4.強引な提案
夕食時の食堂。
ほぼ全ての生徒が利用するだけあって、非常に煩雑として耳に優しくない。
あまり意識しないように流しても気になる物音や声は、いやでも拾ってしまう。
寮ごとに分けられた長机に座った生徒たちは、こちらに聞こえているとも知らずに、期末に向けての対策や噂話を好き勝手に話している。
武芸を奨励する寮、カラルミス寮の席では姦しい声が目立つ。
あれはのぼせあがった名物カップルがいるのだ。ホリィが恋人のトイットへとしなだれかかって、食べさせあっている。
「食事のときくらい、マナーを守って欲しいですわね」
腹立たしそうに気に食わないと言いきる声は、学問探求を奨励するヒッキエンティア寮から。三年の女子のリーダー格であるモナ・ランフォードだろう。確かナーナの同室者で友人で、ホリィとは張り合う仲だとヨランは聞いたことがある。あと、ランフォードは都外にいるとはいえ大貴族の一つだ。
視線を向けると、傍にナーナが座ってモナを宥めているのが見えた。
「あ、来た。ヨラン、こっち」
きょろとあたりを見たことで、席を探していると思われたのだろう。ヨランに向かってホシャムの声がかかった。
ヨランの所属するコウサミュステ寮は、団体行動と規律を重んじるほか二つの寮と比べると幾分か自由だ。所属する生徒が産業や芸術に関わり個人行動が目立つきらいがある。
座っている生徒たちもどことなく緩んだ雰囲気で、独特な感性を持つ者が多い。それを代表するかのような人物が、ジエマやアミクであることは間違いない。
「ごめん。結局待たせ……て」
ホシャムたちの席に近づいて、ヨランは声をかけようとして途中で止まってしまった。
なぜか席に、カラルミス寮の男子生徒が座っていた。
ホシャムやローガン、アミク、あとはヨランのための席が一つあいているがその隣に堂々と腰かけて食事を取っている。
知らない人物ではない。よく知っている。
「テトス、どうしたんです」
「お。遅かったな、ヨラン」
口に含んだものを飲み込んで、ヨランの方を見たテトスが言った。
仏頂面で硬質的な偉丈夫。ともすれば睨んでいそうに見えるが、これがテトスの素だ。
(学年も寮も違うのに。よくも堂々と座れるな、この人)
呆れ半分、感心半分で見ていたら、ちょいちょいと手招きされて座れと指示された。
友人たちも勧めてきたので、不審に思いながらヨランは空いた席に腰かけた。
「まあ食べながら聞いてくれ」
「はあ」
なぜかすでに取り分けられていた料理が目の前にずいっと寄せられた。色どりも何もあったものではない肉料理の山だ。だが育ち盛りには嬉しいメニューばかりである。
不審に思いながらもヨランが食べ始めると、テトスは一つうなずいてから話し始めた。
「とうとう親公認になった報告を聞いてな。未来の義兄として薫陶を授けようと思って来たんだが」
何の話だ。
(姉さんのことでテトスに何か連絡がいった? いや、そうだったら僕のところにも報告がないと変だし)
ジエマの関連ではないとすると、兄、という単語にもしやと予想が働いた。
(……まさか)
テトスとナーナは双子だ。
といっても、容姿は正反対でまったく似ていない。似ているとしたら、思い切りのよさと目の色くらいなものだろう。
どちらも自分が上だと思っているようで、テトスは自分を兄だと言うし、ナーナは自分こそが姉といってはばからない。
「大変だなあ、お前も。俺の家からも喜ばしいと連絡がきたんだぜ」
「ちっ、違いますよ!?」
「なんだ大声だして。早とちりするなよ。ちゃーんと俺は分かってるって」
ふっと口の端を上げて、テトスは皿の上に残っていたおかずを一口にほおばった。
「おう、お前ら。あんま無理強いしてやるなよ。こういうのは拗れたら面倒なんだ」
「うっす」
「はい、テトスさん」
「わかってまーす」
いつのまにかヨランの友人たちが子分のようになっている。気安く声をかける友人たちに、いったいこの短時間で何があったのかとヨランは目を剥いた。
テトスはその視線に気づくと、ふ、とさらに自慢気になった。
「俺の実力をもってすれば、こんなもんだ。とまあ、冗談は置いてだな」
「冗談?」
「こいつらとはヴァーダルを介して会ったことがあるだけだ。まあ、俺のバックに恐れをなしたって感じだ」
「ああ……」
ヴァーダル・デ・カロッタ。この学園一番の権力を有する生徒だ。
国の都、それも大貴族の出である。
王政から議会制となった今でも、貴族の力は根強い。そんな都の大貴族ともなると、下手な対応はできない。弱小商家では到底太刀打ちできない権力者だ。
ヴァーダルは寒期のころからテトスに心酔しており、自らパトロンを名乗ってあれこれ構っている。
「それで、何の用でここに」
「ナーナのことはついでだ。本題はこっちだ、ヨラン」
懐からテトスは小さな本を取り出した。
「ジエマさんからの頼まれごとだ。俺に頼みたいと仰られてな」
ふふ、と鼻を擦って感慨深そうにテトスが呟く。
「どんどん信頼を築いている実感が湧いたものさ。正式にお前の義兄となる日も近いかもしれん」
「あ、はい」
(いいように使われてる気がするけど)
しかしテトスがジエマに盲目的かつ崇拝気味に恋い慕っているのは知っている。
相変わらず幸せそうだな、と他人事のように思って相槌を打つ。
「それで、姉はなんて?」
「この話のようなプランをお前とナーナに実行してほしいらしい。ナーナにはジエマさんがそれとなく頼むから、俺はヨランにということで」
「えええ……」
ジエマからの預かりものだからだろう。ことさら丁寧に本を開いてヨランに見せてくる。
(いやだから、本人に直接頼んでくるのはどうなんだよ)
明らかな配役ミスだ。調整役にテトスは壊滅的に向いていない。
このことは前にもあった。
ジエマはヨランがナーナを好きだと思い込んでいるがために、あれこれといらぬ世話を焼こうと最近張り切っているせいだ。
とくにナーナとさらに近しくなれるから、というのが半分以上の理由を占めているのをヨランはなんとなく想像がついていた。
「あ。その話懐かしいっすね」
「そうなのか? 俺は聞いたことがないが」
「うちの美術資料にってあちこちから集めた逸話とかがあって、その中で見たやつです」
アミクが言うと、テトスはふうんと気のない返事をした。
「ヨランも知ってるんじゃないか? 俺のとこから、レラレに流した本じゃん」
「こういう話の本は読まないんだよ。姉さんなら読むだろうけど」
「確かに。ヨラン、部屋じゃ経済とか建築とかそっち方面の読んでるもんな」
ホシャムが口を挟むと、ローガンが悩まし気に唸った。
「木陰や部屋の薄明りで読んで欲しいものだ。絶対似合う」
「絶対読まない」
反射で言い返して、ヨランは改めてテトスが開いたページに視線を落とした。
(ああ、姉さんが好きそうなやつ)
古典的な、お姫様と騎士の話だった。呪いをかけられたお姫様を救い出す話で、料理を分け与えて食べるとたちまち呪いが解けて幸せになった。そんな話だ。
それを古めかしい装飾過多な言葉で難解に言い表している。読んでいるだけで頭が痛くなりそうだった。
「よく読めましたね」
「暗号文だと思えばなんとかいけた」
「それで、僕は何をさせられるんですか」
諦めをこめて聞けば、テトスはよくぞ聞いてくれたとばかりにヨランのほうを向いて肩に手を置いた。
「ヨラン。ナーナと買い物に行け。俺はジエマさんと後ろから二人で出かける。頼んだぞ」
「本当に、テトスのその直接的なところ、たまに心っ底、どうかと思います」
「褒めるな褒めるな」
数回軽く肩を叩いて、テトスは残った皿の上の料理をたいらげて、コップの水を飲み干した。
「じゃあ、そういうことで。都合がいい日をあとで決めようぜ」
そして機嫌よく手を振ってカラルミス寮のほうへと去っていった。あっという間にいなくなったテトスを見て、アミクが感心した声を出した。
「いやー、すっげえわ」
「わかる。あそこまで突き抜けるともうなあ」
「可愛げがないのが残念だなあ。いやでも、話に出たナーナティカさんはわかる。可愛い」
ホシャムとローガンがついで、話し出す。ヨランは残された本をぱらぱらめくった。
(……あ。宝)
水底に沈む宝の絵と、古い言葉が挿絵に描かれていた。
ジエマに告げられた「人魚の宝」の予知が脳裏をよぎる。
(まさか、これか? 本当にあったりする宝だったり?)
思わずまじまじと読んでいれば、ローガンが嬉しそうに言った。
「ああ、やっぱり似合うなあ。ヨラン、ポーズつけてくれ。アミク、ちょっと描いてくれないかい」
「ヨランを女にしていいなら描く」
「それいいな、アミク。俺も見たい。もっと目つきをきつくして胸をでかくしてくれ。年も十くらい上の美女がいい」
「おい、ホシャム。それじゃあ跡形もないだろう! やはり可愛げを残してだな」
ここでは集中できない。
「やめろ。描くな。寄るな」
ヨランは本を閉じて、寄ってきてからかう友人たちを手先で払っていなした。