4、触手とのお別れ
昨日の朝、町中心部で遺体の一部が発見されました。
周囲に残っていた服や、遺体の特徴から、この近くに寝たきりになっていた老人だと、医師が診断しました。
それからは、町が大騒ぎです。
「こんな殺し方は人間には不可能だ。魔物が町に現れたんだ!」
「こんな所まで入ってきたのか? 森までかなりの距離があるぞ。しかも人の体をこんな風にするほど強い奴なんて、この一帯には住んでいないはず……」
「あっ、そういえば昨日の夜、変な男の子がこの辺を歩いているのを見たなぁ」
「私も見たわ! ただそれは昨日の昼よ。たしか、薬師さんの娘さんと二人っきりで話をしているのを見たわ」
「ぼ、ぼくとんでもないものを見ちゃったんだ。夜中、おしっこがしたくて外にある便所に行ったら、通りから物音がしたんだ。壁の隙間から見てたら、男の子がたくさんの触手を出して、おじいさんを……うぇっ」
「ああ、思い出さなくていいよ。もしかしたら、あの薬師さんの娘が何か知ってるかもしれない。自治会長に話を聞きに行ってもらおう」
「そうしよう!」
こんなやりとりが、リィナの寝込んでいた二日の間に起きていたのでした。
そして、お父さんがリィナの部屋のドアを、静かにコンコンと叩きます。
「リィナ、ちょっといいかな」
普段、ニコニコしているお父さんが、深刻な面持ちをしていました。
寝間着のまま、階段を降りて、リビングまで行くと、
「リィナちゃん、具合が悪いところすまない。話を聞きたいんだ」
そこにいたのは、自治会長をしている四十代の男性です。
自治会とは、広大な町をいくつもの地域に分けたもので、住民が普段の生活で困っていることや不満に思っていることをまとめ、町の中央機関に報告書を提出する義務を負った組織です。
この男性は、その長を務めています。
「実は、こんな男の子の目撃情報があってね」
それは、カードに絵の上手い人が描いた似顔絵でした。
そこに描かれた顔を見て、リィナはつばを飲みました。
ロンの顔そのものだからです。
「この前、老人が亡くなる事件が起きてね、この男の子が関係している可能性があるんだ。で、この子と君が一緒にいた、という目撃情報も同時にあったものだから、こうして私が確認に来たというわけだ。そしてさらに、それより以前から、この家の周囲で、君とその男の子が一緒に遊んでいる所を見た、という人もいる」
彼女の家は、町の外れもいいところで、周囲には家がありません。
畑があるくらいで、たまにそこで仕事をする人が通るくらいです。
もしかしたら、運悪く見られてしまったのかもしれません。
「何も心配する必要はない。ぼくとお母さんはリィナの味方だ。安心していい。正直に話してくれていい。問題は、大人が解決するから」
お父さんが、リビングの入り口に立ったまま固まってしまっているリィナの頭を、優しくなでます。
その手は、マダムやロンの冷たい手とは違い、とても温かくていい匂いです。
ただ、正直に話してしまえば、あの魔物は本気になってリィナを殺しに来るでしょう。
マダムの触手が服の中に入ってきて、心臓の真上の素肌に直接先端が触れた時の感触を思い出しました。
マダムは、あのままリィナの心臓を貫くことだってできたはずです。
まだそれをされていないのは、きっとマダムの気まぐれです。
大人たちに、森の中に魔物がいるという話が伝わったら、確実に討伐隊が組織されます。
そしたら、マダムとロンはリィナの敵になり、いつ心臓を貫いたり首を絞めたりしに来るか、分かりません。
実際に、ロンは人間と同じ姿で町に侵入し、人を殺しました。
足下の植物に話を聞いて、リィナの家を突き止められる能力を持っているのですから、リィナがどこへ隠れても見つけ出します。
でも……
「魔物は、悪い存在?」
声を絞り出して、お父さんに尋ねます。
「もちろん」
おとうさんは即答します。
「人間と仲良くしたい魔物は、いる?」
「いないよ。人を殺すことしか考えてない」
「…………」
リィナは、勇気を振り絞ります。
自分は、人間です。
人間は、人間の味方をするべきです。
魔物が、たとえ我が子の命を救うために人の命を差し出せ、という話を持ちかけてきても、応じてはいけないのです。
あのときは、リィナに力がなく、ただ言うことに従うしかありませんでした。
ロンやマダムと一緒に遊んで楽しかったことを思い出すと、少し気の迷いが生じますが、それでも、リィナは人間の味方をしなくてはなりません。
「お父さん、わたしの魔法は人を助けられる?」
「もちろん。もっと練習すれば、もっと多くの人を助けられるよ」
「悪い魔物をたくさん倒せる?」
「ああ。近くでリィナの魔法をたくさん見てきたお父さんが、約束する」
リィナは、決断しました。
「わたし、魔物にそそのかされて、あのおじいちゃんの所へ連れて行ったの」
「……何のために?」
「生きるためって言ってた。このままだと死んでしまうからって」
「分かった。その魔物って、どんな姿をしてる? 男の子?」
「それは息子。お母さんがいて、身長は五メートルくらい。大きな花の頭をしていて、全身が触手でできていて、とても魔力量があった。大人数人がかりでも、倒せないと思う」
「……どこにいる?」
リィナは、お父さんと自治会長に、あの草原のことを教えます。
「討伐隊を組織します。私は後方部隊の隊長を務めることになっています。リュックスさんは、私の部隊で衛生兵として活動してください」
リュックスとは、お父さんの名前です。
「分かりました。……リィナ、これから数日間、家から一歩も出ちゃダメだよ。お母さんも一緒に家にいてくれるからね。分かったかい?」
リィナは、小さくうなづきました。
それから、お父さんと自治会長は家を飛び出していきました。
お母さんから、町の騎士団と手を組み、討伐隊が結成された、という話を聞きました。
討伐隊による作戦が行われている間、リィナはずっと自分のベッドに潜っていました。
早く殺されてしまえばいいんだ。
リィナはそんなことを思っていました。
討伐隊の作戦二日目の朝。
早朝から曇りで、森には霧がかかっています。
植物型の魔物をあぶりだすため、森に火が放たれました。
リィナは、おそるおそるベッドから顔を出して、窓を見ます。
森から煙が上がっていて、鳥の群れが飛び立っていくのが見えました。
今日もずっとここで寝ていよう。
そう思っていたとき、
『リィナ』
ロンの声が窓の外から聞こえました。
その声は、とても穏やかです。
「ヒイッ!」
触手が一本窓の外まで来ていました。
裏切り者を殺しに来たんだ。
そう思いました。
〈あたしたちは、リィナに何もしないよ〉
窓の外にもう一本触手が伸びてきて、そこに赤い小さな花が咲きました。
大きさは全然違いますが、マダムの頭そっくりです。
布団をかぶっているリィナには見えていません。
二人の声がリィナに聞こえているのは、魔法のせいでした。
マダムとロンの声は、分厚い生地の布団を通過して、リィナに届いていました。
『リィナは、ぼくの命の恩人だからね。大人たちはぼくらを殺そうと殺気だっているけど、ぼくは君に何もしない。お礼を言いに来たんだ。ありがとう。おかげで、ぼくの命は永らえた』
リィナの体の震えが止まりません。
〈本当は、怖がっているリィナの頭を優しくなでてあげたいけど、今のお前さんには逆効果だろうねぇ。残念だけど、ここでお別れだ〉
『ぼくらは、この土地を去ることにしたんだ。もう、当初の目的は果たされたからね。それに、今森に入ってきている大人たちの中には、君にとって大切な人が何人もいるんでしょ? ぼくらは、君の心が痛むようなことは、もうしたくない。だから、もうここでお別れしよう』
〈そのままでいいから聞いてほしい。あたしたち二人は、たとえ今後リィナとどこかで出会ったとしても、絶対に命を奪わないと誓う。恩があるから、義理は果たすつもりさ〉
『それに、もう一つ覚えていてほしいことがある。いい魔物もいるんだよ? ぼくは、リィナと一緒に遊んでとっても楽しかったんだ。ぼくらは数百年生きられるんだけど、一生君のことを覚えているつもりさ。誰かに言いふらさなくてもいい。せめて、君だけはいい魔物もいるって知っておいてほしい』
〈あっ、そろそろリィナのお母さんがあたしたちに勘づいたみたいだから、そろそろ行くね。リィナ、これからも幸せに生きるんだよ〉
『短い間だったけど、ありがとう。どうか、ぼくらのことを忘れないで……』
バンッとリィナの部屋のドアが勢いよく開かれ、お母さんが慌てて入ってきました。
右手を構えていて、炎が漏れ出しています。
「魔物の気配がしてたけど、リィナ大丈夫!?」
お母さんが、窓を壊れそうな勢いで開けました。
そこには、何もいません。
「何もいない……?」
リィナが、布団の中からおそるおそる尋ねます。
「いないわよ。おかしいわねぇ。確かに感じたんだけど……。とても強大な魔力だったのに……」
お母さんは首をかしげています。
そして、窓を閉めました。
リィナの家の庭には、畑仕事をするための道具を仕舞っている物置があります。
その影から、赤い花が咲く触手と、ロンが出てきました。
ロンの顔色は、町の元気な子どもと同じくらい、血の気がいいです。
マダムとロンは窓越しに、ベッドから這い出して床に立ったリィナの顔を見ると、静かに背を向けて森の中へ去って行きました。
それから一週間後。
結局、魔物は森の中をいくら探しても見つからず、あの老人以外被害者が発生しなかったことから、要警戒としながらも、討伐隊は解散しました。
リィナは、リビングの隣にある、薬の調合室にいました。
お父さんとお母さんが書いた、薬のレシピを元に、傷薬をつくっています。
「わたし、魔物のこと、もっと知りたいかも」
誰もいない家の中で、彼女はそうつぶやきました。
額の汗を拭おうと、右手で触ったら、緑色の軟膏がベタッと付いてしまいました。
それを、左手でとって、額に付けてしまったと分かると、クスクスッと笑いました。
調合室には大きな窓があり、そこからは森が見えます。
あの木々を何本通り抜けたら、マダムとロンはいるのだろう。
元気にしているだろうか。
「冒険者になったら、また会えるかな」
今度は、自分の魔法で圧倒してみせる!
血色のいい表情で、リィナはそう決意しました。
これで物語は終わりです。お読みいただきありがとうございました。お気軽にコメントしてください。