1.はじまりは誤解
深い水底には宝物があるらしい。
通常、人では到底たどり着けない底の底。光も届かず、目にも見えない暗闇の中で、確かにそこに存在するのだ。
まことしやかに話された内容に、ヨランは目を瞬かせた。
単なるおとぎ話だ。
昔から伝わる、伝説の財宝や埋蔵金といったものと同じだ。
実は血筋が尊かったという権威付けや一攫千金を焚きつけるようなものだろう。
それでも幼心に焼き付いた興奮を確かに覚えている。
自分の世話役を買ってくれた祖母が聞かせてくれた話のなかで、よく覚えていたのはこの話だった。
――いいこと、ヨラン。私たちは人魚の血を持つ一族だ。だから、お前だって、いつか見つけることがあるかもしれない。
見つけたら、どうなるのだったか。
とうに亡くなって久しい祖母の記憶は朧だ。ヨランはすっかりそのことを忘れていた。
だから、ふと意識の下層から浮かんできた思い出を懐かしく感じたのだろう。
「人魚の宝」
それも切っ掛けは、目の前の姉の言葉だ。
茫洋と遠くを見つめて、対面にいるはずなのにちっともこちらに意識を向けていない。
(予知だ)
人気のない、学園の寮外にある東屋。
気分転換がしたいと姉に呼び出された時間でよかった。
ヨランはあたりを見回して、周囲に合図した。すぐに人よけの魔法が放たれた。今日も陰ながらちゃんと護衛はつけられているようだ。
「見つけたのね。とけても、消えない。ほら、そこにある」
形のいい唇がうわ言のように呟く。
ヨランはいつものように携帯していたメモ帖に書きつける。
姉のジエマは、予知能力を持つ。
息をしているだけで、存在するだけで金を生むレラレ家の秘すべき宝だ。
ただし予知された言葉はいつも不明瞭で、いつ何が起こるかはまったくもってわからない。それでも、価値があるのは間違いない。
彼女の言葉は近づく危険を見事に的中させるし、それに備えた行動をしておけば利は確かにあるのだ。商家であるレラレ家にとって、実に得難い能力者であった。
おかげで、ヨランの人生は生まれながらにして姉のフォローと護衛が主となった。これはもう、予知能力者を持つ家に生まれたから仕方がないと折り合いをつけている。
(久しぶりだな)
ヨランがジエマの予知を直接聞いたのは、半年ほど前だ。
一族代々に現れる予知能力者は、決まって若いころほど多く言葉を残し、次第に回数を減らしていくと教わった。確かに、ジエマの予知は幼少期と比べると減ってきている。
だが、予知はいつ起こるかわからない。そのうえ、予知したときの自覚がないのである。
だから家から離れた学園では、いつもヨランか家が付けた口の堅い者が傍に控えているのが常だった。
(それにしても、人魚の宝って……)
この書きつけたメモをちぎって、しまう。後で手紙にして実家に送るためだ。予知の言葉は家で厳重に正しく保管しなければならない。
ジエマの口が閉じたのを確認して、ヨランは手を伸ばした。軽くジエマの肩に触れる。
ジエマはまだぼうっとした瞳のままあたりをさまよわせて、やがてヨランを見下ろした。
「ヨラン、おめでとう」
「……姉さん」
予知の内容と自我が曖昧になっているのだろうか。いつも予知が終わった後は夢にまどろんだようになるのだ。
(いやまさか、また何か僕が見つけるとかそういうのじゃないよな)
嫌な予感がする。
宝にまつわる騒動は、新しい記憶にある。ヨランがここに入学してから巻き込まれて、そのままずるずると足を突っ込んだ出来事のこともある。
そんな悪寒を振り払うように、ヨランはやや力をこめてジエマを揺すった。
「姉さん」
「う、ん……? あら、ヨラン。私ったら、またしてしまったのね」
ぱち、と赤い瞳を瞬かせてジエマは憂鬱そうに息をついた。
「くるならくると、すぐにわかれば良いのに。また、人前でしたなら変に思われてしまうわ。ナーナティカさんにもご心配をおかけしたのだもの」
ナーナティカ。
ジエマから出てきた名前に、ヨランは少し面食らった。
予知のこともあり厳重に管理されていた姉に出来た、実態的にはじめての友人。そして、ヨランとも共通の年上の友人だ。
(姉さん、ナーナティカのことが本当に好きなんだな)
確かに、ナーナティカことナーナは人を惹きつける部類の女性だった。
話題性も抜群だ。
国一番の学園に途中編入してきた辺境出身者のうえ、成績も優秀で容姿もいい。そのうえ、人当たりもいい。
純人主義という、異能や異形が目立たないことが良いとされる都の思想がある。それに染まった者が多い学園で、都外の者はどうやったって目につく。
辺境は都が追いやった異能や異形持ちが多いためだ。
さらには、双子のティトテゥスことテトスとセットでやってきてから、学園で起きた大きな騒動の元にいたせいもある。
だが、それに負けずナーナとテトスは確かな実力で周囲を黙らせてきた。話題性も能力も、他の一般学生と比べるべくもない。
ヨランより上の学年だが、騒動に首を突っ込んで以来、何かと縁があり仲良くしている間柄だった。
だから、ナーナの性格は他の生徒たちよりは知っているつもりだ。そのことを考えて、ヨランは心配するジエマに言って聞かせた。
「ナーナティカはそういう人ではないと思うよ」
「いいえ、わからないわ。いくら優しいお人柄でも、うんざりしてしまうことだってあるはずだもの」
ジエマはなおも不安そうに両手を組んでヨランに詰め寄る。
ふわりと花の香りがする。丁寧に世話をされ整えられた肩までの髪が揺れ動く。
ジエマに恋する男たちは、淡い薄茶色をした髪は光に透かすと黄金のようだとこぞって溜息をつく。もっともヨランは弟なので、相変わらずよく手入れされていると思うだけだ。自分のところどころ跳ねたままの髪とは全然違う。
「ねえヨラン。私と違って、あなたは自由に動けるでしょう? ナーナティカさんにお会いしたときに、私のこと、そうっと聞いてくださらないかしら。もちろん、それとなくよ?」
「姉さんのことは知っているから、気にしないって絶対言うと思うけど」
「そうかしら……じゃあ、ヨラン、またナーナティカさんにお会いしましょうって、言ってはくれないかしら」
「それくらい自分で連絡つければいいのに」
「いいえ、いいえ。ヨランから伝えることに意味があるのですもの」
「なに、それ」
「お願いよ、ヨラン」
申し訳なさそうに言うジエマに、ヨランはため息をのみこんで了承した。
姉は控えめな傲慢さがある。普段は優しい深窓のお嬢様然としているが、人を使って当然のような振る舞いをする。そして少々夢見がちで思い込みも激しい。
あえてそのように育てられたから当然だ。わかってはいるがなんとはなしにもやもやとした気持ちになる。
「あなたにも都合があるって、わかっているの。でも、ナーナティカさんによろしくと、あなたの口からお話してほしいの。ね? きっとよ。あと、仲良くするのよ」
「はあ……言うくらいなら、べつに」
そう返すと、花が咲いたみたいに明るくジエマは喜んだ。
「ええ、ええ。がんばってね、ヨラン。私、とっても応援しているわ」
「だから、そういうのじゃないって」
「ふふ、わかっていますもの」
ふわふわと笑みをこぼしながら口元に手を当てる。好奇と歓喜で光るジエマの瞳は楽し気に細まる。
(どうにも、誤解してるんだよなあ……)
そう。ジエマ・レラレは誤解している。
ヨランがナーナティカのことを好きだと、信じて疑っていない。
あまつさえ、勝手に応援をしてくる始末なのだった。
「私はあなたの姉です。弟の幸せを願わない姉はいませんから」
曖昧な笑いが出る。
(思い込みで、聞かないのはどうなんだよ)
きっと自分が訂正しても取り合わないだろう姉を見返して、ヨランはまた一つ不満を飲み込んだ。
(僕は、そんな風に勘違いなんてしないからな……!)
せめてもの意趣返しに、ヨランは胸の内でそう呟いた。
諸注意)
勘違いはさせませんが、よくある少女漫画展開のちに恋に落として愛に溺れさせます。彼の迷走を生暖かく見守ってくださると幸いです。
本編の男女友情(?)までがお好きな方はおすすめしません。ご自衛くださいませ。