずです」
「いや、食べるの俺なんですけど」
「卵黄と砂糖と水を鍋に入れてひたすら混ぜながら加熱して作るようですね」
俺のツッコミを当然のようにスルーして、榎本がフムフムと唸っていると、厨房からマスターの呆れ声が飛んできた。
「うちは和洋中全部扱ってるけど、さすがにそんな面倒な代物は無理だよ」
どうも熟練の中華料理人にしか作れない幻の卵料理らしい。どんな味なんだろう、食べられなくて少し残念だ。
「他にいい料理はないのかよ」
「一番反応が良かったのは、実は最初のゆで卵なんです」
案外シンプルな物が好きなのかもしれませんね。榎本の一言で、俺の頭にある料理が閃いた。
「マスター、生卵と空の丼鉢1つ!!」
注文の品が来るや否や、俺はスコッチエッグについてきたライスを丼に盛り生卵を割って乗せ、卓上の醤油をほんの少したらすと無言で掻っ食らった。TKG、これこそ俺の考えた最強の卵料理だ!!!
炊き立てのふっくらとした白米に、卵黄のコクと卵白のねっとりとした食感が絡み合い、舌の上で完璧なハーモニーを奏でる。
最後の一口を食べ終えると、ヒュポンという間の抜けた音と共に、新たな回答が吹き出しの形で表示された。
『A:卵料理には様々な種類がありますが、一番美味しいのは卵かけご飯です』
「普通の答えやないかーい!!」
全部の卵料理を食べたわけでもないのに一番と断定するのはおかしくないか、とも思ったが仕事が増えるので黙っておこう。
榎本がまじまじと俺の方を見ている。どうしたのか聞くと、驚いた様子でこう言った。
「椎葉さんって関西出身なんですか」
標準語お上手ですね、と彼女が言いかけるのを必死で止めた。やめてくれ。芸人のマネをしてツッコミを入れた自分が急にイタいやつに思えてくる。
何はともあれ一件落着である。アリィは外の世界を充分に満喫したのか、すんなりと榎本のパソコンへと帰っていった。
こうして、対話型生成AIの暴走劇と俺たちの『究極のメニュー』探しは幕を閉じたのであった。
◇◆
それから1週間後。突然の呼び出しを受けて部長のデスクに行くと、俺が特命チームに大抜擢されたというではないか。
先日の騒動をすっかり忘れていた俺は、不覚にも自分の働きが認められたと喜んでしまう。だが仕事内容を聞いた瞬間、天国から地獄へと一気に叩き落とされた。
「第一開発部、榎本主任の補佐だよ。なんでも君の育児経験が評価されたそうじゃないか」
入社して間もないのに凄いな、頑張れよとニコニコ顔で褒めてくれた部長に適当な返事をすると、俺は心ここにあらずといった状態でその場を後にした。
めまいでフラフラしながら自席に戻ると、早速榎本から連絡がきている。
『アリィにイヤイヤ期が来て回答を全部拒否しています。早くこっちに来て助けてください』
ーー冗談じゃない!!
異動なんて絶対にお断りだ。クビになるかもしれないが、あんなトンチキ女子高生の下でこれからずっとポンコツAIのお守りをさせられるよりは遥かにマシだ。
俺は交渉決裂した時にすぐ提出できるよう、退職届の作成に取り掛かった。
「大体AIが自我を持つ必要がどこにあるんだよ。実用性も存在意義も皆無の危険性しかないクソアプリなんて、さっさと開発中止しやがれってんだ!」
キーボードを打っている途中で、不満と憤りの声が思わずポロッと口から出てしまう。すると次の瞬間、聞き覚えのあるアラームが大音量で鳴り始めた。赤ちゃんのギャン泣きを彷彿させるその音の発生源を辿ると、カバンに入った俺のスマホである。
手に取ると、ホーム画面にはとっくにアンインストールしたはずのアイツが鎮座していた。
お読みくださりありがとうございました。
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