2.ありがた迷惑な贈り物
気疲れのした時間を経ても、まだまだ一日は残っている。
ジエマに呼び出されて、朝から早々にやる気が削れた気がする。暖かくなった季節の風がいかに心地よくても、ちっとも爽やかな気持ちにならない。
ヨランは今日の予定を思い返した。
(講義は昼すぎまでか……午後からゆっくりできるといいけど)
ヨランが通うミヤスコラ学園は一年目は必須科目講義がほとんどで、選択科目は少ない。選べることは選べるのだが、より専門性を伸ばすようになるのは三年からだ。
学園のカリキュラムは暖期と寒期に分けられており、どちらの期間もちょうど中ごろに長期休みを挟む。そして、暖期の長期休み明けを区切りに一年が終わる。
長期休みが見え始めたため、どの講義も進級のための課題が増えに増えてきた。苦手な科目に悲鳴をあげる同級生の姿も目にするようになってきたくらいだ。
といっても、曲がりなりにも国一番の名を冠する学園に在籍しているため、うっかり課題を落とすような愚か者は少ない。
せっかく狭き門をくぐれたのに機会をふいにするような輩は、早々に退場して残っていないからだ。
(とりあえずあとで、寮に戻って課題を整理して。それから)
ヨランは視線を落とす。
ポケットに入ったままのメモを思い返す。
(家に手紙書かなきゃなあ)
手紙のやり取りは学園に入ってずいぶんと慣れたが、やはり億劫と面倒という言葉がちらついてしまう。
もっとも、ヨランは対面でのやりとりもあまり好きではない。別に人嫌いなわけではないのだ。
ちゃんとした理由がある。主たる理由は、姉目当てと家の商売目当ての橋渡しのせいだ。
ポケットに触れて、はあ、と息を吐いたところで後ろから大きな声をかけられた。
「ヨラン、ちょうどいいところに!」
大声のせいで肩がわずかに跳ねてしまった。
ヨランは声の主から、これは厄介ごとの種もありえるだろうなとあたりをつけて振り返った。
「アミク」
ひょろりと長い背に鳥の巣のような頭。また夜更かしでもしたのか目の下に深い隈があり、その疲れからかやたら興奮している。どう見てもろくな話じゃないとヨランは経験談から判断した。
しかし、ヨランのそんな様子にも気を止めることなく、アミクは足取り軽くヨランに近寄ってきた。幼馴染で気心も知れているが、だからといって全てを受け入れているわけではない。
「なに」
短く聞き返せば、アミクはからから笑った。
「おいおい、ヨランくうん、つれないじゃないか。お前に見せたいものがあるから探していたんだぜ」
「それが純粋な気持ちなら歓迎するけど、そうじゃないだろ」
アミクは待ちきれないとばかりに持っていた手提げ鞄を掲げた。一見、なんの変哲もない古めかしい革製の鞄だ。だが、これはアミクの家にヨランの家から融通したれっきとした魔法道具である。
中を開くと、大小さまざまなキャンバスや絵画を保存できるのだ。
アミクの家、ウァリエタトンは芸術美術を生業としており、アミク自身も芸術家の卵として精力的に取り組んでいる。そのための道具であった。
「いやあ、いいもんが描けたんだ。色もイイ感じに出せてさあ。ええと、どこやったっけ」
鞄を開いて中に腕をつっこんで、アミクが機嫌よく話す。
「やっぱさあ、華やかな女の子は最高だよなあ! もうずっとパーティーしててほしい。かぶりつきで眺めていられる」
「それで寮監督に忠告受けて、先生方にも叱られてたのにか。反省しなよ」
「情熱は止められないものだ。仕方ない。お、あった。これだ」
アミクが取り出したのは手のひらくらいのサイズの絵画だった。額縁までこだわっているのか、つるつると加工が施され、絵に見合う雰囲気がある。
それをヨランに渡すと、満足そうに胸を張った。
「普段お前の姉さんを描かせてくれないから。絶好の機会だったろ。いやあ、もっと見ていたかったなあ、ジエマさん!」
「……そこまでして描きたい?」
手元にある絵画を眺める。ヨランの目に映るのは、数割増しに輝かんばかりに彩色された姉の姿だった。薄茶の髪は黄金に光り、赤い瞳は透き通り瑞々しい。幸福そうにはにかむ姿は現実離れしていた。
「いや、確かに、姉さんはまあ……綺麗な人なんだけど。贔屓目入ってないか」
「女の子はすべからく輝く存在だぞ。ヨラン」
「とっくに曇っていたか」
アミクは真っ直ぐな眼差しである。筋金入りの女性好きは相変わらずで、いつか女性関連で失敗するかもしれないと改めて心配になる。
ヨランは絵画をもう一度見下ろした。
「あの祝賀会のときだけでよくもまあ、観察できたね」
「ティトテゥス・チャジアがいたからなあ! ジエマさんだけに異様な要人対応してたから大変だったぜ」
「テトスは気づいていたけど見逃されたんだと思う」
暖期に行われた学園の設立記念日を祝う会は、勉強成果の披露目のほかに儀礼でダンスを踊るパーティーもある催しだ。着飾りはできないが、生徒たちはいっせいに色めく。そこで男女のカップルが成立するのが毎年の恒例らしい。
当日、アミクがダンスを速攻で終わらせてから、ずっとスケッチをしていたのをヨランは見ていた。
「あー……兄貴とつるんでるもんなあ。兄貴の弟だから見逃されたってことか? 身内には甘いタイプ?」
「まあ、情に厚い人ではあるかな」
ティトテゥス・チャジア。通称、テトス。
アミクの兄ベイパーと友人であり、ヨランの年上の友人である。
辺境出で、やたらめったら武術体術に秀でたカラルミス寮所属の怜悧な男前だ。体を動かす実践系の講義で常にトップを独走状態だとはよく聞く。
実際に交流を持つヨランも、そのでたらめなくらい出来すぎた実力を知っている。
そしてなにより。
「たぶん、見逃したのを口実に、この絵を欲しがると思う」
「やっぱ、お前の姉さんに惚れてるってウワサ、マジなんだなあ」
「本人隠してないからね」
「コウサミュステ寮の女子も悲しむな。慰めてやろうっと」
「ほどほどにしなよ」
テトスはジエマに惚れている。
付き合ってはいない。告白してもいない。
だが、常に機会をうかがっては喜び勇んで交流を計ろうとしている。過去に散々巻き込まれているので、ヨランも承知のことだった。
堂々と「未来の義弟」呼びをするのはどうかと思うが、そんなテトスのことを嫌いではなかった。
人柄はまあそれなり。実力も十分すぎるほどある。一緒に行動していると、あのぼんやりおっとりな姉を守るには、ちょうどいい人材だとも思えてきたくらいだ。
「それと、ヨラン。その絵な、額を外して絵をめくった後ろにもう一枚描いてあるから。それはお前にやるよ」
「なに。姉さんの絵は別にいらないのに。それとも姉さんに渡せって?」
「違う違う」
アミクはヨランに近寄ってこそこそと呟いた。
「ナーナティカさんの絵。お前、喜ぶと思ってさあ」
「……はあ?」
「いやあ、あのときお前と一緒にいたの見て、これはって衝撃が走っちゃってさあ! そんで描いて渡してやらねば友情にもとると思ってな。俺、めっちゃいい仕事したから見てくれよ。すごく上手く描けたからさ!」
そして固まったヨランの肩を調子よく叩いて、アミクは歩き出した。
「じゃあまたなー。講義始まるぜ、遅刻すんなよ」
「……え、ちょ、アミク!」
絵画を手に、ヨランが声をかけるがアミクのひょろ長い背はすぐに見えなくなった。講義開始に急ぐ生徒たちの波にまぎれて、ヨランは呆然と見送るしかなかった。
「どうするんだよ、これ」
途端、持っている絵画がいわくつきの代物に思えてきてならなかった。
じじ、じ。
文字に現わすとそんな声で虫が鳴いている。
うららかな日差しというには、いささか強い。容赦のない暑さが訪れると告げる音が耳へと容赦なく突き抜ける。
なまじ人より耳が良いヨランにとっては毒だ。
だが、今はそれよりもさらなる戸惑いが勝っている。
(……ほんと、どうしよう)
寮内の自分のスペースに閉じこもって、ヨランは絵画を手にうなだれた。
どうにか講義が終わり、アミクにつき返そうにも姿を見つけることもできなかった。人目を避けてこっそりと自寮へと戻ってくるしかなかった。
(これをナーナティカに渡すっていうのは、駄目か。いや、駄目だ)
そもそもどうやって渡せばいいのだろうとヨランは目を閉じた。
ヨランの友人が勝手にあなたの絵を描いた。だからどうぞ。そう簡単に渡せるものならいくらだって渡す。
だが、絵の中身が問題だった。
(あの、アミクの馬鹿野郎が……!)
アミクが描いた絵は、ナーナだけがモデルではなかった。
まさに踊っている一瞬を切り取った絵。つまり、ヨランと一緒にいる姿だ。
ナーナとは縁あって交友関係にあり、あの祝賀会の日は互いに相手もいないからペアになっただけなのに。
やたらお互いの体は近いし、顔つきも友愛を超えた何かくらいに違う。
一切、そんな感じではなかった。ヨランは断言できる。付け加えると、余計なことにヨランの背丈もそこそこ盛っていた。それがまた腹立たしい。
脚色しすぎだと、ここにはいないアミクへの怨嗟を送る。
(次に会ったとき、呪ってやりたいくらいだ。くそ、なんてものを)
絵を握りしめてくしゃくしゃにしたいが、それをするには躊躇われるほど時間と熱意をかけたと分かる作品だった。おそらく、ジエマの絵よりも集中して取り組んだと想像できた。
本当に、悔しくて認めたくないが、アミクの作品にかける情熱をヨランは知っている。これが馬鹿にして描いたとか適当にやったとかでないことは、見ればわかった。
幼いころから付き合いがあった手前、あっさりと処分するという手段をヨランは取ることができなかった。
なんだかんだ文句をつけても、アミクの作品は素晴らしいと思っている。
(余計なお世話だって、こういうことを言うんだろうな)
呑気に笑うアミクが頭に浮かんで、それを追い出すために勢いよく振る。
「あー……」
脱力した声を上げて、ヨランは絵画を伏せて机に置く。それから力を抜いてベッドに寝そべった。
目元に腕を当てて、寝て起きたらそんなものはなかった。なんて。都合のいいことを思いながら、ヨランはもう一度意味のない声を小さく吐き出した。