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廻異―終わりの近い町―  作者: 生吹
ありふれた田舎町
5/33

つかの間の休息、そして……

 平日の昼間と言うだけあり、施設内は閑散としていたが、しっかり手指消毒をして中に入る。高度経済成長期に建てられたレトロな館内は独特なにおいがして、昼間にもかかわらず薄暗かった。少し色褪せた青い絨毯とクリーム色のカーテンに、ほこり被った巨大なシャンデリア。この時代を知らないはずなのに、どこか懐かしさを感じる。


「なんか、お客さん全然いないね」


 陽葵が小さな声で言う。


「ちょうどいいよ。風呂場じゃマスクできないし」

「あのかわいいシャンデリアは点かないのかな。一昨年くらいまでは点いてたと思ったんだけど」

「たぶん、節電してるんだろうね。なんか、色んな所が急激に廃れ始めてんだよね。台風が来るちょっと前くらいからさ」


 5月の台風の時に貼ったのか、窓には緑色のガムテープが貼られたままになっており、天井には雨漏りの跡が残っていた。

 薄暗い廊下を進み、あずき色の暖簾をくぐる。脱衣所には二人の老人がいて、1人は深刻な面持ちで体重計を睨み、もう一人はマッサージチェアに揺られてウトウトしていた。自分たちも将来はあんな感じになるのかもしれないと思いながら服を脱ぐ。

 かけ湯をして、もくもくとけむりの立ち上るお湯に浸かる。まるでコーヒーのような真っ茶色なお湯だ。


「ここの温泉、ぼろいけど温度がちょうどいいんだよね。人がいっぱい来るような所って、回転率を上げるために温度を上げて、長湯できないようにしてあったりするから」


 陽葵が肩までお湯につかりながら言う。なんだか、また前より瘦せてしまったような気がする。元々華奢な体型ではあったが、今のようにあばら骨も背骨もくっきりと浮き出るほどではなかった。彼女は自分で気付いているだろうか。


「で、何があったの?」


 そんな私の思考を遮るように、陽葵は言った。


「ええと、何が?」

「朝、なんか落ち込んでたじゃん。後で話すって言ってたやつだよ」


 正直、本当に話すつもりはなかった。一度はぐらかせば忘れてしまうと思った。しかし、陽葵はちゃんと私の言ったことを覚えていた。


「いや、まじでしょうもない話なんだけどさ……」


 私は今朝届いたメッセージのこと。そして奇妙な夢を見たことについて、風呂だけに洗いざらい話した。


「夢はまあストレスが原因だとして、その友達は何がきっかけで縁を切るなんてことになったの?」


 陽葵が眉間に深いしわを寄せて言う。


「同じようなことやってる投稿者の友達だったんだけど、たぶん私の悪い噂を聞いたか、私の炎上に巻き込まれることを避けたかったか、その両方か。たぶん、両方だね」

「あれ、噂って言うよりは、さも事実であるように言いふらしてる人いるよね。普通にデマも混ざってるのに。訴えたら勝てるんじゃない?」

「余計疲れそうだし、いいよ。それでアイツらが反省するわけでもないし、昔から私の素行が悪かったのは事実だしね。あの時のツケが回ってきたと思えば……」

「でも辛いんでしょ? 頭の中であいつらの声がするって、前から言ってたし。だからうるさい都会からこっちに帰ってきたんじゃん」


 陽葵の声に熱がこもる。本気で気にかけてくれているのだろう。だが彼女の精神的な負担になるようなことを話すのは気が引けた。


「所詮、顔も名前も知らない凡人共だよ。幸い何て言ってるのかまでは聞き取れないし、病院の検査でも異常はなかった。だから大丈夫」


 私はお湯の中を泳ぐようにして窓際に近づいた。大きな窓の向こうには、真っ青な太平洋がどこまでも広がっている。豆粒のようなタンカーと無人島以外は何も見当たらず、ただただ静かな時間が流れている。私たちはこの窓から見える景色が大好きだった。ここにいる間だけは、自分のちっぽけさを体感できたのだ。


 温泉から上がり、魚ばかりの会席料理を食べるとまた車に乗り込んだ。元来た道を引き返し、次の目的地へと車を走らせる。SNSで話題の綺麗な桟橋へ行く予定だったのだが、その途中でふと陽葵が別の場所へ行きたいと言い出した。


「ねえ、福露の杜って行ったことある? 私ちょっとどんな感じか見てみたいんだよね」

「はああ!?」


 私がやかましく叫ぶのは仕方のないことだった。福露の杜は言わずと知れた禁足地であり、「ガチで化け物が出る」ことで地元民の間では有名な心霊スポットということになっている。陽葵は昔から結構なホラー好きだ。そして、私は結構な怖がりだ。


「そこ心霊スポットだよね? 行ったことあるわけないじゃん! せいぜい近くの神谷川までだよ」

「お願い。私近場に住んでるのにまだ一度も行ったことないの。まだ日も高いし、あそこ田んぼの真ん中にあるからそんなに怖くないはずだよ」

「大丈夫? なんか、呪われたり取り憑かれたりしない?」

「柵を乗り越えて中に入りでもしない限り大丈夫だよ」


 私は数秒間悩んだ末、やっとの思いで「それなら行ってもいいかな」という言葉を絞り出した。


 福露の杜は、住宅街から少し離れたのどかな田園地帯にぽつりと佇む小山である。おそらくは鎮守の森の類なのだろう。まるで何かを隠すかのようにびっしりと木に覆われ、昼間に中を覗いても、真っ暗な闇が木々の隙間から覗くばかりで、何も見えないと言われている。

 この古墳のようなちっぽけな山が何のためにここに存在するのか、詳しいことはよく知らない。土着の神を祭っているとか、中に祠があるとか、過去にこの山を崩そうとした人間が不審な死を遂げたとか、殺人鬼が住み着いているとか、そんなありふれた噂話程度の知識しか私は持ち合わせていなかった。

 しかしそれと同時に、何か特異な気配を感じていた。もちろん、悪い意味でだ。福露の杜が近付くにつれ、その奇妙な気配はどんどん膨れ上がっていった。

 

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