祠
「もう、なんでおまえとこんなところに来なきゃならねえんだよ!」
午前2時30分。福露の杜に到着してしまった。民家どころか街灯の明かりすらほとんど見当たらない夜の田園は、昼間よりずっとずっと広く感じる。私の発した情けない声は、夜の闇の中へ吸い込まれて消えていくようだった。
「強制はしてないし、怖かったら待っててもいいんだけど」
気持ちが悪いほど冷静な陸が言った。
「べつに、言うほど怖くねえよ。これからも何か無謀な事をする時は、必ず私を呼ぶように。私が気になってるのはさ、その行為にいったい何の意味があるのかってこと」
何か確証があるのならまだしも、ただ何かがありそうだからという理由で夜中の禁足地へ踏み入るのは、少々無理のある動機に思えた。
「うーん。この森の中、何があると思う? なんで立ち入り禁止なんだと思う?」
陸は冷静さはそのままに、しかしどこか興奮気味なように見えた。怯えているといった風ではなく、遠足前の子供のようなそわそわとした様子と言った方が適格だ。それが少しだけ狂気じみていて不気味だった。何かがいつもと違うのだが、それがいったい何なのかが掴めない。
「ええ……知らん。神域だから、とか? っていうか質問に答えろ。こっちが訊いてんだよ」
いまいち会話がかみ合わないまま、陸は懐中電灯のスイッチを入れ、木々の間を照らしながら続けた。
「この辺からなら入れると思うんだ。今なら、誰にもバレない」
「本気? 毒ガスが湧いてるとか、底なし沼があるとかいう都市伝説知らないの?」
「だって、前にも入ったし」
予想外の発言に、私はポカンと口を開けて立ち尽くした。陸の話によると、小学校1年生の頃、肝試しでこの周辺を訪れた際に人目を盗んで1人中に入ったのだそうだ。しかし彼自身にその記憶はなく、数日前に母親の口から偶然この話を聞かされ、以降ずっと気になっていたらしい。
「は? なんで? 陸ってそんなアホな子だったっけ?」
「知らない。母親いわく死ぬほど泣いてたけど無傷だったらしい」
陸はそう言って囲いを飛び越え、1人ずかずかと木々の間へ足を踏み入れた。それは私からしてみれば、信じられない光景だった。ボーリング場の廃墟に忍び込んだ時もそうだったが、唐突に妙な行動力を発揮するのは何故なのか。普段はこんな無謀な事をすることなど殆どないというのに。
「まじで? まじで行くの?」
1人で待つわけにもいかず、私も陸の後を追って福露の杜へ脚を踏み入れた。中はペンキで塗り潰したように真っ暗で、物音ひとつ聞こえてこない。私は転ばないよう足元を照らしながら慎重に足を進めた。そんなことをしているうちに、気が付けば陸の姿を見失っていた。さっきまで目の前を歩いていた陸が、どこにも見当たらない。
「あれ? 陸? どこ行った!?」
「こっち」
意外にも、返事はすぐ側から聞こえてきた。彼は大きな木の裏側に立っていたのだ。
「祠って言うのは、たぶんこれだ」
陸の持つ明かりが、石でできた古い石祠を照らしている。
「うわ、やっぱり本当にあったんだ」
「うん。で、もっとやばいものも見つけた。あれ、見て」
陸はそう言って祠のさらに奥を照らした。私はそれを見た時、数秒間それが何であるのか認識できなかった。落ち葉が積もっていて全貌はよく見えないが、じっと目を凝らしてみる。何とも言い難い異様な雰囲気を醸し出しているそれは、紛れもなく……
「骨? 人の骨じゃんこれ!」
信じられない話だが、大量の人骨がまるでピラミッドのように積み上げられていた。
「いくら禁足地だって言っても、管理する人間や肝試しバカは入るだろうし、こんなクソデカピラミッド置いとけるわけないよね?」
まるで悪い夢でも見ているような、妙な気分だった。そして案の定、例の頭痛もセットでやってきた。頭の奥の方からざわざわと声がして、思わず頭を抱える。すると、全く知らない人間の声で、はっきりと「とどいた」と聞こえた。
「今の――」
私は陸の方を見た。彼はこの声が聞こえているのかいないのか、ふらふらと歩き出し、おもむろに人骨の隣に腰を下ろした。どこか遠い目をして、懐中電灯の明かりは明後日の方を向いていた。私が大丈夫かと声を掛けようとすると、急に奇妙な事を呟き始めた。
「俺がどういう立ち位置の人間で、周りからどう思われていたのかはわかってた」
「は? なんて?」
私の声にも彼は一切の反応を示さず、一方的にボソボソと機械的に喋り続ける。
「谷送りだよ。俺たちは、同じようにここに流れ着いたんだ。でも他の奴らと違って、帰れなかった。出ていくことも、生まれ変わることもできなかった。力もない。だから、ずっと呼ぶことしかできなかった」
こんなところまで来てふざけているようには到底見えなかった。私が「誰なの?」と問うと、彼は更にしっかりとした口調で返事をした。
「私たちはもう、自分がどこの誰だったのかもわからない。なのに、みんなのことは知っている。もし迷ったら、下へ潜って。急がないと間に合わない」
「下へ潜る? これから何が始まるの?」
「祭りのない間、ぼくらはバラバラの死人でしかない。動いているのは、生きた人間と無力な山神だけ」
陸がそう言った瞬間、私の身体はガクンと跳ね上がり、自室のベッドの上で目を覚ました。いったいどこからどこまでが夢だったのか。窓からは眩しいほどの西日が差し込み、服装は大学へ出かけた時のままだった。
私はすぐさま陸に電話を掛けようとしたが、そこで陽葵からメッセージが届いていることに気が付いた。ここのところ彼女とはほとんど連絡を取っていない。震える指で仮面をタップする。
『いきなりだけど、東京に行くことになりました! くわしいことは、私のお母さんから聞いてね。今までありがとう』
そんな言葉がつづられていた。




