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廻異―終わりの近い町―  作者: 生吹
町を彷徨く化け物
22/33

フクロ

「お客さーん、いつまで寝てるんですか。店仕舞いです!」


 夕日に照らされながら両目をしょぼしょぼさせていると、理英に耳を引っ張られ、鼓膜がビリビリと震えた。


「あれ? もうそんな時間? 私ずっと寝てたの?」

「そうだよ。酔っ払い客でもこんなに寝ないだろってくらい寝てた。泣き疲れた赤ちゃんみたい。本当、疲れてるんじゃないの? 送ってくから待ってて」


 私は渡された布巾でぐしょぐしょになったテーブルを拭き、ついでにアルコール消毒をそこら中に噴射しながら理英が着替えて出てくるのを待った。相変わらず私以外にお客はいなかった。それとも私が眠っている間にみんな帰ったのだろうか。

 窓から空を見と、鳥の群れが山の方へ向かって飛んで行くのが見える。いつになく真っ赤な夕焼けだった。


 

「ああそうだ。この前、4階で物音がしたって言ってたじゃん。あれ、一応警備員さんに見回ってもらったんだけど、不審な人はいなかったみたいだよ」


 車に乗り込んですぐ、理英はぎこちない手付きでハンドルを回しながら言った。そういえば、あの物音と声のようなものはいったい何だったのか。


「うーん。それは、喜べばいいの?」


 誰か忍び込んでいたならそれはそれで恐ろしいが、あれだけの物音を立てておきながら誰もいないとなると、返って疑問が膨らむ。逃げてしまったのだろうか。


「警備員さんが嘘ついてなきゃね。ま、喜んでいいんじゃない? ヤバい奴が潜んでるよりマシでしょ。前はホームレスや家出したヤンキーが勝手に入り込んで住み着いてたこともあったし。もちろん幽霊が住み着いてても嫌だけどさ」


 運転はあまり得意ではないのか、理英はぎこちないハンドルさばきで車を回すと、ゆっくりと駐車場の外へ出た。こうしてみると陽葵の運転がいかに正確であるかがわかる。そんなことを考える私の目線に気が付いたのか、理英はため息交じりに愚痴をこぼした。


「本当は車なんて全然運転したくないんだよ。でも田舎に住んでる限り運転しないわけにいかないから。毎日ドキドキしてるよ。いつか事故って免停食らったらどうしよう生活できないかもって。私みたいな運転嫌いはヨボヨボになるまでその不安と戦うんだ」


 田舎町に公共交通機関なんてものはあってないようなもので、私の母も年老いて運転が厳しくなったら騒々しい都会へ移住しなければとぼやいていた。こういう話を聞かされる度、老後は静かな田舎で穏やかに暮らすというのは夢物語なのかもしれないと思う。


「東京は車なんていらないよ。普通に生活する分にはね」

「やっぱそうだよねー。でもこのご時世、あんまり人の多いところに住もうって思えないよ。最近では都会の人がこっちに移住してきてるくらいだし。けっこう精神的に大変なんじゃないの?」

「そうかな。私が向こうにいた時は、わりとみんな出歩いてたけど―― ん? 何だあれ?」


 車は交差点に差し掛かり、赤信号で停車していた。私は助手席の窓を開けようとして何気なく左を向き、戦慄した。十字路の中心。真っ赤なに西日の中に、確かにそれは立っていた。


「フクロ……?」


 私が呟くと、理英が血相を変えて叫んだ。


「あいつだ! 私が前に見た奴!」


 西日を背にして立っているそれは、まるで引き伸ばされた影の様で、身体の向こう側が透けていた。向こうもこちらの存在に気が付いたのか、ゆらゆらと漂うように姿を消した。その瞬間、私の頭の中に奇妙な映像が走馬灯のように駆け巡った。


 夕日に照らされ赤く染まる池。その水面を覆うようにして、萎びたホテイアオイがびっしりとはびこっている。その無数の茎や葉に絡まるようにして、死体が浮いている。赤いカーディガンに、紺色のズボン。頭には、何か布のようなものが掛かっているように見えた。


「ため池……?」


 私にはその場所がどこであるのか、すぐに検討が付いた。現在いる場所からはだいぶ離れるが、福露の杜の先にある林の奥に、農業用のため池があるのだ。バス釣りの穴場だったらしく、子供の頃に父の釣りに付き合わされて何度か行ったことがあった。私の記憶が正しければ、そのため池はとある水難事故をきっかけに数年前から立ち入り禁止になっているはずだった。


「何? ため池?」


 理英は訳が分からないと言った様子で、私の顔を覗き込んできた。私は彼女に自分が見たものについて話そうか少しの間考えてから、ゆっくりと首を振った。


「なんでもない。なんだったんだろうね。あれ。けっこう遠くにいるみたいだったけど」


 あまり鮮明ではなかったが、ため池に浮いていた女は、かなり年老いていたような気がした。


「消えちゃったよ。前にもあれ見たけど、やっぱり私だけに見えた幻覚じゃなかったんだ。瑠衣もしっかり見たよね? ガリガリでひょろ長くて、頭になんか――」


 理英がそう言い掛けた時、後ろからけたたましいクラクションが鳴り、私たちは同時に声をあげて飛び上がった。


「理英! 信号変わってる!」


 いつの間にか信号は青に変わっていた。理英は慌ててアクセルを踏み、乱暴に車を発進させた。2人とも酷く動揺していて、私の家に着くまでの間、お互いにじっと押し黙ったままだった。


 家に帰った私はいてもたってもいられず、事のあらましをすべて陸に話した。すんなり信じてくれるとは思っていなかったが、以外にも彼の態度は真剣だった。


「それさ、本当にその池に死体あったりとか……しない?」

「うん……だとしたらガチで小説の通りになってる。しかも、どんどん正確になってきてる」


 正直、その可能性は車の中でも考えた。あの時、理英にため池の方へ車を向かわせるよう頼んでみようかとも思った。しかしどうしても恐ろしさの方が勝ってしまい、そのまま帰ってきてしまった。それに――


「もし仮にそうだったとして、その死体を私が見つけて通報したら、なんでお前はこんな時間に立ち入り禁止エリアにいたんだって話になるじゃん。あそこ、林の外からじゃ何も見えないんだよ。柵を越えて中まで入っていかないと。匿名で通報するにしてもさ、親の通報も含めたらもう3回目だし」


 十字路で幽霊に会い、失踪した老人がため池で死んでいる幻覚を見たので調べてほしいなどと通報すれば、きっとイタズラだと思われるに違いない。むしろそれだけで済めばまだ良い方だろう。もっと悪くすれば、妙な疑いを掛けられるのはこちらの方だ。認めたくないが、実際、私の頭がどうにかなってしまっている可能性も捨てきれない。

 陸はただ冷静に「確かにね」と言ってふーっと小さくため息をついた。


「このこと、冬谷さんにも話してみれば? 荒塚、アドレス交換してたよね? ため池に関しては、ちょっと様子を見よう。なんか、嫌な予感がする」


確かに、この手の話は冬谷さんにも話すべきだろう。すっかり忘れていたが、博物館で会った時、彼女は何かわかったら教えてほしいと言っていたはずだ。


「冬谷さんにも話すけどさ……放っておくのってなんだか気が重いな」

「まだいると決まったわけじゃない。ただの幻覚って可能性もある。仮にいたとしてもだよ。こんなこと言いたくないけど、水の事故で亡くなった人って、その……何かとヤバいって聞くし、その人失踪してからかなり日にちが経ってるでしょ? 一般人が興味本位で見に行くようなものじゃないことは確かだよ」


 陸に諭され、私は電話を切った。時刻は20時を回っていた為、冬谷さんの携帯に電話を入れるのも失礼かと思い、私は知っていることをすべてメールに書き記して送信した。夢の話、ショッピングモールで聞いた物音、十字路の影、頭に浮かんだ光景と、死体があるかもしれないため池について。だが、すぐに返信は来なかった。不安な気持ちを持て余したまま2日が過ぎようとしていた時、再び町に防災無線が鳴り響いた。


「先日 行方不明となっていた 76歳の 女性は 発見されました。 ご協力 ありがとうございました」


 当然ながら良い予感などするはずもない。冬谷さんから私のパソコンにメールが届いたのは、その翌日の朝のことだった。



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