第三章 決戦
1
七瀬恋桃の拳が。
高殿灯雲の銃弾が。
棘園真宵の鋼翼が。
山の雪崩のように水色髪の女に殺到する。
しかも、その偽理音の思考は有栖川周寧が読み取り、三人の少女に伝えている。
故に、彼女達は偽理音に一方的に攻撃を浴びせ続けるだけ。
それだけの、はずだった。
「おっとっと」
偽理音はそんなこと言いながら恋桃の拳を難なく躱すのと同時に、団子頭の少女の胸を右肘で突く。
直後、流れるような動作で恋桃の周りを円を描くように移動し、灯雲の射線から恋桃を盾にする。
丁度その時、偽理音の後ろから真宵の翼拳が迫るが、偽理音はそちらに視線を向けることなく躱し、真宵の顔面を左手で鷲掴みにする。
「あらよっと」
掴んだ真宵を思いっきり振り回し、灯雲に向かって投げつける。
「っ!」
灯雲は動揺し一瞬動きが止まり、そこに真宵がぶつかり二人が地面を転がる。
時を同じくして、体勢を整え直した恋桃が額による頭突きを水色髪の女の顎にに打ち込もうとするが、それよりも早く偽理音は右膝を鳩尾に突き刺す。
「ぐ、は」
「はーい、痛いの痛いの飛んでけー♪」
偽理音は適当にそう言いながら体を一回転させ、まるでサッカーボールを蹴るかのように恋桃の腹を思いっ切り蹴り飛ばす。
恋桃は蹴りの威力で宙を勢いよく舞い、灯雲と真宵に重なるようにして落下した。
「……え?」
一連の流れを見ていた周寧の口から、そんな間の抜けた声が漏れる。
それを聞いた偽理音はニヤリと笑い、
「心を読まれてる私があなた達をこんな簡単に圧倒できるのか、そんなに不思議?」
「……」
「なら、答えましょう!」
周寧は一言も発していないのにも関わらず、偽理音はニコニコと嘲笑う。
「あなたは私の心を読み、一旦それを解釈してから、仲間にその情報を送る。確かにそれはすごいね」
周寧の能力の有用性を頷きながら認める。
だが、
「でも、それだと遅過ぎる」
「……え?」
「恋桃ちゃん達は周寧ちゃんから情報を受け取ってから行動する。で、私はそんな恋桃ちゃん達の様子を見てから行動を選択するから、その時にはもう恋桃ちゃん達が受け取った情報は古くなってるってだけの話。……周寧ちゃんは知らないみたいだけど、影胞子をちゃんと観測してれば相手の動きって多少は読めるんだよ?」
「……」
つまり、こういうとだ。
周寧が偽理音の心を読み恋桃達に指示を出そうとも、恋桃達のアクションの立ち上がりのタイミングで偽理音は彼女達の動きを予測し、適宜対処しているのだ。
勿論、その『対処』がどういうものかも周寧は読み取れるが、それを恋桃達に伝えるのほぼ同時……酷い時には伝えるよりも早く偽理音の『対処』が完了しているのだ。
(――強い)
周寧は偽理音のことを素直にそう思った。
ハーモニーより弱いなんてとんでもない。
みんなで斃せたあの鵺より――
「それは違うわよ、周寧」
「……灯雲?」
能力で伝わってきた周寧の心の声を、灯雲は起き上がりながら口に出して否定する。
「多分、あの女はハーモニーより弱い。ただ、戦い方が巧いだけ」
「……それって違いあるの?」
「どんなに相手が強くても、戦い方に隙があればそこを突けば勝てる。だけど、戦い方が上手くて隙のない奴相手には、格上倒しが成立しにくい」
「……」
「そして、ムカつくことにあの偽物女はハーモニーよりは弱いけど、戦い方に隙が無い。だから――」
「んなもん、関係無ぇ!」
倒れていた恋桃が跳ねるように立ち上がりながら、灯雲の言葉を遮る。
「あたしは、周寧を傷つけたクソ女を全力でぶん殴る。それだけだ!」
恋桃は勢いよくその場から駆け出し、偽理音に向かって全力で突き進む。
それを見ながら理音はニタリと笑って、
「――そういえば、まだ私の能力を見せてなかったね」
「死ね!」
恋桃はそう叫びながら拳を――スカートのポケットの中に突っ込み、隠し持っていた短剣を偽理音の顔面に向け投げつける。
「おっと!」
偽理音は若干本気で慌てながら、顔を横に逸らして短剣を躱す。
頬から血を流しながら偽理音は、
「――刃山君の短剣か。激昂した振りをしながら不意打ちとか、意外と冷静じゃないの」
「ッ!」
もう恋桃は返事をしなかった。
体勢が崩れかけた偽理音の顔面を全力で殴り飛ばそうとする。
だが、それよりも、
「狂気解放――」
偽理音が己が固有能力を発動させる方が早かった。
「――『千変我身』」
恋桃の拳が空を切る。
それは、偽理音が躱したから――ではない。
体格が、小さくなったからだ。
そして、その顔は、
「なっ……!」
「どう?七瀬恋桃だよー?」
目の前の偽理音――いや、偽恋桃が揶揄うようにケラケラと笑う。
そして、そのまま本物の恋桃に向かって拳を突き出した。
「……ッ!」
「ホラホラ!」
恋桃と偽恋桃が拳を打ち合う。
しかし、優勢だったのは、
「偽物に負ける本物って価値あるの?」
「クソッ!」
恋桃からの打撃は、偽恋桃に全て躱され当たらない。
しかし、偽恋桃からの攻撃は、本物の恋桃に届いていた。
「狂気解放――『指先の暴力』!」
遠くから、灯雲が能力を発動させ、アサルトライフルで恋桃の支援をしようとする。
しかし、
「銃を作り始めてから撃つまでが遅いよー」
偽恋桃は一気に灯雲と距離を詰め、金髪の少女の顎を打ち抜こうとする。
「させない!」
灯雲のすぐ側に居た真宵が鋼翼で灯雲を覆う。
それを見た偽恋桃は拳を開き鋼翼を掴むと、それを支点に己の体を持ち上げて、まるでアクロバットのように体を捻らせながら真宵の顔に膝を叩きつける。
「……ッ!」
「あ、そうそう。私の能力の『千変我身』なんだけどさ」
偽恋桃は地面に足をつけると、のんびりと雑談を始め出す。
「この能力は見たまんま『見たことがある人の身体に変身する』ってものなんだけど、ちょっと面白い副次効果があってね」
その間も灯雲が銃撃を、恋桃が打撃を与えようとしているが、それを偽恋桃は難なく躱し、受け流す。
「それは、固有能力によって強化された身体能力もある程度コピーできるっていうこと。ただ、コピー元の固有能力が強ければ強いほど再現率が落ちちゃって、実際今も恋桃ちゃんの身体能力の八割ぐらいしか再現できてないし。ちなみに、八割しかできないってすごいことなんだよー?」
「……チッ!」
偽恋桃のその言葉を聞いて、恋桃は大きく舌打ちする。
偽恋桃の言うことが本当なら、スペックでは本物の恋桃の方が上のはずだ。
なのに、一方的にいいようにされているのは、灯雲の言う『巧い戦い方』をしているからだろう。
「クソがっ!」
恋桃はハイキックを偽恋桃の頭に食らわせようとする。
偽恋桃は受け流すように腕をしならせながら恋桃の脚を受け取め、そのまま掴む。
「そんな見え見え攻撃、私に当たるわけないって」
そう言って恋桃を床に叩きつける。
――そこから先は一方的だった。
いや、『そこから先も』と言った方が正しいか。
七瀬恋桃、高殿灯雲、棘園真宵。
彼女達は有栖川周寧から指示を受けながら攻撃を繰り出すが、それらは全て流され、偽恋桃からの攻撃が一方的に彼女達に当たり続ける。
そんな地獄みたいな光景が、銀髪の少女の前で繰り広げられていた。
「――」
周寧は考える。
どうすれば、目の前の暴虐を止められるのかと。
その答えは、すぐに見つかった。
「こっちを、見て」
周寧の声が、高く響く。
だからか、その場に居た全ての人がつい周寧の方に視線を向けた。
その先で、彼女は、
自分の首に、自分の手をかけていた。
「周寧っ……!?」
「いくら私が偽理音より弱くても、アーベントのことには変わりない」
周寧は己の首に指をめり込ませる。
「だから、私の首を一瞬で折るぐらいの力は出せる。そうしたら、困るのはあなたでしょう?」
「……」
偽恋桃は、偽理音に姿を戻しながら無言で黙り込む。
その水色髪の女に向かって淡々と周寧は、交渉を始める。
「あなたは私を殺すことをいつでもできた。それなのに殺さず、まるで私の力を測るようなことばかりしていたのは、私を生かして利用したいから。違う?」
「……」
「だから――」
しかし、実際には、交渉を始めることはできなかった。
それは、誰かが動いて妨害したとか、そういう話ではない。
誰も動いていない。
ただ。
偽理音に接続している『心的収穫』の根から。
これ以上ないほどの、落胆と侮蔑の感情が伝わってきたからだ。
「……え?」
「――」
偽理音は目の前で固まっている恋桃の頭を掴み。
それをそのまま、地面に叩きつけた。
「ッ!?」
「有栖川周寧ぇ。あなた、本物の馬鹿?」
「……え?」
「確かに、私はあなたの力が欲しい。でもね、あなたみたいな役立たずのアーベントを仲間に入れたいと思うほどお人好しじゃないのよねー」
「……」
どういう、ことだ。
偽理音は明らかに、自分の能力に興味を持っている風だった。
それなのに、なんで急に――。
「アーベントの狂気。それは、どうしようもない現実を己の願望に塗り替える力。それなのに、己が追い詰められている現実を受け入れて?己の命を敵に差し出して?交渉する?折角アーベントには『狂気』があるっていうのに??」
偽理音は笑う。
嘲笑って、嗤う。
そして、
「――よし、決めた。とりあえず、周寧ちゃん以外の全員を殺そう」
「……え?」
「自殺したかったら勝手にしてて。その間に他のみんなを殺すから」
「目的は、私の、能力じゃ?」
「さっき言ったでしょ。役立たずは要らないって。だから、あなたがどう思おうが、死のうが、もう関係ない!」
そう言うと、偽理音は蹲ってる恋桃の背中を上から踏みつける。
「ぐっ……」
「やめて!」
「やめない。やめる理由がない」
水色髪の女は嘲る。
「――敵に己の命を預けて交渉する。そんなの、無能の雑魚がやることじゃない?」
少女の決断が、まるで無価値なものであるかのように。
2
偽理音は、戦闘中ずっと飄々としていた。
捉え所が、ずっと無かった。
しかし、
「敵に己の命を預けて交渉する。そんなの、無能の雑魚がやることじゃない?」
今は感情を露わにし、恋桃を踏んでいる偽理音の意識は周寧一人に集中している。
つまり、今の偽理音には『隙』がある。
そして、ずっと待っていてようやく生まれたその『隙』を、見逃す高殿灯雲ではなかった。
(とはいえ、偽理音の影胞子感知能力は高い。『指先の暴力』で攻撃しても、どうせ直前で感知して躱すでしょうね)
なら、今、灯雲が取るべき手段は。
(……)
――本当は、『それ』は念のため以上の意味は無いはずだった。
今回の『札付き任務』を受けた際、念のために上司である秋倉燕に許可を得て、念のため持ってきたものだった。
「――」
灯雲は無言で『それ』をスカートのポケットから取り出す。
金髪の少女が手に持つ『それ』は、
S&W_M37エアーウェイト。
警察でも使用されている回転式自動拳銃の一つだった。
金髪の少女は、影胞子ではなく金属でできたその拳銃の引き金を躊躇いなく引く。
『パン!』という音が辺りに響き渡るのとほぼ同時に、金属の銃弾が偽理音の後頭部に当たった。
今まで、何一つ攻撃が当たっていなかったのにも関わらずだ。
(――予想通りね)
偽理音は、影胞子の動きを感知して攻撃を躱していた。
『ならば、影胞子など何も関係ない普通の拳銃なら上手く躱せないのでは』と灯雲は考えたのだ。
(でも、この程度じゃ決定打にならない)
偽理音は頭を揺らしているが、それだけだ。
血すら流れていない。
(所詮は影胞子で強化してない普通の銃弾。痛みこそ与えても、致命傷までは至らない)
だから、灯雲の狙いは、
「真宵!」
「はい!」
会話にすらなってない短過ぎるやり取り。
しかし、その次の瞬間、ピンク髪の少女は上空から偽理音の頭に目掛けて、
「鋼翼拳!」
拳の形に変えた鉄の翼を、思いっきり振り下ろした。
「っ……!」
偽理音はぐらり体を揺らす。
そこに、
「狂気解放――『指先の暴力』!」
能力によって作られた、ありとあらゆる銃弾が偽理音の全身に撃ち込まれた。
「が、は」
「恋桃!」
「……っ!わかってるっての!」
恋桃は背を踏む偽理音を弾き飛ばすように起きると、直後右肘を偽理音の鳩尾に叩き込んだ。
今までは、一発も攻撃が当たっていなかったのにも関わらずだ。
(――これも予想通り)
……偽理音はずっと、余裕の笑みを浮かべながら、自分が絶対的な強者のように振る舞っていた。
でも、それは、
(今までの余裕ぶっこいていた態度はただの演出。……本当に私達と偽理音の間に絶対的な差が開いていたのなら、今まで見せた偽理音の性格上、攻撃をわざと喰らって『自分はこんなの平気』ぐらいのマウントは取ってくるはず)
だが、それをしなかったのは。
(私達の攻撃を一度でもモロに食らえばそこに隙が生まれ、そこから集中攻撃されたら捌き切れないから)
だから、もう。
「――アンタの強さは、隙が無いことだった」
灯雲はそう声に出しながら、八丁もの銃を生成する。
そして、
「隙を突かれて、更に隙を生んでるアンタに、もう勝ち目は無い」
直後、八丁の銃から嵐のように銃弾が水色髪の女に浴びせられた。
3
(これは、結構やばいかな)
七瀬恋桃に蹴られ、高殿灯雲に撃たれ、棘園真宵に殴られながら偽理音はそんなことを考える。
(もう体勢を整える余裕もないや)
先程まで偽理音が与えていたはずの一方的な暴力を、今度は偽理音が与えられていた。
もう、自分の勝ち目は無くなった。
なら、せめて、
(一人ぐらいは――)
そう思いながら、恋桃の拳と灯雲の弾丸を受けながら、ピンク髪の少女に向けて手を伸ばす。
しかし、
「ッ!?」
全く予想外の方向から衝撃が来た。
偽理音は揺れる頭と意識の中、視線を衝撃が来た方向に向ける。
その先に居たのは、
(……有栖川周寧?)
だが、それはあり得ないはずだ。
何故なら、偽理音は一度、一対一で周寧と向かい合っていた時に周寧の拳を受けている。
他の三人からならともかく、直接的な攻撃が不可能な固有能力持ちの彼女が、自分に対して有効打を与えてくるわけが――。
……いや。
(周寧ちゃんの手に、何かある?)
次の瞬間、周寧の拳が、親友の拳と共に偽理音の胸に突き刺さり、水色髪の女は宙を舞う。
その周寧の拳には――正確にはその拳に付けられたメリケンサックには、隣の拳とほぼ同質の影胞子が纏われていた。
(……あぁ、なるほど。恋桃ちゃんの固有能力は身体強化じゃなくて、武器の強化もできたってわけね)
偽理音は吹き飛びながら、のんびりとそう考える。
それにしても、
(立ち直り、思った以上に早いね)
銀髪の少女は自分の言葉に明らかに動揺していたが、今の少女にその動揺見られなかった。
(切り替えが早いのは良いね。……少し見くびり過ぎてたかな?)
偽理音は攻撃を受けながらも、まだ品定めをするかのような思考をする。
しかし、それは余裕から来るものではなく、諦めから来るものだった。
(……はぁ)
もう、偽理音は攻撃に移ることができない。
四人の少女による拳と銃弾の猛攻に、偽理音はどうすることもできない。
もう、偽理音に勝ち目は無い。
誰か一人を道連れにすることもできない。
だから、あと偽理音ができることは。
「狂気解放『千変我身』――――」
自らの命を使って、この盤面をひっくり返すことだけだった。
「――――白死」
次の瞬間、偽理音の体は崩れ出し。
果てしない量の影胞子がその場に迸った。
4
「「「!!」」」
まるで影胞子が爆発したかのような特殊過ぎる現象を目の前にした少女達は、一斉に偽理音から距離を取る。
その爆発元である偽理音は――
「……何ですか、あれ」
真宵が思わずといった風にそう呟く。
それほどまでに目の前の事態は異常だった。
影胞子が数倍に膨れ上がったこともそうだが、それ以上に偽理音の見た目が異常だった。
かつての柔らかそうな水色髪も、可愛らしい顔も、スタイルの良い肢体も、どれもこれも見る影が無い。
髪はまるで老人のようにみすぼらしい白になり、瞳はまるで何かの病気のように赤く充血し、顔と肉体はまるで子供の落書きのように歪んで崩れていた。
それを見て、有栖川周寧と棘園真宵は『まずい』と思った。
目の前の『元』偽理音が一体何なのかは不明だが、明らかに異常事態だ。
だから、一度距離を取る必要があると考えた。
一方、七瀬恋桃は『今しかチャンスが無い』と思った。
なぜなら、今の『元』偽理音は異様で意味不明だか、明らかに隙だらけだ。
いくら異様なパワーアップしようとも、体勢整えられる前にトドメを刺しとく必要があると考えたからだ。
恋桃は『元』偽理音に素早く近付き、『元』偽理音に拳を振るおうとする。
それとほぼ同時に。
元々少し遠く離れていた高殿灯雲は、『元』偽理音を見て何かを思い出したのか、血相を変えて全力で叫ぶ。
「バカ桃!!今すぐ下がりなさい!!!!」
「!!」
灯雲の声色に何を感じたのか、恋桃は『黙れ、チビ雲!』と罵倒し返すこともなく、飛び跳ねるように白と赤の化け物と化した『元』偽理音から数十メートル距離を取る。
直後、
「ヴァァァァaaaaaァァあああああ!!!!」
『元』偽理音は、意味不明な叫びを上げながら捩れ曲がった右腕を真下に振り下ろす。
すると、半径二十メートル渡って地面が粉々砕け散り。
五十メートルを優に超す地割れが、四方八方に向けて走った。
「は!?!?」
目の前で起きた『地震』によろめきながらも恋桃は大きな声を上げる。
「なんだ、ありゃあ。馬鹿力にもほどがあんだろ!」
恋桃はそう吐き捨てながら、『元』偽理音から百メートルは離れていた灯雲達の所まで慌てて下がる。
「おい、チビ雲。アレが何かわかるか?」
「……」
灯雲は百メートル先のクレーターに居る白く醜い化け物をジッと見つめる。
そのままボソリと、
「……アンタみたいな下衆が、『星』になれるわけないでしょうが」
「?灯雲?」
「なんでもないわ」
そう言うと、視線をグチャグチャの化け物から外し、すぐ側にいる三人のチームメイト達に向ける。
「あの化け物……仮称として『白醜』としましょうか。あの『白醜』は恐らく……というかほぼ確実に、自分より遥かに上の実力を持つ人をコピーしようと失敗した成れの果て。まだ鵺じゃないけど、鵺に成りかかってるし、早急な対応が必要がある。他に、何か質問は?」
「……あたしの力量で、殴ってぶち殺せると思うか?」
「難しいし、あれに近付くのは得策じゃないわね。さっきの一撃だって、本物に比べたら再現率は一割どころか一パーセントすら行ってるかどうかだろうけど、今の暴走状態を見るにもっと再現率と威力が上がってもおかしくない」
「……恋桃先輩で無理なら、私も無理そうですね。……灯雲ちゃんの能力なら行ける?」
「無理ね。当ててダメージを与えられる気がしないし、そもそも当てられる気がしない。多分、躱されてこっちに向かって襲撃してくるのがオチね」
「……ってかあの『白醜』、こっちに襲って来ねぇな。なんか、うずくまってるし」
「まだ鵺じゃなくて、ただの獣ってことなんでしょう。いつ獣の気まぐれが発動してこっちに襲ってくるか分からないし、鵺に成ったら迷わずこっちに襲ってくるわよ」
三人の少女達はそれぞれ意見を出し合う。
その横で、銀髪の少女は黙って自分の手の平を見つめていた。
(……『根』が途切れた)
偽理音が『白醜』に成ったのと同時に、彼女に繋げていた『心的収穫』の根が千切れてしまった。
それは、『白醜』が周寧の固有能力を無効化したとかそんな話ではない。
周寧の方から解除したのだ。
『これ以上接続していたら危険だ』と、そう本能が察して。
(……感覚でわかる。あれの情報を受け取ったら、私もただでは済まない)
もしかしたら、死ぬかもしれない。
だから、咄嗟に接続を切ったのだが……。
(みんは作戦を立てようとしてるけど、情報が足りな過ぎる。……あれを倒すには少しでも情報が必要になる)
だが、それには――。
……。
(……)
……今更、自分の命が惜しくなったりはしない。
そもそも、自分の命を大切に感じる人間なら『あんな行動』を取ったりはしない。
ただ、周寧が心配しているのは、
(得られた情報を、私はみんなに伝えることができるの?)
例え命を捨てて情報を得られたところで、それをみんなに伝えられなきゃ意味が無い。
つまり、問題は『生きるか死ぬか』ではなく、『耐えられるか耐えられないか』だ。
その答えは、
(……多分、私の心じゃ耐えられないだろうね)
何故なら、自分の心は弱いから。
『そんなの、無能の雑魚がやることじゃない?』
あの偽理音の台詞は、何も自分のスペックを指して言ったわけじゃない。
自分の心を指して、そう言ったのだ。
そしてそれを周寧は、正しいと思った。
(……私はみんなほど強くない。多分、私は、辛い現実を直面したら逃げる選択を選ぶ)
例えば、妹の京雅や弟の蒼葵が事故で死んだら。
例えば、親友の恋桃が殺されでもしたら。
多分自分は、迷わず自死を選ぶだろう。
辛い現実を生きていくより、そっちの方が幸福だから。
自分はその程度の、弱く脆い人間だ。
だけど、だからこそ。
(――私は知りたかった)
あの横暴な父親が何を考えているのかを。
妹達が、辛い思いをしてないのどうかを。
死んだお母さんが、最期まで幸せだったのかどうかを。
自分は、知りたかったのだ。
だから、自分の固有能力は『こういうもの』になったんだろう。
「――」
銀髪の少女は、手の平を白い化け物に向ける。
そして、
「狂気解放――――」
銀髪の少女は己の固有能力を発動させるための祝詞を口にする。
例え、無謀だとわかっていても。
(――私の心が弱いなんてこと、重々わかっている)
自分の心は弱く、脆い。
それを正しく認めた上で耐え切ってみせる。
『相手の心を収穫する』
それこそが、有栖川周寧の狂気の在り方なのだから。
「――――『心的収穫』!!」
周寧の手から、勢いよく七つの黒い根が『白醜』に向かって伸びる。
蹲る白い化け物はその根に反応を示さず、周寧は『白醜』と接続する。
そこから流れてきた心は。
『殺す殺す殺す殺す。この手でコロス。愛してる。ずっと愛する。殺す。どこに居る。愛してる。死ね。逢いたい。引き裂いてやる。どこに居るの。確実に殺す。一緒に居たい。憎い。愛してる。絶対に殺す。永遠に愛してる。絶対に殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺。永遠に愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛。殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛殺愛。************************************――――――――――』
狂っていた。
これ以上ないほど狂っていて、その狂気は果てしないものだった。
「……!!」
割れるような頭痛が周寧の頭を襲い、鼻から血がポタポタと流れる。
「!?周寧!?」
恋桃が周寧のすぐ側に駆け寄るが、周寧は左の手の平を恋桃に向けて押し止める。
そのまま銀髪の少女は、心の収穫を引き続き行う。
……。
……………。
……………………………。
「……ふぅ」
溜め息を一つ吐くと周寧は、『白醜』との接続を解除する。
そしてそのまま、恋桃に寄り掛かるようにして倒れた。
「周寧!?」
「……心配しないで、恋桃。ちょっと疲れただけだから」
そう口にする周寧の顔は血塗れになっていて、顔面は蒼白に染まっていた。
明らかに、疲れたとかそういう次元ではない。
だが、恋桃は周寧を心配する言葉をそれ以上口にしない。
目の前の親友がそんなものを求めていないのが明らかだったからだ。
だから、恋桃は心配を押し殺して、
「で、何がわかった?」
「わかったことはあまり多くない。コピー元の狂気で精神が壊れてたことと、あの『白醜』の弱点と習性ぐらいかな」
「……弱点と習性が知れたら、もう良くない?」
「まぁそうなんだけど、情報がありきたり過ぎてね。……弱点は当たり前に頭と心臓。それで習性としては、『自分に敵意を向けたもの、もしくは近付いたものに襲い掛かる』って感じ。……私の『根』が敵意認定されなくて良かった」
「なるほど……んで、チビ雲、今の聞いてなんか案浮かんだか?」
「……ええ。『相手は攻撃を躱すことはなく、むしろこっちに向かってくる』ってことなら、一つだけ案が浮かんだわ。周寧のおかげね、ありがとう」
「どうしたの、灯雲。素直にお礼を言ってくれるなんて」
「……私はいつも素直よ」
灯雲はそう言いながらチラリと真宵の方を見て、
「『この案』は私と恋桃の二人でやるんだけど、暴発の危険があるから、真宵には一般人が近くに居ないかの確認を頼むわ」
「わかった!」
真宵は元気良くそう返すと、腕を翼に変えてその場から飛び去る。
その時生まれた風に僅かに灯雲は顔を顰めた直後、恋桃の方に顔を向けて、
「悪いけど、ちょっと命を賭けてもらうことになる。問題あるかしら?」
「無ぇな。あたしに不可能は無い」
そう言って、恋桃は周寧を地面にゆっくりと寝転がらせる。
それを見ながら、灯雲は、
「そう。なら、安心ね」
軽くそう言うと、灯雲は手の中に一つの銃弾を作り出す。
その銃弾は、
「『法臓弾』。これでアンタを一瞬強化する」
「……なるほどな。だけど、それだけであの化け物をぶっ飛ばせるのか?」
……一度ハーモニー戦で使ったからこそわかるが、灯雲の『法臓弾』によるブーストはかなりのものだ。
しかし、それをもってしても、百メートル先に居る異様な『白醜』を斃せるとは思えなかった。
「難しいでしょうね。だから、もう一工夫する」
そう言った直後、金髪の少女は手の平を地面に向かって翳すと、
「狂気解放――『指先の暴力』」
その場に三メートルを超す巨大な固定砲台が現れる。
灯雲はそれを人差し指で指し示しながら、
「私の『法臓弾』でアンタとアンタの能力『覇者の黒衣』を強化する。それで、アンタの『覇者の黒衣』で、この固定砲台を極限まで強化して」
「……!」
確かに、それなら可能だ。
『白醜』に近付くことなく、恋桃と灯雲の能力を掛け合わせた最大級の一撃を叩き込むことができる。
だが、それにはまず、
「……暴発したりしないの?銃や大砲の強化なんてしたことないけど」
「普通ならまず確実に壊れて暴発するわね。私も結構長いとこARSSに所属してるけど、銃火器を壊さないで銃と弾を強化できるのは一人ぐらいしか知らないわ」
「ならダメじゃん」
「だけど、それは『普通の銃火器』の話」
灯雲は目の前の固定砲台をパンと叩く。
「アンタが今から強化するのは私が能力で作った砲台。そう簡単には壊れたりはしないわよ」
「でも、壊れる可能性はゼロでは無いんでしょ?」
「ええ。そうよ」
「なるほど、りょーかい」
恋桃は死の危険性について軽く受け入れると、視線を上空に向ける。
「ねぇ、真宵!近くに一般人居たー?」
「居ません。巻き込む危険は無いです!」
「そっか、ありがと!」
そう言うと恋桃は視線を灯雲に戻す。
直後、灯雲は一つの銃弾をまるでキャッチボールかのような気軽さで団子頭の少女に投げ渡す。
恋桃が一つの銃弾――『法臓弾』を受け取ると、少女の全身から影胞子が増大し、隆起する。
そして、彼女は目の前の大砲に触れると、小さいがハッキリとした声で、
「狂気解放――『覇者の黒衣』」
己が固有能力を、全力で発動させた。
「……やるじゃない」
弾き飛んでない大砲を見て、灯雲は微笑む。
だが、ここまではあくまで準備。
問題はここからだ。
「ヴぁぁ……」
百メートル先のクレーターで蹲っていた『白醜』が呻き声を上げながら、灯雲の方に目を向ける。
何かに気付いたということだろう、もう遅い。
金髪の少女は、右手を指鉄砲の形に変え人差し指を斜め下――クレーターの中心に居る『白醜』に向ける。
そして、
「吹き飛びなさい――――」
ただでさえ恋桃により極限まで強化された大砲に、更なる影胞子を圧し込める。
すると、
「ヴゥ……アアアアァぁァ!!!!」
『白醜』が叫び声を上げながら、灯雲の元に駆ける。
それに対し、金髪の少女は一切怯むことなく淡々と、
「――――覇王の指先」
小さな声でそう嘯き、右人差し指を跳ね上げた。
直後。
音速の三倍は優に超す速度で砲弾が宙を切り。
そのまま白い化け物に突き刺さると『パァァン!』と凄まじい音を周りに響かせて爆散した。
『ドゴォォォン!』と、轟音が遅れて響く。
それは、『白醜』を粉砕した砲弾がそのまま突き進み、『白醜』が作ったクレーターを更に破壊した音だった。
「……」
あまりにもの煩さで灯雲は顔を顰める。
明らかに絶命した『白醜』の残骸を見つめながら。
化け物ではあるものの、鵺ではなく『一応』人だったものを見つめながら。
「……ふん」
灯雲は短く鼻を鳴らすと、視線を隣と足元、そして上空に向ける。
その一瞬後、灯雲は視線を『白醜』――いや偽理音が立っていた場所に戻してこう言った。
「当然の報いよ、クソ野郎」