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その悪役令息、私が幸せにします!

作者: 雪嶺さとり

誰にでもきっと、愛する人はいる。

例えそれが、どんなに遠くて手の届かない人でも───────。



──────────────


「サディアス・ブラックリー様。わたくし、メルゼシア・ヴィレントは、貴方との婚約を解消させていただきます……!」


今日は学園のダンスパーティー。

煌びやかなドレスに、美しい音楽に彩られていたはずのそこでは、メルゼシア公爵令嬢の声だけが、高らかに響き渡っていた。

その隣には、彼女を支えるように立つ美青年が。

彼はこっそり裏では成金などと揶揄されていたりするジェロイド男爵令息、スタンリー。

今までしんと静まり返って見ているだけだった周囲が、ざわっとどよめいた。


「メルゼシア様が婚約解消!?」


「まさかそんな!」


それもそのはず、スタンリーは間違っても公爵令嬢と婚約できるような立場の者ではないのだが、彼とメルゼシアは恋仲であった。

しかしメルゼシアには婚約者がおり、二人は決して結ばれない仲。

メルゼシアの婚約者は、同じく公爵家のサディアス・ブラックリー。

たかが成金では絶対に逆らえない相手だ。


そんな身分違いの恋に燃える二人に、まるで恋愛小説のようだと、親同士が婚姻を決めるのが常識である貴族社会では彼らは密かに応援されていた。

そう、だからこのざわめきは動揺だけではなく歓喜でもある。


「遂にメルゼシア様とスタンリー様が結ばれるのね!素晴らしいわ!」


周囲からそんな声が聞こえてきたりもするが、今しがた婚約解消されたサディアスは呆然として何も聞こえていないようだった。


「……っ、これは一体どういうことだメルゼシア!」


メルゼシアの目前で、サディアスがそう声を荒らげる。

彼らしくないその焦ったような口調から、相当な動揺が見て取れる。


艶やかな黒髪に、ガーネットのような赤い瞳。

高貴さを感じさせる黒の衣装に、肩にかけたロングコートはスタイルの良さも相まってこれ以上無いほどに似合っている。

そんな、誰もが一度は目を引かれるようなこの貴公子がこんな公衆の面前で婚約を解消されたのだ。


「どうもこうもありません。わたくしは、冷酷な恐ろしい貴方と別れ、運命の人である愛するスタンリーと結ばれるのです!」


「戯言も大概にしろ!これは公爵家同士で決められていた婚姻だ、お前の我儘で変えられるようなことではない!」


サディアスがそう怒鳴れば、余裕な表情をしたスタンリーが一歩前に出てくる。


「負け惜しみはそこまでにしたらどうだい」


「貴様っ……」


まるでサディアスが悪人だとでも言うかのような口ぶりだ。

男爵子息が公爵子息にこのような口を聞いていいはずがないというのに。


「君は今まで僕の大切なメルゼシアに冷たく当たり、悲しい思いをさせてきた。でもそれも今日限りだよ。これからは僕がメルゼシアのことを守ってみせる!」


「スタンリー……っ!愛してるわ!」


メルゼシアがスタンリーに抱きつく。

二人はこれ以上無いほどに幸せに満ち溢れており、そしてその幸せに目が眩みすぎて何も見えていないようだった。


「おいおい、なんだこの茶番は」


「ブラックリーも大変だろうな。こんな揉め事を起こされて。いくら公爵家と言えども俺ならあんな娘とは結婚できないな」


歓喜の声が埋め尽くす中、ホールの片隅からはちらほらと一部の生徒からの呆れる声が聞こえてくる。

家門同士が取り決めたこと、というサディアスの主張は一貫して正しいものだ。

冷静に見れば、これは全てメルゼシアの身勝手な行動で両家に多大な迷惑がかかることは言うまでもない。


「こんな身勝手が許されるものかっ……!」


これ以上は無駄だと判断したサディアスはコートを翻して、憤りを隠すことなくこの場を去ろうとする。

サディアスが歩けば、皆がさあっと一様に道を開けていく。


「『悪役令息』様よ……」


「なんて恐ろしい……」


ヒソヒソとした、けれども丸聞こえなわざとらしい話し声にサディアスは眉を顰める。

メルゼシアとスタンリーの恋が恋愛小説のようだと言われていることから、メルゼシアの婚約者であるサディアスはこっそりと、二人の恋路を邪魔する『悪役令息』と呼ばれていた。


サディアスはメルゼシアの恋も、自身がそう呼ばれていたことも全て把握していたのだが、まさかメルゼシアが学園のダンスパーティーで暴走するとは微塵も思ってなかったのだ。


(まさかメルゼシアがここまで浅はかだったとはな……)


幼い頃から将来を期待され、何事も上手くこなしてきたはずだった。

他の男に目を向けて遊び歩いてばかりの

、淑女とは程遠いようないけ好かない婚約者とも良好な関係を築こうと努力し続けてきたはずが、その結果がこのザマとは。

両親になんと報告すべきか、今後両家の関係はどうなっていくのか。

幸せいっぱいなメルゼシアと正反対に、サディアスには頭痛の種がどんどん増えていく。


サディアはかつてないほど険しい表情をして出ていった。

残された群衆は、あれやこれやと騒ぎ出してホールはもはや混沌としだす。



そしてそんな群衆に紛れてサディアスのことをずっと見守っていた少女が一人、そこにはいた。


「大変……!サディアス様がこんな辱めを受けるなんて信じられないわ!」


金髪にメガネ、桃色のドレス。

よくいる令嬢の一人だが、彼女は少し特殊な人間であった。

同年代の令嬢たちが揃って『悪役令息』と呼ぶサディアスに、ずっと片思いをしつづけてきた令嬢なのだ。


「ちょっとレティシア、どこに行くのよ」


「サディアス様をお見守りしなくちゃ!」


友人の言葉も聞こえないようで、レティシアは駆け出していく。

人々の間を抜けて、いざサディアスの元へ。





地味で目立たない、壁の花。

そんな影の薄い伯爵令嬢レティシア・アルストラが初めてサディアスを見たのは、大図書館の最上階。

放課後に本を借りに来て、なんとなく最上階まで登ってみたらそこに彼がいた。

窓辺に座って、頬杖をついて退屈そうな顔だったのをよく覚えている。

まさかこんなところに今話題の公爵令息がいるとは思わず驚いたのだが、よくよく見ていれば彼は、何をする訳でもなく窓の外をただ眺めているだけ。

ただ、その手には小さな望遠鏡が握られていた。


(なんて、綺麗な人……)


それからレティシアは、図書館に通い詰めて皆が『冷徹な悪役令息』と噂する彼の素顔をこっそりと見続けてきた。

最初はただの一目惚れだった。

でも、段々と彼の素顔を知るうちにどんどん好きになっていった。

星に詳しくて、小説が好きで、穏やかに優しく笑う人。

レティシアが知っているのはそれくらいのこと。

でも、たったそれくらいのことがレティシアの心を動かした。

学業熱心、成績優秀、常に不機嫌、そしてメルゼシア公爵令嬢の恋路の邪魔をする人。

周囲から聞く様々な評判は、どれも本当のサディアスとはかけ離れていた。


別に、彼に自分のことを知って欲しいわけでもなくて、ただ彼のことを見ていられればそれで良かった。

彼のことを見守るのも、この図書館の中でだけ。

学園では彼について何も知らないという顔をしてきたし、これからもそうするつもりだ。


でも、今だけは己に立てた誓いを破らなくてはならない。

レティシアはサディアスの後を追って、この大図書館に辿り着く。


そして今日、あの日と違って月の見える窓辺で、彼は同じように座っていた。

でも今は、膝を抱えて項垂れたように窓の外は見ようともしていない。

その仕草はまるで親に叱られた幼子のようにも見えた。


「あのっ、サディアス様……!」


ダンスパーティーの日に図書館に来る人なんていなくて静まり返った室内では、思ったよりも声が響いた。


「っ!」


サディアスが、ぱっと顔を上げる。


「君は……」


サディアスが、レティシアを見つめている。


「誰だ?」


「ええっと私はですね、名乗るほどの者でもなくて、えっと、その」


話しかけたのだから当然そうなるのだが、初めて自身の存在を認識されレティシアは慌ててしまう。

一拍置いてから、息を吸って落ち着かせた。


「私はレティシア・アルストラ。ただのしがない伯爵令嬢です」


我ながら酷い自己紹介だと、レティシアは思う。

昔から印象に残らないと言われがちだが、こんな場面では絶対にサディアスの記憶に残るだろうから最低限にとどめるしかなかったのだ。

大好きな人は陰ながら応援したいが、認知されるのはちょっと……、という気難しい乙女心故である。


「では、ただのしがない伯爵令嬢殿は、一体俺に何の用かな……ああ、そうか。俺を笑いに来たのか」


サディアスは相当ショックを受けているようだ。

普段の彼なら絶対にそんなことは言わないだろうし、こんな自嘲気味に笑ったりもしない。


「今まで家名に恥じないよう努力を重ねてきたつもりだったが、まさかこんなところでメルゼシアに婚約解消されるとはな……。メルゼシアにも俺なりに尽くしてきたつもりだったんだが、全て無駄だったようだ。今頃連中は楽しそうに騒いでいるんだろう。ははっ、俺は哀れな奴だな……」


サディアスの切れ長の瞳が、悲しげに揺れている。

それを見ていると、レティシアはもう黙っていられなくなった。


「断じてそんなことはありません!私はただ、貴方を励ましたくて、」


「……励ます?君は何を言っている?」


「そのっ、先程の婚約解消の件ですが、私は本当のサディアス様を知っています!皆さんが言うような人なんかじゃなくて、だから、えっと」


いざサディアスの前に出ると、言いたいことが上手くまとまらなくて混乱してきた。

一人であわあわと慌ててしまい、恥ずかしい限り。

だが、サディアスはそんなレティシアを見て、敵意がないことがわかったのか一転して優しく声をかけた。


「君の話は最後まで聞く。だから、落ち着いて」


そんなことを言われれば、むしろ心臓がドキドキして暴れだしてしまう。

それでも何とか落ち着かせて、彼に励ましの言葉を送ろうとする。


「サディアス様。私はサディアス様のことが好きです」


かなりストレートな告白をしてしまった。

だがもう今更後にはひけない。


「……っ、私はずっと貴方のことを応援してきました。これからも応援するつもりです。ですから、あんな人の言ったことなんて気にしなくていいんです。サディアス様は冷たくなんかなくて、優しい人だって知ってます。サディアス様がどれほど努力をされてきたのか、ちゃんと分かっています」


「君は……」


サディアスの、ガーネットの瞳が静かにレティシアを見つめる。


「メルゼシア様とのことも、きっと大丈夫ですよ。だから、落ち込んだりなんてしなくていいんです」


あなたの味方はたくさんいますよ、ほら、ここにだって。


レティシアは精一杯、自分の伝えたい思いを話した。

その気持ちはサディアスにも伝わったようで、彼はふっと優しく微笑んだ。


「不思議な人だな。俺はついさっき名前を知ったばかりなのに、君は俺の事をとても大切に思ってくれているようだ」


サディアスの手が、レティシアの金髪に伸ばされる。

突然そんなことをされて、一瞬にして身体が硬直した。


(サ、サササディアス様!?サディアス様が私の髪を!?)


まさかまさかの行為に、もう一生髪を洗えないと天にも昇る思い出あったが、サディアスの次の言葉でレティシアは我に返った。


「思い出した。大図書館に住む妖精とは、君のことだったんだな」


「……へ?」


「この図書館にいると、度々俺の周りでは不思議なことが起こる。探していた本が知らない間に机に置いてあったり、いつの間にか誰かからお菓子が差し入れてあったり……」


全部に心当たりがあった。

何もしない、と決めていたのだがどうしても我慢ならずほんのささやかなお手伝いのようなことは何度かしていたのだ。

自分でもまるでストーカーのようなことをしてしまっていることは分かっている。

もちろん、本人に嫌がる素振りがあればすぐにでもやめるつもりだったが、そのどれもをサディアスが好意的に受け取っていてくれる様子だったのでどうにも踏ん切りがつかなかった。


「最初は不思議で仕方がなかったんだ。俺に取り入りたいと考えたどこかの令嬢だろうと結論付けたんだが、それにしては名前どころか一切素性を表さないからな。俺に気に入られたいのなら、こんな回りくどいことをしなくても他の方法があるだろう。気になって司書に聞いたら、この図書館には『金髪の小さな妖精』がいる、と言われたんだが……」


司書とは、以前サディアスを見守っている姿を目撃されて何をしているのかと怪しまれたが、洗いざらい白状したところ恋する乙女の為ならと笑って、黙ってくれることを約束していた。

確かにレティシアのことは隠されているが、妖精だなんてそんなまさか……。


サディアスは穏やかな声で、レティシアの名前を呼ぶ。


「妖精は、君だったんだな。レティシア」


まさか自分がそんなふうに呼ばれていたことなんてつゆ知らず。

サディアスの笑顔が見れた嬉しさと、色々なことに対しての恥ずかしさが混ざり合って、レティシアの頬が赤く染る。

ともあれ、これで少しは彼を励ますことができたのならそれで良いと早々にこの場を去ろうとするが、何故かサディアスはレティシアの手をそっと優しく握った。


「あっ、あの!?サディアス様!?」


「レティシア・アルストラ、か。アルストラ伯爵家の令嬢とあらば、父も許してくれるだろうか」


「えっと……?」


なぜだかものすごく嫌な予感がした。

そしてその予感は見事に的中する。


「婚約、するか。わざわざこのタイミングであんなことを言ったのはそういうつもりもあったのだろう?」


「あれ……?」


「ああ、君の思いはしっかり伝わっているから安心してくれ。目が覚めたようだよ、いつまでも落ち込んではいられない。俺も俺のするべきことをしなければ」


(するべきことって、まさか新しい婚約者探し?嘘でしょう、そんなまさか)


「レティシア嬢。俺と婚約してくれるだろうか」


まさかまさかで、そうだった。

確かに、正式に婚約解消の手続きがなされればサディアスがすべきことは次なる婚約者を探すことだ。

だが、だからといってちょうど良いとばかりにそう言われてもレティシアには応えることが出来ない。


「困ります!」


「……は」


断られるとは思っていなかったであろうサディアスが、唖然としている。


「婚約だなんてそんな!恐れ多すぎますよ!」


「君は、俺のことが好きなんじゃなかったのか」


「好きですけど!婚約したわけじゃないんです!こう、影からこっそり見守らせてもらえればそれで!十分!」


だんだんと本音が溢れ出してきた。

レティシアは、サディアスのことは何よりも好きで愛しているが、彼に愛されたいという思いは無いのだ。


「ぶっちゃけこんな地味眼鏡女の私はサディアス様に相応しくありません!サディアス様のお隣には、サディアス様のような美しくて凛々しい人が立つべきなのです!そう、メルゼシア様よりももっと相応しい人が!」


「その相応しい人が君ではないかと言っているのだか」


「私は影からサディアス様を見ていたいんです!隣に立つのは解釈違いです!」


「本当に君は変わった人だな……」


やれやれ、とサディアスが苦笑する。


「まあ、今日のところは仕方ないだろう。この件について、今一度考えてくれるとありがたい」


どうやら諦めてくれるつもりは無いらしい。

レティシアはもう、怒涛の展開に頭がこんがらがりそうだった。





「はあぁ〜……どうしてこんなことに……」


学園の廊下を歩き、朝から盛大なため息を吐く。

薬学科の教師に頼まれてノートを提出しに行った帰り、レティシアはまるで落ち着かなかった。

あれから寮に戻って、翌日からはいつもと同じ日常を送っていると先の一件が夢であったかのような気分だ。


(私、サディアス様に……)


まるで絵画のような麗しいあの人の顔を間近で見ることが出来ただけでも十分なのに、話を聞いてもらって、そして何故か求婚されて。


「夢かな。夢だよね……」


もはや都合のいい幻想のように思えてきた。

サディアスとはクラスも離れていて、共通の知人がいるわけでもないので図書館外での接点はほとんどない。

もしも今日、サディアスから何も言われなければ幻想だと思い込んで片付けてしまいそうだ。


ふと、立ち止まって窓ガラスに映った自分の顔を見る。

地味で野暮ったいメガネに、どこにでもいるような金髪。

こんな自分があんな美しい人に好かれるなんて、ありえない。

我ながら笑ってしまいそうだと、レティシアは静かに視線を逸らした。


「ダメね、サディアス様のことばかり気になってしまうわ。教室に戻ってユリアたちとお喋りでもして気を紛らわしましょう」


頭の中の9割を占領しているサディアスをかき消すために、友人たちを必死に思い浮かべる。

階段を登って、教室へ無心で足を進めているとどこからかザワザワとした声が聞こえてきた。


「……何かあったのかしら?」


レティシアは足を止めて、声の元を探った。

下の階、恐らく講堂の方から何やらざわめきのような声が響いてくる。

ちょっとした興味本位から、レティシアの足は自然と階段を下っていく。

講堂へ向かおうとすると予想通り既にそこには何人もの生徒が集まっている。

一体これはなんだと、生徒たちのざわめきに耳をすましてみると、レティシアはとても嫌な予感がした。


「メルゼシア様が可哀想だわ」


「スタンリー様って本当に素敵よね。メルゼシア様のことを宣言通り守ってくれるなんて。私もあんな人と恋をしてみたいわ」


メルゼシア、スタンリー。

聞き逃せない二人の人物名が、生徒たちの間で頻繁に登場する。


(まさかサディアス様とメルゼシア様に何かあったのでは……!?)


一生懸命背伸びをしながら、人の波を掻き分けて前方に目をこらす。


「これ以上メルゼシアに近づくのはやめてもらおうか。もう君は彼女の婚約者ではないのだから」


レティシアが見たのは、そう言ってサディアスからメルゼシアを守るかのように振る舞うスタンリーの姿だった。


(あっ、あれはサディアス様と……メルゼシア様方!?)


一体何が起きていたのか、先日のパーティと同じように修羅場と化している。

生徒たちは彼らがどうなるのか野次馬として見に来ていたというわけだ。


「貴様、ふざけるのも大概にしておけ」


サディアスは持ち前の鋭い眼光でスタンリーを威圧する。

本来ならスタンリーはあのような口を聞いていい立場のものでは無いはず。

昨日の今日でサディアスはかなり苛ついている様子だ。

だがさらにそこへメルゼシアが加勢に入る。


「大体あなたはいつもそうよね。そうやって偉そうな態度で威張ってばかりだわ。わたくしに愛されなかったからって、スタンリーに嫉妬しないでちょうだい!」


「嫉妬など誰がするか!お前の身勝手な行動で、一体どれだけの人間に迷惑がかかると思っている!」


らしくもなく激昂するサディアスを前にして、メルゼシアは追い打ちをかけるように、余裕の表情でくすりと笑った。


「可哀想に。あなたがそんな人だから、誰からも愛されないのよ。あなたの母君からも、父君からも」


その瞬間、サディアスの動きが止まった。

その様子は、痛いところを突かれた、というのが明白だった。

ブラックリー公爵家が家族仲が悪いというのは聞いたことがないが、今のサディアスを見る限りきっと彼ら家族の間には何かあるのだろう。


しかし、レティシアにはそれを気にしている余裕はなかった。

何よりも大切なサディアスが、メルゼシアの心無い言葉で傷ついているのだ。


地味に無難に目立たず。

そうやって生きてきたレティシアだが、今回ばかりは堪えきれなかった。


「……っ!」


生徒たちの間を掻き分けて、何とか前へと進む。

髪は揉みくちゃにされて乱れてしまったし、メガネは誰かの服に引っかかってどこかへ行ってしまった。

きっと今の自分は、とんでもなく酷い格好をしている。

それがわかっていても、レティシアはもう止まらない。


「それは違います!」


レティシアの声が、講堂中に響く。

一堂の視線が、一斉にレティシアに向けられた。


「君は……!」


「誰よ、この人」


突然現れたレティシアに、サディアスは顔を明るくし、反対にメルゼシアは思いきり顔をしかめる。

同級生とはいえ、いつものメガネも無い上に目立たないレティシアでは、学園の華のような彼女には認識すらされていないのだろう。


「どなたか存じ上げませんけれど、口を挟まないで頂けます?」


割り込んできたレティシアに明らかに嫌がっている様子だ。

美人の怒った顔は恐ろしいものだが、メガネが飛んでいって裸眼なので、あまりよく見えなかっただけマシだろうと自分を奮い立たせる。


「サディアス様のことを誰も愛さないなんて、そんなことありえません!なぜなら私は、サディアス様のことが世界で一番大好きだからです!」


「……っ!?」


周囲が一気にざわめく。

メルゼシアの言葉は、サディアスのことが好きで好きでたまらないレティシアにとっては聞き捨てならないものだ。

サディアスの過去も、メルゼシアとのこともレティシアは何も知らない。

けれど、サディアスが大図書館で見せる素顔なら誰よりも知っている。

大勢の前で自分が公開告白をしているというのにも構わず、レティシアはありったけの思いを叫ぶ。


「サディアス様のことは、私が幸せにしてさしあげます!ですから……っ、ですから私の大切な人を傷つけないでください!」


レティシアのその言葉で周囲がさらにざわめく。

メルゼシアもスタンリーも、闖入者の突然の告白に唖然とするばかり。

そんな彼らをよそに、サディアスが一人、小さく笑った。


「妖精、というよりも勇者と言ったほうが正しかったか」


先程までの恐ろしい形相とは打って変わって、穏やかな声。


「レティシア。やっぱり君は本当に、不思議な人だ」


サディアスは、そっと優しく微笑んだ。

その表情はどんな名画にも勝るような美しさで、レティシアはそれが見れただけで満足だった。


「サディアス様。私、サディアス様と婚約します」


「……ああ。生涯をかけて、君を愛すると約束しよう」


レティシアはサディアスの手を取り、微笑む。

認知がどうだの解釈違いがどうだの、昨日は散々喚いたが、やっぱり彼の手を離したくないと思ってしまったのだ。

この人を、一生かけて幸せにしたい、と。


「はぁっ!?あなた何言ってるのよ!」


途端に落ち着いた空気を切り裂くように、金切り声で叫んだのはメルゼシアだった。


「そんな男のどこが良いわけ!?権力が欲しいって言ったって、わたくしに婚約破棄されたサディアスにはなんの価値も無くなるのよ!?」


ところが、隣にいたスタンリーがそれを諌めた。


「そう怒らなくてもいいじゃないか、メルゼシア。ようやく彼も愛の重要性に気づいたんだろう。ま、今更メルゼシアのことは渡さないけれどね」


挑戦的な笑みでサディアスのことを見下そうとするスタンリー。

どうやら、メルゼシアのことを落ち着かせるためではなく、更にサディアスに攻撃を仕掛けるためだったらしい。


「お前たちはつくづく呆れるな……」


「いつまでその余裕が続くかしら。どうせ、その女もわたくしに対抗するために雇ったんでしょ。あなたのやりそうなことぐらい想像がつくわ」


メルゼシアの言葉に、サディアスがわずかに苛立つ。

周囲から、雇われたのかという疑いの視線がレティシアに向けられだした、その時だった。


「お嬢様!大変でございます!公爵様より、至急帰宅せよとのご命令が!」


人々の間を割り込んで入ってきたのは、メルゼシアのメイドだった。

血相を変えて、何かとんでもないことが起きたかのように焦っている。


「ちょっと、何よこんな時に。お父様がわたくしをいきなり呼びつけるなんて……」


「公爵様が、お嬢様を修道院に入れると仰っているんです」


「……え」


メイドの言葉に、メルゼシアは絶句する。

修道院送りだなんて、まさかそんな。

周りもざわつき、どういうことだと顔を見合わせている。


「サ、サディアス!あなた、なにかお父様に吹き込んだのね!」


どうやらメルゼシアはこの命令をサディアスの手によるものだと思ったようだ。

怒りの矛先をサディアスに向けている。


「なんだと、許さないぞ!メルゼシアを傷つけるばかりか、修道院に入れるだなんて、よくそのような恐ろしいことができるな!」


「お父様がそんな決定するわけないわ!わたくしを侮辱するのもいい加減に……」


そこで、メルゼシアの声が止まった。

慌てたように、教室からさあっと生徒たちが引いていく。


「───────ほお、お前たちは私の命令をそう思うのかね」


「お、お父様!」


静寂の中、ゆっくりと姿を現したのはメルゼシアの父、ヴィレント公爵だった。

思わずサディアスもレティシアも膝をつこうとするが、それは公爵に制された。

一体どうして公爵がここに、とレティシアは不安な面持ちになる。


「素直に帰ってこないだろうと思ってわざわざ来てみたが……どうやら、私の娘は余程家門に泥を塗るのが好きらしいな」


「お、お父様……?」


「今までのお前の浅はかで愚かな行動は、全て私の耳に入っている。それでも今日までお前を罰しなかったのは、サディアスがお前の更生を信じてやって欲しいと言ってくれていたからだ」


メルゼシアが驚いたようにサディアスを見る。

サディアスが彼女を庇ってくれていたことなんて、微塵も知らなかったという顔だ。


「しかし、お前はサディアスの気持ちすら踏みにじり、そこの愚か者と結婚しようと言い出すとはな……」


「ひっ、ひいっ!?」


公爵が鋭い眼光でスタンリーを睨みつけた。

途端に、彼はがくがくと震えて腰が抜けたように床に座り込んでしまう。


「え?ス、スタンリー……?」


彼女のことは僕が守る、と威勢よく言っていたのに、公爵のひと睨みで半泣きになっている。

思わずメルゼシアも、己の目を疑うようにスタンリーの情けない様子に唖然としていた。


「メルゼシア。修道院で少し頭を冷やしてくるといい。どうせなら、そこで震えている運命の人とやらも連れていったらどうだ」


サディアスの言葉に、メルゼシアがかあっと頬を紅潮させる。

ようやく、自分が犯した間違いに気づいたようだった。

今まで本当にメルゼシアを守っていたのは、誰だったのかを。


「どうして、どうしてこんなことに……!」


唇を噛んで、ぶつけようのない怒りを堪えている。

その顔はとても公爵令嬢がしていいようなものではなかった。


「サディアス、長い間君には迷惑をかけたな。すまなかった。メルゼシアがこのように育ってしまったのは、ひとえに我々の責任である。我々がもっとこの子に関心を持って、この子の寂しさを分かってやれば、こんなことにはならなかっただろう……本当にすまなかった」


公爵はサディアスに向き直ると、頭を下げて何度もすまないと繰り返す。

その様子は、名門公爵家の主というよりも、娘の不始末を心から悔やむ親の顔をしていた。


「公爵、もう良いのです。全て終わったことですから。それに、俺は本当に大切な人と出会えたので」


「ああ、先程のお嬢さんの勇敢な様子は私もこっそり見ていたよ。君が良い人と巡り会えたみたいで本当に良かった。ブラックリー公爵には、後日改めて謝罪させてもらうよ」


まさか公爵にばっちり見られていたなんて。

レティシアは恥ずかしさを抱えつつ、公爵に頭を下げる。


そうして、婚約破棄騒動は、誰も予想だにしなかった結末で終わりを迎えることとなった。






婚約者が浮気をしていたと思ったら、いつの間にか悪役令息と不名誉な渾名が付いていた。


「常に何事も完璧に。欠点など許されない」


サディアスは厳しい両親にそう言われて、一切甘やかされることなく育ってきた。

そのおかげで、サディアスは人生の何事においても完璧にそつなくこなす人間であった……否、そうあらなければならなかったが、彼の人生においてこの出来事だけが唯一の欠点であろう。

しかし、小さな奇跡か起これば、その欠点も美点に変わったりする。


放課後の大図書館。

最上階で夕陽に照らされる人影は、二つ。


「両親へはすぐに連絡を送っておいた。というか、既にアルストラ家に婚約の申し出をしている」


「え!?さすがサディアス様、もとより私に断らせるつもりはなかったと……」


たしかに、二度も婚約者に逃げられるなどあってはならないのでサディアスならやりそうなことでもある。


先日の騒動のおかげで、傷心の悪役令息を射止めたあの金髪の令嬢は誰なんだ!?と生徒たちの間では話題になっていた。

ずっと公爵令息に片思いしていて、ようやく巡ってきたチャンスをものにしたのか。

それとも、公爵家の権力に目が眩んだ悪女がサディアスを籠絡したのか。

少なくともあの場にいた人々にとっては、真実の愛で結ばれた二人、としか見えなかったのだろうが。

ともかく、眼鏡をしていなかったおかげで、未だにレティシアの正体がバレていないのは一安心だった。


「メルゼシアは数ヶ月程修道院で預かってもらうことになったらしい。時期が来たら呼び戻すと言っていたが、一体いつになるのか分からないな。スタンリーとの婚約ももちろん消えて、ジェロイド男爵家の商会は大変なことになっているそうだ」


「まあ、そうですよね……。サディアス様にずいぶんな態度でしたし……」


恋は盲目という言葉があるが、あの時の彼らはあまりに何も見えていなかった。

幸いにも彼らはまだ若い。

過ちに気づいた今、しっかり自分の行いを反省してやり直すことはできるだろう。


「とにかく、色々ありましたけど丸く収まって良かったです。あ、丸いかどうかは分かりませんが……」


今の言葉はメルゼシアが聞いたら憤怒しそうだろう。

誤魔化すようにえへへと笑う。


しばらくそうして、誰もいない図書館で二人でたわいもない会話を繰り返していると、おもむろにサディアスがレティシアの頬に手を伸ばした。


「レティシア、好きだ」


その熱を持った視線に、レティシアは緊張で言葉が上手く出てこない。


「なっ、何をおっしゃっているんですか!?気をつかって頂かなくても結構ですよ!?」


「気遣いなんかなわけがあるか。好意を寄せられて、優しくされて、自分が一番困ってる時に助けて貰って。そこまでされて好きにならないわけが無いだろう。癪に障るが、連中の言うように恋や愛にも価値があるのだろう。……しかしまさか、この俺が恋をするとはな」


サディアスは優しく微笑んだ。


「俺にあんな言葉を言ってくれたのは、レティシアだけだ。感謝している」


「……っ!」


そっと唇に柔らかいものが触れる。

サディアスに口づけをされたのだ。

頬に手を添えられた時点で分かっていたが、いざ本当にされると心臓が破裂しそうなくらいなどきどきした。


「君のことを、絶対に幸せにする」


「サディアス様……」


サディアスの真っ直ぐな眼差しを、レティシアは逸らさずに見つめ返した。

こういう時、どうやって言葉を返せばいいのだろう。

言いたいことが頭の中でたくさんあって、上手くまとまらない。

それでも、レティシアは意を決して口を開いた。


あなたが辛い時は、私が傍で支えます。

あなたが落ち込んだ時は、私が励まします。

あなたが幸せな時は、私が隣で笑います。

だから───────。


「私だって、サディアス様を幸せにしてさしあげますから!」


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