7.急な参加
いよいよもって暑くなってきた。暖期の盛りといってもいい。
長袖の学生服も減り、半袖で涼をどうにか取ろうとあがく生徒たちで学舎はあふれかえっていた。
――ミヤスコラ学園の優秀な生徒たるもの、正しく自己管理をすること。適切な魔法を用いて各自対処するように。
そのような学園のお達しがあって以来、あれこれと各々のやりかたで涼んでいる姿があちらこちらで見られた。
魔法を用いたり、薄着をしたりといろいろな苦心をしているようだが、やはり一番便利がいいのは魔法に頼ることだった。
そんなわけもあって、魔法が得意な生徒は非常にもてはやされた。
講義が終わってこれから昼休憩に入る。
だというのに、まだ人だかりが絶えない教室がある。ヨランが何があるのかと気になって見てみると、その中心にナーナがいたのだ。
ナーナは、魔法を扱う講義において他の追随を許さない実力者でもある。そんなナーナの腕を見込んだのだろう。生徒たちがぐるりと取り囲んでいる。
口々に頼る生徒たちを相手に、内心はどうであれ快く応対している姿を見かけて、ヨランは呆れ混じれに観察した。
(相変わらず人当たりはいいけど。程度がないか)
あれではきりがない。
手際よくコツを教えて相談に乗っているが、それにしたって多すぎる。ヨランはいつもナーナの傍に居るだろう頼もしい友人たちがいないことに気づいた。
(一人なんて、珍しい)
普段だったら、モナ・ランフォードが華麗にあしらっている姿があるはずだ。それか、同じヒッキエンティア寮の三年女子たち。
しかし誰もいない。ちょうど留守にしているところなのか、一人で受けている講義だったのだろうか。
(声、かけたほうがいいのか。いや、でもそれでまた変に誤解受けても……)
どうしようか迷っている間も、輪の中で愛想よくナーナが笑っている。
大げさに褒められたのか、はにかんで頬が染まっていた。
(……え?)
相手は誰だ。
清潔感のある背の高い男子生徒。制服の寮章はヒッキエンティアのもの。そこに分かりやすく目につく腕章があるから、寮の監督生だ。
監督生は4年と5年の生徒から選ばれるため、3年のナーナよりも上の学年なのだろう。
良く聞こえる耳をすませば、和やかな談笑が聞こえてきた。監督生はナーナをずいぶんと目にかけているようで、自寮らしい優秀さだとほめちぎっている。
(なんか、僕の時と態度が違うくないか。余所行きの顔、だよな)
街歩きで隣にいたナーナは、あそこまで大人しそうではなかった。テトスからもらった地図を手にあちこちヨランを振り回して歩いた。最終的に、ジエマも引き入れて店を巡ったが、あんな調子ではなかった。
お似合いだと誰かが言う。背が高くって、頭もよくて。大人っぽくて。それがなんだ。
(似合いって、なにが。なんで)
自分でもなんなのか、よくわからない苛立ちが湧いた。
結局声もかけられず、乱暴に背を向けて大股で歩く。
(というか、どうして僕は……ああもう!)
ずかずかと早歩きで進む。
(なんで僕がこんな調子を狂わされなきゃならないんだよ!)
理不尽な怒りのまま、食堂に向かう。
いぶかしがる友人たちの間で、無心に昼食をとる。味が不思議としない。
食感と音だけが情報として入ってくる。ちっとも食べた気にならなかった。
それでも時間が経過すれば幾分かマシになる。
だが、どうにもこういったいやなことや調子が狂うことは重なるものらしい。
あのときの荒れた波が凪ぎはじめ、午後の生物学の講義が終わったところに教師から声をかけられた。
教師のケイボットは生物学教師であり、コウサミュステの寮担でもある。
ケイボットは神経質そうな顔のまま「このまま職員棟の部屋までくるように」とヨランに言って先導した。
言われるがまま従って向かえば、部屋にはジエマがすでに待機していた。
「ヨラン・レラレ。ジエマ・レラレの隣に」
「はい」
姉弟そろっての呼び出しだ。きっと家関連だろう。
そうあたりをつけてヨランが姿勢よくジエマの隣に並ぶと、前方に回ってケイボットが一つの手紙を取り出した。
「暖期休みについて、レラレ家のマイラ夫人より便りがきている。今年は二人とも避暑地に向かうように」
「ありがとう存じます、ケイボット先生」
ジエマが手紙をケイボットから受け取る。母親からだ。
ヨランにも見せるように、ジエマは中身を広げてヨランのほうへと寄せてきた。
「吾輩の付き添いは、冬期と同じように学園からの出立まで。それから、友人を連れて行きたいとの話だが」
手紙に書いてある通りだ。
ヨランは内容を読んで、目を剥いた。
「チャジアとブラベリを連れて行く許可……って、先生、これは」
「ジエマ・レラレの希望だが。吾輩はその通りに渡りをつけたまでだがね。何か問題が?」
じろりと三白眼に睨まれた。広い額にかかった前髪を横に撫でながら、ぼそぼそと早口でケイボットは続けた。
「ティトテゥス・チャジアを連れてこいというのは、レラレ家からも頼まれている。ナーナティカ・ブラベリはジエマ・レラレの希望だ。手配はしている。これで満足かね?」
「はい、ケイボット先生。ご尽力、感謝をいたしますわ」
手紙を大事そうに持ち、ジエマはふんわりと笑った。それを痩せた不健康そうな顔が面白くなさそうに見つめている。
ケイボットはレラレ家の出資を受けて研究しており、なおかつレラレの親類である。そのため、ジエマの行動にヨランと同じく振り回されることもあった。今回もそうなのだろう。
「都外の場所とはいえ、羽目を外しすぎぬよう。ヨラン・レラレ、よく見ておくように」
横で小さく「なんて楽しみなの」と上機嫌にジエマが言う。反対に憂鬱だと口について出そうになって、ヨランは視線を落として礼をした。
退室を許可されて、部屋を出て歩く。職員棟を抜ければ、すぐにジエマの護衛に遣われた生徒たちがくる。
その前に聞かなければ。そう思って、ヨランはしずしずと歩くジエマに問いかけた。
「姉さん。なんで急に」
「急? ヨランはまだ聞かされていなかったのかしら?」
逆に不思議そうに聞き返されて、ヨランは目を瞬かせた。赤い瞳がヨランの姿を写して、やがて「そう」とため息混じりな声とともに伏せられた。
「このお休みに、私の見合いが行われるのですって。だから、家でふさわしい殿方を集めるとお母様が仰っていましたのよ」
「見合い……見合い? 姉さんの?」
「まあ。本当に、聞かされていなかったのね。そうなの、ヨラン。困ってしまいそう……私、きちんと殿方とお話出来るかしら」
戸惑いと、期待。目じりを赤らめて頬に手をあててジエマは言う。
ジエマは学園の3年生。もうすぐ歳も17になる。今のご時世だとやや早いくらいだが、別段見合いも婚姻もおかしくはない。
「私、こんなことはじめてですから、どうしたらいいかわからなくって。そういうときは、お友だちに話せば気が晴れるって本にも書いてありましたわ。それでね、ナーナティカさんに相談してみましたの」
「えっ」
「お話していたら、チャジア様がいらしてね。チャジア様は、自分も行ってくださるって仰って」
「あー……それで」
「学園のお知り合いがいるのは、とっても心強いわ。お母様にお伝えしたら、私が言うならってお父様にも掛け合ってくださったのよ」
嬉しそうに言うが、弟の心中としては複雑だ。
(絶対テトスは聞き耳立ててたって。それにこれだと姉さんの推薦枠扱いじゃ)
手を合わせて夢見心地なジエマの話が続く。
「ナーナティカさんも心配だからついてきてくださるって。私、お友だちと過ごすお休みってはじめて! でも、私のお見合いというなら、お友だちと付き合える時間があまりとれないかもしれないでしょう? ですから……」
いいことをしたとばかりにジエマは微笑んだ。
「ナーナティカさんたちとも仲のいいヨランも、避暑地で過ごせば良いのではないかしらって思ったの」
元凶はやっぱり姉だった。
「お兄様があなたのお手伝いを期待されていたことは、申し訳ないけれど。おもてなしは大事でしょう? 優先させていただいたの」
ヨランは、悪意なく騒動がありそうな場に自分を巻き込む姉を見た。ジエマはこちらの気持ちとは反対に、ひたすら機嫌良くそわそわしている。
「とってもどきどきするけれど、楽しみが増してしまったわ。ね、ヨラン」
「……そうかな。姉さんだけじゃない」
本当にそう思っているのはジエマだけではないか。ぼんやりと返すと、ジエマはきょとんとして小首をかしげた。
「お休み、楽しみではない?」
「そうじゃないよ」
言ったって、通じない。
諦めをこめて、ヨランはジエマを見る。ジエマに当たったってしょうがないのも理解していた。それでもむしゃくしゃはする。
だが、こちらを案じるジエマは嫌いにはなれない。それに、人生の一大事が行われるかもしれないのに、こんなにわかっていなくて大丈夫なのかと心配にもなる。
「……良い人が、いるといいね」
「ええ! そうね。そうだったら、嬉しいわ」
優しく声をかけなおすと、ぱあっと表情を輝かせてジエマはにこやかに返事をした。