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12.人魚の宝


 まどろみの中に居る。

 そう言えば聞こえはいいが、実際は暗い暗い意識の底だ。


(干渉するときは、影響を受けるから一人になりたかったのだけど……)


 ナーナは古い魔法の言葉たちを前に、居た堪れない思いを抱えていた。



 そう。

 全部、聞こえているのである。



 ナーナティカ・ブラベリは魔法の才能に秀でている。

 そう自負しているなかで、とりわけ自分の強みといえるものがあった。

 魔法を成り立たせる構築式を覗ける目と、それに干渉し変化させることだ。

 ナーナとテトスが生まれるときに、特殊な宗教に傾倒した父親によって植え付けられた才能だが、有効活用して現在に至っている。なお、父親はすでにいないので、のびのびと使えるものだった。

 相手の魔法や呪いを覗き、ところにより自分と同化させ、内側から少しずつ変えていく。

 そうしたことは過去に何度かしている。例えば学園で起きた、虫を使った呪いのときは根源を探ろうとして呪物の歯と自分の歯を同化させたこともあった。

 だから、今回も同じような手際でやるはずだった。


(まあ、ほんの少しだけ手間取って、影響を受けたのはしょうがない代償だわ)


 人魚の宝という名前の呪い。

 贈り主と添い遂げなかった場合は時間経過で水に変化する。

 ジエマにかけられた呪いを肩代わりして、対象に混乱を与えてしまった。一度呪いが完了して、新たな呪いの対象者となった。そう、呪いが誤認したのだ。

 だから進行が早まったのだろう。一人で二人分の魔法解除を試みなければならない。


(でも、ティトテゥスがやりすぎたおかげでジエマ方面に被害はなし……うーん、もう少しかかるかしら。ヨランには申し訳ないけれど……)


 添い遂げるまでの行動制限で、目も開けず口もきけない。眠ったようになる。

 そのせいで、なんにも伝えられないのがもどかしい限りだ。

 おかげで、盛大に誤解されている。


(あのね、ヨラン。命に別状は今のところないから。そんな怒って心配しなくてもいいのよ)


 逆に申し訳なさで、早く解かねばとナーナも気が急いてしまう。


(でも、こんなに心配してくれるなんて……逆に怖いくらい)


 確かにヨランとは仲良くさせてもらっている。

 助け合い学園生活も送ってきたが、ここまで親身になってくれるほどだろうかとナーナは恐縮した。


(ヨランのためにも、早くしないと)


 ナーナの目にうつる文字の群れ。魚のように空間を泳いでは消え、また現れる。

 目を凝らして、必要な言葉に手を伸ばして魔法を使って書き換える。その繰り返し。

 足が溶け始めていたので、上手くつかむのに一苦労だ。魔法を使って引き寄せて息を吐く。


 そんな作業の最中も、ナーナの耳にヨランの声や行動らしきものが届く。

 それがもどかしくて、腕が止まりそうになった。


(あの、ヨラン? ちょっと待って、ヨラン? 私、大丈夫ですからね? 落ち着いて)


 思わず、ここにいないとはわかりつつもあたりをきょろきょろと見回す。

 とろけかけた指先に、何かが触れている。

 この思考の奥の底ではなくて、ナーナの体に実際に触れているのだろう。だが、感触はここにいるナーナにも知覚できた。

 やわらかい感触が指先に。ついで、息が吹き込まれる。

 声が届く。


『あなたの指先は、しなやかで、爪はサンゴを砕いて巻いたように艶やかに光る。≪その形は正しくない≫』


 暗示に等しい言葉。

 ナーナは即座に、魔法の一種だと理解した。


(あっ! 外側から、形を保ってくれようと……? 触れた箇所が多いほど、確かに、効果は増す。この呪いの≪添い遂げる≫の解釈にもなるし……さすがだわヨラン)


 見れば、自分の指先が少しずつ形を戻していく。

 ひとつひとつ、丁寧に指先に熱がともる。どれも同じようなものかと思えば、つらつらと言葉の種類が豊富に変わっていく。どれもナーナのパーツを褒める言葉だが、それがこそばゆい。


(あの……でも、その、ちょっと、手加減してほしいわ)


 作業どころじゃなくなってきた。

 見えないはずなのに。知覚できて、声も届く。

 実際の体ではない意識の中の体なのに、顔が熱くなってきた気さえする。

 髪に、肩と続いていく。


(か、勘弁して……!)


 ここまで並々ならぬ熱意とともに褒められては、たまらない。誰も見えないのをいいことに、意識の中でナーナは転がった。


(全部! 聞こえてるから! ヨラン、嬉しいけど止まって)


 触れられた手の、意外な強さ。息遣い。成長してわずかに低くなり始めた声。

 声にならない声を上げて、ナーナは顔を抑えた。


(なに、本当に何? あああ、足は! 足は堪忍して!)


 このまま聞いていていいのか。というよりも、ヨランがこの筒抜け状態を知ったなら、恥ずかしさでお互い死にそうな気がしてきてならない。

 じわじわと足が形を戻していく。ひどく恥ずかしい。顔も頭も熱い。

 だからナーナは変化に気づくのに遅れた。


 空間に浮かんだ文字が、極端に減っていた。


(……えっ)


 悶えていたところ、顔をあげれば、明らかに漂う魔法の数が減っているとナーナはようやく気づいた。

 それは、ヨランがナーナに触れて何かを言うたびに、ぱしゃんと水に溶けるように消えていく。


(え?)


 この呪いの条件を、ナーナは思い浮かべて、また呆けたように空中を見上げた。


 『三日以内に、贈った相手と添い遂げないと溶ける』


 ナーナが手を加えて、≪贈り主と添い遂げる≫の解釈を広く持たせて、この道具を介して誰かと≪連れ添う≫や≪縁づく≫にした。

 つまり、この道具を持ったナーナに、誰かがその意志を示した証左。


(……ヨラン、あなたまさか)


 筒抜けの上に、さらなることをとうとうやってしまった。

 本人の預かり知らぬところで、秘められた思いを知ってしまった。

 体がぎくしゃくと動く。ぎこちなく、とりあえずと残った魔法へと手を伸ばす。

 ほどなく、呪いを謳う言葉が解けていく。


 今のナーナの考えを示唆するように、最後の魔法の構築式に組み込まれた文字が踊る。


 それは≪愛情≫だった。





***





 見えざる形、触れ得ぬ実体、触れざれば心の空虚は満たされず。

 その一縷を掴みし者、手放すこと許されず。

 人魚の宝は、深淵の闇に閃く無明の輝き、夢の裔に散る幽かな滴。


 ふ、とあの時ナーナが読み上げた言葉が蘇る。

 そして身じろぎもせずにヨランが腹立ちまぎれに思いついた行動を受けるナーナを見下ろした。


「とけても、消えない」


 ジエマの予知が口をついて出る。

 溶けかけた指はどうにか戻せた。学園の医師みたいに体の中身をどうこうはできないが、形くらいなら取り繕えたことに安心した。媒介に使用した、腕輪が良かったのかもしれない。

 手が戻ったならば、足もいけるはずだ。

 そこにあるのなら、指と同じ要領で取り戻せる。

 ナーナを椅子に座りなおさせて、屈んだところでヨランはわずかに残った冷静な頭で停止した。


(……合意ないまましたけど、許されるのかこれ)


 処置だ。と叫ぶ心といくらなんでもと留める良心が戦う。


(いや。何が何でも戻ってもらわないと困る。というか、責任取ってもらう。この人を放っておいたら駄目だ。僕のような犠牲者が出る。ほかに出したら許さないけど)


 あっさり良心が負けた。

 あの時の寮監督の姿もよぎって、ヨランはすとんと表情を落としてナーナの前に膝をついた。

 溶けだした足と液体のあわい。形を崩したあたりに手を当てて言葉を紡ぐ。


「あなたの足は、人を振り回す足。いつだって、軽やかに先へ先へ進む。しなやかに伸びて、土を踏んで踊っている。≪その形ではない≫」


 じわじわと、滴る水が戻っていく。そのまま何度も言葉を変えて話しかける。

 つま先が形を見せるまで繰り返す。

 白い足先が目の前に現れたことに、ヨランは自分でも驚くほど安堵を覚えた。


「……あとは」


 目を閉じたままのナーナを見上げる。

 うつむきがちで、相変わらず小さな呼吸を繰り返すばかり。


 だが、その頬がほのかに赤らんでいた。

 思わず、にじり寄ってのぞき込む。頬に手を当てた。暖かい。


(よかった)


 ずるずると座り込んで、息を吐く。

 そして、やがて、閉じた目から、青く澄んだ瞳が現れた。

 遠くを見たまどろむ瞳がたゆたって、近くに居たヨランを見つけて定まる。

 こちらを認識して、すこしだけ困ったようにはにかんだ姿。柔らかに動いた表情は、人形めいた美貌を人らしくみせた。唇が息をするためにゆっくりと動きだす。

 それを見て、ヨランは立ち上がった。


(……ああ、くそ。わかってる。わかってたんだ)


 とうとう、目を逸らしていた自分の感情を、そうして受け入れた。

 何かを言おうとするナーナより早く、その手を取って握りこむ。


「立てますか、ナーナティカ」


 ぐ、と力が入ってヨランの手に重さが加わる。しっかりとした、あの水を掴むような感覚ではない。

 それでも消えたり、逃げていかないように、またしっかりと握りなおした。


(わかったからには、絶対に、離したりしない)


 ナーナはやはり起き抜けだからか、それとも呪いにとりかかっていたからか、動きがぎこちない。

 なぜかこちらをちらちら伺って、手を抜こうとまでする。


「なにか」

「え、あのね、何かっていうわけじゃ、ないのだけど」


 非常に言いづらそうにナーナの口が動く。表情が戻って何よりだが、何かがおかしい。


「いえ、なんでもない。大丈夫よ、ヨラン」

「言ってください」

「ぐ、ぐいぐい来るのね。どうしたの」

「色々とあったので」

「あ、ああ。そうね、本当に色々あったものね」


 詰め寄ると、視線が泳ぐ。さらに「ナーナティカ」と言えば、びくりと体を硬直させて頬が赤くなった。


(手が熱い。動揺? ナーナティカが? なんだろう)


 悲しいほどに異性扱いしていなかったナーナが、まるで意識しているようではないか。


(意識? 僕に? 今更?)


 きっかけはなんだ。

 ヨランはしどろもどろになったナーナを見て、もごもごと動くナーナの言葉を、聞き取ってしまった。なまじ耳が良いだけあって、はっきりと聞こえた。


「ぜんぶ知ってるもの」


 ぜんぶしってる。


 ヨランの思考が一瞬止まった。

 そして目まぐるしく回転した。怒涛の焦りが襲い掛かる。


「……っあ、ああ、ナーナティカ」

「は、はいっ」

「まさか、あのとき」


 そのあとを続く言葉が出てこない。

 首から上に火が灯ったような。


「……聞こえてたし、感覚も、ありました」


 観念するようにナーナの震え声が漏れる。ヨランは握った手を寄せて、さらに詰め寄った。


「いつから!?」

「本当に、最初からで。あの、だからね、ヨラン」


 しおらしく続けるナーナの言葉を、これ以上聞いていられなかった。


(ぜんぶ!? 全部、ばれて。じゃあ、やったことも全部、全部だよなもちろん)


 死にたい。

 ヨランは混乱と、羞恥と、ナーナの照れた態度で乱れに乱れる感情の最中、よろめいて手を放した。


(でも、それをしたのも、元をただせば全部、ナーナティカが。ナーナティカだったから僕は……え、引かれて嫌われるとか、ないよな。ないよな)


 ついで、悲観的な考えが到来して青ざめる。

 それは嫌だ。

 溶けて消えていなくなるのは嫌だ。しかし、嫌われて離れていくのも堪えがたい。


「そっ、こ、ここまでしたのは!」


 ナーナの腕を掴む。離れたくないという気持ちが先立ち、軽く触れるなんて考えられなかった。


「あなたのせいで!」

「えっ」

「ナーナティカが、だから……」


 腕を掴んだままうなだれる。話すことはできるはずなのに、ちゃんと意味のある内容にならない。

 思ったままの支離滅裂の言葉ばかりが出てくる。


「……これ以上、僕をぐちゃぐちゃにかき乱さないで。死にたくなる」


 沈黙。

 戸惑うナーナの視線が刺さる。


(……本当に死にたくなってきた。馬鹿か僕は。もっと気の利いたこととか、ちゃんとしたこと、言えたはずだろ)


 自分に文句を言っても、口に出てきた言葉は取り消しができない。

 もうだめだ。おしまいだ。

 悲観的な意見が勝ってきた。それでも離れがたくて未練がましく握ったままの手に、そっと柔らかな手が重なった。


「勝手に死なれると、私まで困るわ」


 顔を上げれば、ナーナがじっと見ていた。

 青い目と合うと捕まったみたいに逸らすことができなかった。


「生きて。それで……その、一緒に居てくれたら、うれしい」

「いっしょ」


 それはどっちの意味だ。呆然と見返したヨランの姿が、青い瞳越しに見える。

 ゆっくりと腕を掴んだ手を外されて、ナーナの両手でしっかりと握りこまれた。


「ええと。その。ごめんなさい、私、こういった気の利いたことの一つ、浮かばなくて……魔法だったら、そう! 魔法だったら伝わるから」


 言いながら胸元へヨランの手を抱き込んで、一つ呼吸をした。


「≪届け。伝えよ≫」


 瞬間。指先から伝うように、暖かな感覚が飛び込んだ。

 ついで、ナーナの感覚が流れてくる。


 ――動揺。嬉しい。恥ずかしい。戸惑い。喜び。不安。


 そういった言葉が頭まで直接届いた。


「どう? 伝わった、かしら。あの、魔法でもうまく、表せなかったかもしれないけれど」


 遠慮がちに言って、ヨランの手を掴んだ両手の力が緩む。

 たまらず、ヨランは手を伸ばして不安に見上げる目の前の少女へと抱きついた。




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― 新着の感想 ―
[一言] あああーーーーーーーッ(叫) すき!!!! 好きです!!!!! ひゃあ!!!!!!  ごめんなさい叫びだけ残していきます好きです!!!! (ハァハァ)※尊くてしにそう
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