表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3、触手は危ない

 リィナは、週に二回、ロンと遊んでいました。

 ある日は、森の中。別の日は町で他の子どもと一緒に。

 他の子どもたちには、


「最近、引っ越ししてきた子なの」


 と紹介しました。

 間違ってはいません。

 そして、最初にマダムやロンと出会って二週間ほど経った、ある日。

 その日も、両親は往診で留守にしていて、リィナは自室で宿題を片付けていました。

 すると、


『リィナ! リィナ! 大変なんだ! 早く!』


 ロンの緊迫した声が、開け放している窓の外から聞こえました。

 彼女が窓から顔を出すと、


『降りてきて! 急いで!』


 よほど緊急事態なのでしょう。

 ダダダっと階段を駆け下りたリィナは、バンッと勢いよく玄関のドアを開けます。


「どうしたの?」


 急いで降りてきたリィナは、ハアハアと息があがっています。


『ちょっとここでは言えないんだ。お母様の所まで来てもらってもいい?』


 マダムに何かあったのだろうか。

 魔法で助けてほしいのかもしれない。

 そう思ったリィナは、


「待ってて。着替えてくるから!」


 彼女は、いったん自室に戻って、部屋着から普段着に着替えます。

 紫のローブを羽織り、その内側に軟膏の薬があることを確認すると、また一階に戻りました。

 そして、ロンに右手を握られ、森の中へと連れ込まれました。



 あの草原に、マダムはいました。

 遠くから見た感じ、どこもケガはしていなさそうです。


〈ああ、リィナが来た! 助けておくれ〉


 足をワシャワシャと動かして、向こうからやってきて、あっという間にリィナの目の前まで来ました。


「どう……したの?」

〈実は、ロンの寿命がもうすぐ切れそうなんだよ〉


 ロンの……?

 リィナは、横に立つロンを見ます。

 パッと見た感じ、血の気が悪い以外は健康そうですが。

 マダムは話を続けました。


〈実は、ロンの命は仮初めのものなんだ〉

「かりそめ……」

〈偽物の命だってことさ。つまり今は、人形が生き物のように振る舞って動いているのと変わらないって事だ〉


 これが人形だというのでしょうか。

 どう見ても人間にしか思えません。


『お母様から聞いたの。ぼくの命は、もってあと一週間だって。一週間したら、ぼくの体は崩れてしまって、触手の塊になっちゃうんだって……。ううう……!』


 ロンは、崩れ落ちてその場で泣き出してしまいました。

 これからやってくる死に対する恐怖に、ロンは小さく背を丸めて体を震わせています。


「わ、わたしに、何かできることは、あるの?」

〈命を差し出してほしいんだ〉


 淡々とマダムは言いました。

 その瞬間、リィナは二人に背を向け、全速力で走り出していました。

 やっぱり魔物は魔物なのだ。

 魔物は人間にとって害悪で、出会ったら倒さなくちゃいけない存在なのだ。

 この二週間の間、自分に優しくしていたのは、油断させるためだったのだ。

 リィナは恐怖を顔に貼り付けています。


〈ちょ、ちょっと待って待って! 違う! 違うんだ!〉


 マダムは触手を数本伸ばして、リィナを捕まえました。


「イヤー!!! 離してー!!! イヤだイヤだイヤだ!!! 死にたくない! 死にたくない!」


 両腕がバンザイの状態で、マダムのすぐ前まで連れてこられたリィナは、地面を両足で強く蹴って逃れようとします。

 ですが、もちろんマダムの力にはかないません。

 リィナは全力で泣き叫んで、尿を漏らし、つばがたくさん飛び、顔を左右に激しく振るたびに涙が地面と平行に流れていきます。

 キッと空中をにらみ、空気を固めてナイフをたくさんつくり、マダムの触手にいくつも突き刺していますが、効果はありません。

 左右の手のひらから炎を出して触手に当て続けても、草の焦げるにおいが立ちこめるだけで、焼き切れる見込みはなさそうです。


〈ほしいのは、リィナの命じゃないんだよ〉


 マダムは、子どもをあやすように優しい口調で語りかけます。


『リィナ! 聞いて! 町で、誰か死にそうな老人を見つけてほしいんだ』


 泣き止んだロンが、リィナの背中を優しくさすって、落ち着かせようとします。

 二人が、自分の命を狙っているわけではなさそうと気づいた彼女は、魔法を出したり暴れたりするのをやめました。


「どういうこと……?」

〈この子の命を永続的なものにするには、他の命が必要なのさ。それはリィナが、人間が殺した鶏や豚や牛の肉を食べているのと同じだ〉

「同じ……?」

〈そう、同じだ。君たち人間は、生まれたときから永続的な命が保証されているだろう? 大人にお世話されたり食事をとったりしていればね。ただ、あたしたちが子どもを作るとき、最初に生まれるのは偽物の命なんだ。それを本物の命としてこの世に留まらせるには、他の命を取り込必要がある。ここまではいい?〉


 リィナは、両目から涙がこぼれ、口からよだれを垂らしながら、コクっとうなづきます。


〈つまり、君たち人間が生きるのに他者の命を犠牲にするのと、あたしたちが他の命をいただくのは、同じ意味なのさ。リィナに、それを手伝ってほしいわけだ〉

「わ、わたしのことは、食べないの……?」

〈食べないよ! こんなに可愛くて未来ある子どもを、わざわざ殺したりしない。もちろん、若い人間の方が栄養が多いから、出来るならそっちがいいんだけど、若い人間を食らい続けていたら、人間から討伐対象にされてしまう。でも、今にも死にそうな人なら、踏ん切りがつくんじゃない? 人間たちは、食物は新鮮な方がいいんだろうけど、あたしたちが偽物の命から本物の命に変わる過程においては、若かったり新鮮だったりする必要はない。それから息子が生き続けるには、人間以外の野生動物を食べれば済むんだから。だったら、もう死にそうな人ならいいだろう? ちょっと死ぬのが早くなるだけじゃないか。あたしたちはこうして妥協しているんだ、人間たちも譲歩してほしいもんだ〉

「本物の命に変えるのは、人間の命じゃないとダメ、なの? それも野生動物じゃダメ……?」

〈そればっかりはダメなんだ。知能レベルを人間並みにするには、人間を食らわなくちゃいけない。獣を食ったら、子どもの知能は一生獣と一緒だ。そんな魔物は、他の魔物や動物、そして人間にかんたんに殺されてしまう〉

「…………わたしは、ロンを、町にいる今にも死にそうな老人のところに連れていかなくちゃいけないってこと…………?」

〈ご名答! 頭のいい子は話が早いね。なあに、簡単なことさ。ロンから聞いたよ? 君の両親は薬師なんだってね。だったら、末期の患者だって診ているはずだ。『薬の勉強をしたい』とでも言ってついていって、老人の家を突き止めてロンに教えてやればいい。後は、ロンが一人で勝手にやるだけさ。その老人をどうするかは、本能的に知っているからね。自分の家のベッドにこもっていればいい。そのまま朝を迎えたら、すべて終わっているからね〉


 でも、それは、魔物が人を殺すことを黙認するということです。

 黙認どころか、加担するのです。

 きっと、一生後悔するでしょう。


『お願い! ぼく、せっかくこの世に生まれてきて、リィナと出会えたのに、このまま死ぬのはイヤだよ。死にたくない! 死にたくないんだよー! うわあああん!!!』


 再び、ロンは泣き叫びます。

 その姿を見て、マダムの頭から、花びらが数枚落ちました。

 まるで泣いているように見えます。


〈リィナ、お願いだよ。息子が命尽きるところなんて見たくないんだ。お前さんだって、町で見たり聞いたりしたことはないかい? せっかく生まれた赤ん坊が、数日経ったら死んでしまったって。心は傷まないかい?〉

「い、痛むよ……。お父さんやお母さんから、たまに聞かされるもん。その赤ちゃんはもう、わたしみたいに遊んだり薬草を採りに行ったりすることは、もうできないんだもの。悲しいに決まってるよ……」

〈だったら……! あたしの気持ちも分かってくれるだろ……? ねえ、今こうして出会って仲良くなった者と、まったく知らない赤の他人と、どちらが大事だい? ご両親がお腹を空かせて死にそうになっているとき、お前さんは誰か知らない人が飼っている、何の思い入れもない鶏を殺して肉を持って帰ることはできる……?〉

「そ、それでも、わたしが老人を探し出さなかったら……?」

〈そうなったら、仕方ないから、森に入ってきた適当な大人を捕まえるか、あるいは夜中にロンが町へ行って誰かを食うよ。もしかしたらその人は、リィナの大切な人かもしれないけどね〉



 リィナは、ロンを伴って家に戻りました。

 それから一時間後、お母さんが帰ってきます。

 この子は、最近知り合った友だちだ、と話した上で、


「わたし、もっと薬の勉強がしたい。だから、午後の往診に連れて行ってほしいの」


 するとお母さんは、


「私と、患者とそのご家族の邪魔をしなければいいわよ。午後からは、寝たきりの方の体調を見に行くの。騒がないでね」


 と、同伴を認めてくれました。

 お母さんが自室に戻ったのを見届けたリィナは、リビングのイスに深く沈み込みました。

 全力疾走をした後みたいに疲れます。


『やったね』


 小声でロンが言います。

 リィナには、不安しかありません。



 リィナの家は町外れにあり、寝たきりの老人の家は、町の中心部にありました。

 お母さんとリィナが歩いて行くのを、ロンは物陰に隠れながらついていっています。

 それを分かっているリィナは、顔にイヤな汗をびっしりとかいていました。

 


 町の中心部にある、レンガ造りの二階建ての家が、患者さんの家です。

 お母さんは、玄関の横から中庭に入っていきます。

 中庭をよく見渡せる寝室に、老人がいました。

 お母さんは、寝室のすぐ横にあるドアを開きます。


「おう、薬師さん。いらっしゃい」


 老人が寝ているベッドの横に、木で作られた丸椅子があり、そこに五十代くらいの男性が座っています。

 男性は、気さくにお母さんに声をかけました。


「薬の効果で眠っているようですね」


 お母さんは、静かに寝息を立てている、八十を過ぎた男性を観察します。


「ああ。最近、起きていても、夢見がちなのか、単なるボケなのか分からないが、俺に『学校はどうした?』『剣術の鍛錬に励め』とか言うんだぜ? 俺はただの商人だってのによ。昔、騎士団を志したことがあったから、それを思い出しているのかなぁ」


 息子さんは、疲れたようにため息をつきました。

 この老人を標的にしよう。

 リィナはそう決めました。

 中庭には入りやすく、ドアには鍵がありません。

 もうすぐ死にそうな人、というマダムの条件にも当てはまります。


「リィナ、今この方が寝ているのはね、まずこの薬が――」


 お母さんが早速、娘に医薬品の講義を始めます。


「お、未来の薬師さんに授業か? ゆっくりしていきな」


 息子さんはそれを歓迎していて、リィナにニコッと笑って手を振り、商人としての仕事に戻っていきました。

 ただ、今のリィナには、お母さんの話はまったく頭に入っていません。

 なぜなら、今夜には自分が加担したことによって、この老人は死ぬのですから。

 タオルケットが上下していることから、息をしていることはリィナにも分かります。

 明日には息をしていないのです。

 もしかしたら、体すら無くなっているかもしれません。

 リィナは、緊張して顔がこわばっています。

 お母さんには、それが真剣に話を聞いているように見え、どんどん薬の話を続けます。



 次の往診があるから、とお母さんとはその老人の家で別れました。

 物陰からロンが出てきます。


『この家の老人だね? 壁に穴が空いてたから、見ていたよ』


 リィナは、汗でびっしょりな顔を、縦に振ります。


『後は、夜中にぼくがやるから。この広大な町で、今にも死にそうな老人をぼく一人で探し出すのは大変だから、助かるよ。ありがとう。リィナはぼくの命の恩人だ』


 ロンは、うつむいているリィナを励まそうと、頭を軽くポンポンとなでて、その場を去って行きました。

 それから二日間、リィナは自室で寝込んでしまいました。

4へ続きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ