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6.湧いた苛立ち


 真上から降り注ぐ容赦ない日差し。

 穏やかだった陽気はついこの間まで。あっという間に季節は移り変わり始めていた。

 うるさく耳の奥まで飛び込む騒がしい鳴き声。往来の喧騒も負けずにあちらこちらから響いている。

 ふつ、と湧いて頬から顎へと汗が伝った。ぽたりと落ちた滴に、ヨランはぼうっと路上を見下ろして目を伏せた。


(どうしてこんなことに……)


 いや。経緯はわかっているのだ。ただ理解も現実味も追いついていないだけだった。

 ヨランだけ取り残された心地のまま、街遊びの日が訪れてしまった。



「よし。付いてきているわね。じゃあ、ヨラン手筈通りにいきましょうね」


 はい、と差し出された手を言われるがままゆっくり掴む。握るというには心もとなく、ただ触れて重なっただけの繋がりだった。

 ナーナは何を思ったのか、わずかに眉を下げて唇に弧を描かせた。何も言わず、そのままゆっくりと歩きはじめる。


(いや、僕が意識しすぎているだけで。何らやましいことはないんだし、そう。何も別に……何もない)


 半歩先を進むナーナの足元ばかり見つめていると、頭をわずかに逸らしたナーナが小声で注意した。


「具合が悪い?」


 息を呑んで頭を上げる。


「いえ、大丈夫です。すこし、暑いなと思っただけで」

「ああ。やっぱり日の下って得意じゃないの? そういう感じがあったりするのかしら」


 丸い瞳がぱちぱちと瞬く。理知的な青い瞳が思案するように動いて、ヨランの様子を眺めた。


「いろんな人がいるものね」


 言外にヨランの血筋を指摘したのだろうか。ナーナはヨランの握っている手を見下ろして、小さく口を動かした。


「気休めだけど、涼しくなる魔法。媒介に使わせてもらってもいいかしら」


 つながった右手。そこにある腕輪を空いた手でナーナが示す。


「まだ律儀につけてくれているから、助かるわ」


 くすぐったそうに微笑んだナーナは嬉しそうだ。

 冬期前に、年越しの祝いをジエマに急かされて一緒に送ったとき、その返礼でもらったものだ。魔法の媒介道具として質の高い石をその場で加工してもらった。


(これは……護身具としても有用だったから、付け続けているだけで。別に他意はない)


 誰に言われてもいないのに、勝手に言い訳を頭のうちで呟く。

 言葉少なに、ヨランは「どうぞ」と許可を出せばすぐに魔法がかかった。周囲に薄膜が張ったような感覚がして、暑さが幾分か減った。


「ヨランは物持ちが良いのね。大事にしてくれたの、魔法のかかり具合でわかったわ。ありがとう」

「いえ、べつに」


 気さくに返せずに、ヨランの言葉尻はしぼむ。そこまで感謝されるいわれはなかった。


(もらったものを適当に扱うのは悪いし。そもそもこれは、単なるお返しのものだし。特別では)


 黙ったままのヨランをよそに、ナーナは得意げに左手で人差し指をたてて振ると「だって特別だもの」と言う。

 息をしようとして、失敗した。変に気管につばが入ってヨランはむせこんだ。


「やだ。大丈夫? あ、飲み物でも飲みましょうか。ご飯のこともあるからちょうどいいわよね。ええと、ティトテゥスの地図だと」


 手が離れて、代わりに咳き込んだヨランの背を優しく撫でてくる。

 ばくばくと鳴った動悸はむせたせいで、そういう意味ではない。頭でそう思っても、息が苦しいのかそうでないのか勝手に顔が熱くなった。


「だ、大丈夫、です。変なところに入っただけなので」


 そろそろ離れて呼吸を整える。心配そうにのぞき込もうとしてくるナーナを避けて、数歩下がる。


(いや、おかしいだろ。なんでこんな僕だけ意識してるんだよ。だって)


 耳を澄ませば、雑踏も会話も、呼吸音も聞こうと思えば聞き取れる。こちらを気にしながらもテトスから手渡された街の地図を開いたナーナを見る。


(……ぜんっぜん、普通だ)


 ナーナに呼吸の乱れは一切ない。ごくごく自然の状態で、緊張をこれっぽっちもしていなかった。

 こちらを伺っているだろうテトスとジエマ、ジエマの護衛のほうが緊張しているまである。

 ここまで見事にいつも通りだと、なんだか悲しみさえわいてくる。


(もう、なんか逆に腹が立ってきたな……)


 ナーナは悪くないとはわかりつつも、つい恨みがましく見てしまう。地図を眺めてあたりを見回したナーナは、呑気に「ここにしましょう」と提案した。


「はい、ヨラン。手」

「べつに、繋がなくてもいいんじゃ」


 そう言ってしまったのは、せめてもの抵抗だった。ヨランの言葉に、ナーナはきっぱりと言って返した。


「媒介具を通してかけた魔法、相乗りさせてもらいたくて。そっちのほうが消耗が少ないんだもの」


 何が駄目なのかわからないというかのような、澄んだ青い目で見つめられる。

 合理的かつ効率重視の回答だった。色気も何もない。ヨラン相手にやましい感情もやはりない。

 黙って見返していると、ナーナははっと気づいたように言う。


「あ、もしかして繋ぐのは駄目だった? 前したこともあったからこれくらいは大丈夫かと思ったのだけど……そうよね、必要でないと嫌ってこともあるわよね。ヨランならって思ったけど、そうよね」


 そして自己完結したのか、ごめんなさいね、と視線で謝られた。表情が寂し気にかわって、ぐさりぐさりと良心に刺さった。

 それを見ると、なぜか自分が悪い気がしてきた。

 いや、自分が悪いのか。でもナーナだってこっちのことを考えてもいないではないか。察しが悪いのもどうなんだ。

 ヨランは色々上ってきた言葉を飲み込んで、ゆるく頭を横に振った。


「……いいですよ」

「そう? なんなら幻覚の魔法をかけましょうか」

「いらないです」


 複雑に濁る気持ちごと言い捨てて、ヨランは自分からナーナの手をとった。


「どうぞ、使ってください」

「ええ、ありがとう……あの、なんだか不機嫌ね? やっぱり具合悪い?」


 誰のせいだと。

 ヨランは口を開いて落ち着くために大きく息を吐き出した。





***




「それで、デートどうだった?」

「デートじゃない!」


 学園の休日明け。

 朝の講義に向かう途中で姿を見つけて、挨拶もそこそこに適当に話を振った。

 軽い調子で、からかい混じりに出した話題は藪蛇だった。

 いつも以上に険のある態度が返ってきて、アミクは聞いておきながら驚いてしまった。

 ヨランも自分が思った以上の声を上げてしまったことに気まずそうに表情を歪めた。


「全然、そういうのじゃなくて。姉さんの我がままに付き合っただけだから。まったく、そういう感じじゃない」

「おお、そうか……」


 早口である。

 アミクに言い聞かせているようで、そうでない。自分に暗示でもかけているかのような言葉を繰り返している。


「いつも通りだったし。意識も、どっちも! していない。なんにもなかった。普通にご飯食べて、それで終わり」

「そうかー」


 アミクはこれまでの経験からいって、適当に流すことを選んだ。


(うーわー、めっちゃ気にしてるじゃん。何があったんだよ休みに)


 そう思ったが、言わないでおいた。

 かわりに、さすがに哀れに思ったので肩を叩いて慰める言葉を探す。


「あー、そんなにジエマさんが思い込んでてしんどいなら、俺からも言おうか」

「……そこまでじゃない」

「ええと、じゃあ、ナーナティカさんと一旦距離をとるとか」

「なんで」

「ほら、一緒に居てあれこれ言われるのが嫌なら離れりゃいいじゃん。別に一緒にいる必要はないんだし」


 一瞬。ヨランの目が丸くなった。

 意表をついたのか、考えも及ばなかったといわんばかりの反応だ。


「相手なら代わりに俺がするし。またモデルになってもらう」


 一石二鳥のアイディアだと言いながら思いつく。しかし、アミクがそう言うと、ヨランの眼差しに再び険がこもった。


「アミクはそれがしたいだけだろ。いいよ、自分でなんとかするから」

「割と本気で心配してるんだけどなあ。あんま無理すんなよ。自分もだけど相手も傷つけるんだぞ、そういうの」

「……わかってるよ」


 むす、と唇が引き結ばれる。

 アミクと比べると背の低いヨランのつむじを見下ろして、どうしたものかともう一度肩を叩く。

 中性的でまだ未分化のような華奢さが残る見た目でも、それでも男だ。昔と比べて背も伸びて声も低くなってきた。成長は喜ぶべきだがモデル対象として惜しくもある。

 骨ばった感触をいささか残念に思いながらも、アミクは幼馴染に親切心で問いかけた。


「言いたいことあるなら聞くぞ」

「べつに、ないよ」

「離れてみる?」

「そこまでは、しない」


 そうは言うが、何かしら不満を抱えている顔だ。ヨランは真面目で気負いすぎるから、あれこれ抱えたままではどこかで倒れかねない。


(変に責任感がありすぎるんだよなあ。というか、ナーナティカさんと離れるのは嫌なのか、ヨラン)


 気を引き締めないと、慈愛の眼差しを向けてしまいそうだ。

 アミクのように女性にはしゃいだり積極的に動いたりしないヨランが、こうなるとは。


(可哀想だけど、ぶっちゃけ面白い)


 ナーナの態度についてはアミクも見知っているので、ヨランがこうなる理由もなんとなくわかっていた。


(あの人、ナーナティカさん。ヨランのこと恋愛対象に入れてないっぽいんだよなー)


 あんなに連れまわして、お気に入りのように扱っておいて。あれだけ好意的に接していれば周囲も勘違いや思い違いをしてもしょうがない。

 行動だけなら悪い女の類だとアミクは思っている。純真な少年を弄ぶやつだ。それもやってる本人に自覚がない。


「強く育てよ……」

「は? なんだよ急に」


 気味悪そうに見られたが、未来のヨランを案じただけである。アミクは胡乱な眼差しを向けるヨランに微笑んだ。


「今日の昼飯、ちょっと大目に分けてやろうな。ヨランくん」

「本当になんなんだ」

「大きくお育ち」

「喧嘩売ってるだろ」


 脇腹をヨランが小突いてくる。可愛いものだと受け止めたが、意外に重たいこぶしであった。




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