【最終話】 終わりゆく町
「どういうこと? まさかお前ら、なんの権利があって……」
後ろにいた誰かが、ゲホゲホと痰の絡んだ汚い咳をした。
「大昔から存在する『現象』よ。瑠依さんの気持ちだってもちろん理解できるのだけど。犠牲になった彼らだって、一応は命ある人間だったのだし。それでもね、この町の人々の暮らしと彼らをどうしても天秤に掛けなきゃならない時だってあるわけ。そしてね、もっと真面目に生きる努力をしなかった、もしくは皆のために覚悟を決められなかった彼らにだって、それなりに責任はあるの」
「努力? 覚悟? 仮にその『彼ら』が努力してぶっ殺されるのを回避できたとしても、どうせ別の誰かが犠牲になるんだろ。順位が入れ替わるだけで」
「それでも、確実に何かが良くなったはずよ。少なくとも、この町ではね」
何だか会話が噛み合っていないような気もしたが、私は構わず続けることにした。
「まじで信じてんの? これで何とかなるって。みんなが幸せになる方法なんてないのに。考えがあまりに前時代的というか、浅はかすぎるとは思わないの?」
私の言葉に女は小首をかしげ、うーんと声を漏らして悩むようなそぶりを見せたが、その様子は酷く落ち着いて見えた。まるで、どうしてこの子は理解できないのだろうと純粋に疑問を抱えているかのように。
「だって、前にも成功しているもの」
抑揚のない女の声は、私の心臓を強張らせるには十分だった。同時に、陸が大学図書館で見つけた新聞記事のことを思い出した。
「私の祖父の代にね。そして、再び冬夜祭を怠ってしまった今、この町はこれまでにないくらいまずい状態にある。どこもかしこもボロボロよ。私だってね、最初は信じていなかった。でも、フクロは実在して、すごく怒っているの。ここのところ、毎晩のように夢の中に現れるし、そのせいか去年の冬には私の夫も他界して……」
うまく言えないが、何か解釈がずれている気がする。おそらく、フクロとはそういうヤツではない。少なくとも私はそう思うのだが……
「町がまずい状況にあるのはあんたらのせいだろ。災害が起きるのだってただの異常気象だし」
「瑠衣、しょうがないんだよ。私はもう……」
陽葵の弱々しい声が微かに聞こえた。
「しょうがなくなんかない。他の人たちだってそうだよ。町のためだったとしても、1人も殺されるべきじゃなかった」
「でも瑠衣さん。それは理想でしかない。もっと感情抜きで、冷静に考えてちょうだい」
私が陽葵に話しているにもかかわらず、女が横から口を挟んできた。
「はっきり言うとね、老人は老い先短いし、病人はどの道生きられなかった。浮浪者やゴミ屋敷の住人については、冷たいようだけど自己責任であることは否めない。この人たちのおかげで大勢の人たちが救われるなら、どう考えてもその方が良いでしょう。皆そうよ。こういう人間を心の奥底では邪魔だと思っている。いない方が世のためだと。これが現実よ。――まあ、学芸員の彼女には、とても申し訳ないことをしてしまったと思っているけど。あの人はこちら側には付いてくれなかったから」
暫くの間、沈黙が続いた。言葉が見つからない。冬谷さんのことを思うと頭がどうにかなりそうだった。
「……じゃあ、陽葵は?」
私はなんとか声を絞り出した。
「どうして陽葵は死ななきゃならないんだよ? 家族が黙ってないだろ」
殴り倒したい気持ちを抑えながら問うと、女はとんでもないことを口にした。
「陽葵さんは、ご両親からの提案があったの。彼女は期待に応えられなかったばかりか、今はもう将来性も失ってしまった。本当に残念。本人も、もう生きていたくないと言っているし。最後くらい、町の役に立たせてあげたい」
心底ゾッとした。私が陽葵の方に目を向けると、彼女はサッと私から目を逸らしてしまった。なんてわかりやすいヤツだろう。
「何一つ解せない。脳みそ凝り固まったお前らと違って、陽葵はここ数年の内にいろんなことを感じて、変化してきた。立派に経験積んでんだよ。1度心が折れたからなんなんだよ。親の期待通りに生きなかったからなんなんだよ」
陽葵の手が、弱々しく私の上着の裾を掴んでいる。女は更に淡々と続けた。
「あのね。残念だけど、メンタルの不調なんて、人生で最も必要のない経験なの。崩れる前に何かしらの対策を取るべきだったのだから、むしろ大きな過ちと言える。狭い視野しか持てず、恵まれた環境に甘えて立ち直るタイミングを逃し続けたから、こうなってしまったわけね。ご両親の期待を背負うというのも、結局は彼女が自分で選んだ人生なのだし、もういい大人なのだから、その責任くらいは負わなきゃいけない。彼女自身も、それを納得してる」
「出たよ。それが、『自称過ちを犯さなかった健康的な人間』の、厳しくも至極まっとうなお言葉ですか。その歳なら色々経験してきただろうに、愛情の欠片もないな。私はそんな風には思わない」
「『思わない』じゃなくて、『思いたくない』でしょう? お友達を否定しなければいけなくなるから。あなたは大人げない問題児ではあるけど、親しい友人にはとてもやさしい。ずっと気にかけてきたんでしょう。自分も大変だったのに。でも、もう手放すべきよ。いつまでも気を使う必要なんてない」
「あんま調子こいてると張っ倒すぞ鬼ババア。結局何もかも自分たちを正当化するために作りあげた薄情な思考じゃねえか。視野が狭いのはどっちだ。あんたみたいなちっせぇ人間が権力を持つから、不幸になる人間が増える。それだけなんだよ。もういい。帰る」
私がそう言って陽葵を連れ出そうとすると、突如女の声色が鋭くなった。
「そういえば、あなたと貢川くんをこの一連の事件の容疑者として公表することもできるってこと、気付いてないわけじゃないでしょう? 話題になれば、少しはこの町の観光客も増えるかしら」
「は?」
「父を捧げた後、事件が明るみに出てしまった時のために、犯人役を設ける必要があるという話が出てね」
私は我が耳を疑った。陸と私が何になるって?
少しの間考えて、ハッとした。
「あの小説を証拠に出そうと? ばかばかしい。中学生みたいな発想!」
精一杯虚勢を張ったつもりだったが、私の声は盛大に上ずった。裏返った死ぬほど間抜けな声が場内に響き渡る。
「そもそもあの小説は途中で突然消えちゃったんだよ。全部のデータが、何の前触れもなくさ」
「ふうん。じゃあやっぱり、本人が消したわけではないのね」
女の視線が後ろに並ぶ6人に向けられたが、誰一人として反応する者はいなかった。
「あの小説ならバックアップくらい取ってある。仮に取っていなかったとしても、証拠になるものはたくさんあるでしょう? 彗星蘭では随分と大きな声で喋っていたわね。本当に、本当に迷惑だった。私は静かにコーヒーを飲むのが好きなのに。あなたの携帯やパソコンにも証拠になりそうなものは入っているでしょうし、お友達へのやさしさを帳消しにするほどの素行の悪さ、歪んだ家庭環境、ネット上でのくだらないトラブルに通院歴、それに――」
「おい、黙れよクソッタレ!」
思わずとんでもない暴言を、これまでにないほどの大声で叫んでしまった。あまりに大きな声だった為、隣にいた陽葵や他の覆面たちもびっくりしたのだろう。全員の肩が同時に跳ね上がるのがわかった。緊迫した空気の中で起きた間抜けな出来事に、私は思わず吹き出しそうになった。そのせいか気持ちにも余裕が出て、自然と態度も大きくなってしまった。
「あんたらの悪事を証言してやる。他の奴らはともかく、あんたが誰なのかはもうバレバレなんだよ」
しかし、女は全くと言って良いほど怯む様子はない。むしろ、心の底から呆れているように見えた。
「悪事? 証言? 誰に? あなたに私の正体がバレたとして、それの何が問題なの? 誰があなたの言うことを信じるの? あなたの言葉には何の力もないこと、わかっているでしょう?」
正直、否定はできない。確かにそうかもしれない。今の私に社会的信用なんてあってないようなものだろう。
「なあ、要は君が普段通りの生活を送りさえすればいいんだ。そうすれば我々は何もしない」
女の後ろに立っていた男が、穏やかな声で言った。どこかで聞いたことのある声のように思えたが、誰なのかまではわからない。わかりたくもない。
男は話を続けた。
「仮にこのことを警察に通報したとしても、君の言うことを信じる人はいないよ。そういうことにしてもらった。ちょっと前からね。君はここにいる人たちについてよく知らないだろうけど、君のことはここにいる全員がよーく知っている。顔も、名前も、住所も、家族構成も、もちろん過去の行いについてもみーんな。君みたいな人間は特にわかりやすいからね」
「……お前、誰なんだよ。取れよその布」
「それはできない。知ってしまえば、君はますます生きづらくなってしまう。毎年のように嫌なことを思い出したくはないだろう」
「毎年? 何それ。私の知ってる人間ってこと? 毎年顔見てるってこと?」
「言葉を交わしたのは、ずっとずっと昔の事だけどね」
酷い寒気がした。男が誰であるのか、考えたくもなかったが、彼が普段どのような立場にいる人間なのかは、なんとなく察しが付く。もしかしたら私のよく知る人間で、町で何度もすれ違っている可能性だってあるのだ。そして何よりも気味が悪いのは、ここにいる全員が私の名前から個人的な情報に至るまで、詳細に把握しているということだ。
「もうそれくらいにしてくれませんか」
今度は背の高い男が口を開いた。厚みのある低い声だ。若くはなさそうだが、前の男よりはいくらか声に張りがあった。
「もういいでしょう。我々はもう十分に根回しをしてきた。こんなろくでなし1人に対して気を揉みすぎなんです。面倒になれば、こちらで対処できますから」
男は後ろに腕を組み、憎たらしいほどきっちりと姿勢を正していた。
「おい、お前の声も聞き覚えがあるぞ。誰なのかわかってんだからな、クズが」
私は全身から振り絞るようにして声をあげた。実際、彼が誰であるのかはよくわからなかったが、鎌を掛けるつもりで投げた言葉だった。
「だから、わかったって意味ないって言ってるのに。まったく、頭の悪い……親に似たのかしら」
すかさず女が呆れたようにため息をつく。その様子があまりに忌々しく、私の中で何かがプツンと音を立てて弾けた。
「瑠衣! 何するのやめて!」
背後で陽葵が叫んだが、そんなことはどうでも良かった。
「今どんなツラしてんのか見せろババア」
私は女の元に突進し、右手で胸倉を掴むと、左手で覆面をはぎ取ろうとした。それと同時だっただろうか。覆面のうちの1人に首根っこを掴まれ、一瞬体が宙に浮いたかと思うと、そのまま固い床に叩きつけられてしまった。おそらく頭を打ったのだと思う。痛い、というよりは、全身がじーんと痺れるような、嫌な感じがした。
目の前が霞み、周囲の音が遠ざかっていく中で、私ははじめてはっきりとあの声を聞いた。ストレスを感じる度に頭の中に響いていた。てっきり誹謗中傷によるストレスの副産物だと思っていた。もやもやと広がる、大勢の声。
長い反響の末、声は1つにまとまった。それは、か細い女の声だった。
――何をしても、永延に救われ続けることなんてできないのに。
直後に照明が割れ、背の高い男が断末魔のような悲鳴をあげた。暗闇の中で、バリバリと何かが砕ける音がする。終わりが来たのだと、直感的に理解した。
「陽葵……」
混乱のさ中、誰かが電気のスイッチを入れた。それと同時に、どこかからにゅっと細長い灰色の腕が伸び、その場にいた人間を思い切り払いのけた。何人かは化け物の腕が顔や首に直撃し、床に弾き飛ばされて動かなくなった。ほんの一瞬の出来事だったが、私は彼らの被った白い布が、真っ赤に染まるのを見た。
「陽葵、見ちゃ駄目!」
すでに手遅れな気もしたが、私は椅子に座ったまま呆然と固まっている陽葵に駆け寄り、椅子ごと床に引き倒した。どうにかなってしまいそうな程の恐怖を押し殺し、全てを誤魔化すように叫んだ。
「何なんだよ! こんなクソみたいな町、どうにでもなれ! 全員くたばればいいんだ!」
照明が激しく点滅し、耳障りな騒音が部屋中に響き渡る。私も陽葵も、恐怖のあまり耳を塞いで震えていた。だが、いったい何を思ったのか、私は途中で両手の力を緩め、雑音に紛れた誰かの声を聞いてしまった。
「すまない。陸」
それからどれくらい経ったのだろうか。私は気を失っていたらしく、ハッと目を覚ました時にはもう覆面も化け物の姿もなかった。その代わりに、暗闇の中にぽつんと陸が立っていた。さっきまでの惨状が嘘のように辺りは静まり返り、微かな雨音だけが響いている。なんとも奇妙な光景だった。
「僕が来た途端、みんないなくなったんだけど」
いったい、何をどこまで知っているのか。陸は何の感情も読み取れない声色でそう言い、ゆっくりと出口に向かって歩き出した。私は、隣でまだ気を失ったままの陽葵の頬を数回ビンタし、何とか叩き起こすと、引きずるようにして陸の後を追いかけた。
モールの外に出ると、そこにはありふれた日常の続きがあった。そこら中にできた水たまりを避けながら、駅へ向かう人。停留所でバスを待つ人。散歩中の老人。餌を啄むハトの群れ。いつの間にか日付は変わっていたらしい。駅前の時計の針は9時40分を指している。ついさっき、この日常の足元でとんでもないことが起こったのが嘘のようだ。何もかもが現実味に欠け、全てがたちの悪い夢だったように思えた。
「陸。おまえいつ来たの? 何をどこまで知ってんの?」
私は陽葵を支えながら、前を歩く陸の背中に向かって投げかけた。しかし、彼は答えなかった。少なくとも、こちらの質問には。
「誰だったと思う? あの7人」
一番答えたくない質問を突き付ける陸を前に、私は何も言えなくなった。
「親父、今回ばかりは帰って来ないかも」
「やめろ。か、考えるなそんなこと」
私が言えたのはそんな台詞くらいだった。私だって考えたくなかったのだ。あの場にいた7人が誰であったかなど。もちろん、私の知らない人間だっていたことだろう。だが、確実に誰なのかわかってしまう人間もいたわけで……
「どうして私達だけ助かったの? 私の幻覚じゃないよね? あの化け物はいったい……」
陽葵が私と陸を交互に見ながら尋ねる。その表情は心底不安そうだったが、普段よりいくらか顔色が明るいような気もした。
「帰ろう。家に帰れば、なんとかなる気がする」
陸はただ一言そう言って、ハトの群れを突っ切りながら駅の方へ歩みを進めた。
「瑠衣。私もう家には帰れないよ」
「わかってる。陽葵はうちに来て」
私は陽葵の肩を抱き、駅へ向かう陸に背を向け、帰路に就いた。分厚い雲に覆われた真っ白な空に、陸が散らしたハトの群れが飛んでいた。
「これから先、本当にあんたは自由なんだよ。なんでもしたいようにできる」
歩きながら、この言葉が真実になることを祈った。私たちは、陸は、これからどうなるのだろう。この町はどうなるのだろう。すべてがぼやけていた。
「大丈夫。なんとかしよう。今までだってなんとかしてきたんだから」
私たちはお互いに頷き合い、歩みを進め続けた。ただ、帰る為に。
本編はこれにて完結となります。
次回、まだちょっとだけ番外編が続きます。




