予知
奇妙な夢を見た。巨大な化け物の腕が突然窓ガラスを突き破り、見知らぬ男の体を鷲掴みにして、闇の中へと引きずり込む夢だ。私は薄暗い廃屋にいて、隣には友人の陽葵が椅子に座って泣いている。見知らぬ人々の悲鳴が飛び交い、私は化け物の手から陽葵を守るため、咄嗟に彼女を地面に引き倒す。そして、ありったけの力を振り絞って叫ぶのだ。
「こんなクソみたいな町、どうにでもなればいい! 全員くたばりやがれ!」
冷汗にまみれて目を覚ました瞬間、耳元に鈍い振動を感じた。枕元に置かれたスマホの通知LEDが、緑色に点滅している。私は寝ぼけた意識のまま画面を付け、液晶の眩しさに目を細めながら、ステータスバーをタップした。
『悪いんだけど、私もうあんたと縁切るわ。私だけじゃなくて、穂香や芽依たちもそうしたいって。悪い事した人とは付き合えないから』
朝の6時半にメッセージを寄越したのは、同業者の友人だった。私は半開きだった瞼を思い切り見開いて、馬鹿みたいに声を上げた。
「送る時間考えろや。あと1時間も寝られただろうが!」
スマホをベッドからソファーの上に放り投げ、もう一度眠りにつこうとした。どうしてそんなふざけたメッセージが届いたのか、理由ははっきりわかっていた。
1年前まで、某動画サイトで動画投稿者として活動していた私は、思わぬことがきっかけで派手に炎上した。アンチとのちょっとしたいざこざが原因で、事態はすぐに収束するはずだった。ほとぼりが冷めた頃、他人の炎上に油を注いで飯を食うタチの悪い同業者に目を付けられ、過去の言動や育った環境について、デマを織り交ぜつつご丁寧に暴露され、活動休止に追い込まれるまでは。
SNSでの中傷や嫌がらせDMにはそろそろ慣れつつあったが、よく見知った人間から突き付けられる刃物のような拒絶は、私の心臓を容赦なく抉った。
「クソ。どうせオールでもしてたんだろ」
生暖かいベッドの中で色々な事を考えながら、少なくとも500回は寝返りを打った。どうせ自分に味方なんかいやしない。所詮女の友情なんて薄っぺらい。あいつらにとって、自分はもういらない人間なんだ。どうせ現実なんてこんなもの。そんな考えが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。そうしているうちに段々と腹の底がむかむかして、酷く攻撃的な気分になる。するとどういうわけか、大勢の知らない人間の声が頭の奥からどっと押し寄せてきて、私は堪らずベッドから飛び起きた。
「またか……」
2階の自室から薄暗い階段を降り、キッチンへ向かうと、母がコーヒー片手にニュースを見ていた。
「あら、瑠衣ちゃん。今日は早起きじゃないの」
「起こされたんだよ」
「また変な声が聞こえるの? 昨夜の分の薬はちゃんと飲んだ?」
「飲んでるよ。でも、あんなんじゃたぶん、ハナクソを食べても得られる効果は変わんないんじゃないかな。それに――」
「あらやだ! 見てよあれ」
私の返答をよそに、母の興味はテレビ画面に移っていた。画面には『福露塚市 2年後に破綻の恐れ』とある。
「嫌だわ。こんな話題で地元がニュースになるなんて。この前は灯篭流しと『冬夜祭』中止のニュースもやってたし。来年以降も自粛ムードが続くかもね」
そんなことを言いつつ、呑気にコーヒーを啜っている。冬夜祭とは、毎年大晦日に行われるこの町の祭りである。去年は突如として現れた新型ウイルスの蔓延に伴い、開催は見送られていた。
私は自分の話を諦め、適当に母のペースに合わせることにした。大体いつもこんな感じである。
「あの祭りって何のためにやってんの?」
「豊作祈願とか、町の平和を祈るとか、そんなんでしょ。前はよくお友達と一緒に灯篭を見に行ったりしてたのにね。もうあの頃のお友達とは遊ばないの?」
「遊ばないね。今しがた『絶縁宣言』が発令されたし」
私は自分のコーヒーをなみなみとマグカップに注ぐと、そそくさとその場を後にした。母は何を言っているのかわからないといった様子だったが、構わず放置した。
部屋の窓を開け、早朝の匂いを嗅ぎながら熱々のコーヒーを啜る。強烈な苦みが、乾いた口の中に広がった。何気なくベランダの隅に目をやると、5月に植えたプランターのニチニチソウがいつの間にか全滅し、干からびたヘソの緒のようになってしぼんでいた。
もう夏も終わりか。そう思うと、針で刺した風船のように全身から力が抜けていった。
「ちょっと散歩してくるわ」
私は相変わらずテレビ画面にくぎ付けになっている母にそう告げると家を出た。
「それがいいわ。朝日を浴びて運動するのが良いってお医者さんも言ってたしね」
「べつに、そういうつもりじゃないけど」
夏の間はあまりにも暑すぎて散歩どころではなかった。太陽の光を浴びろだとか、散歩をしろだとか、プロテインを飲めだとか、散々言われてきたが、他人に指示されると途端に萎えてやる気をなくす。そんなしょうもない日々を送ってきた。
【観光案内】
福露塚町
かつて観光の町として栄えた田舎町。人口の殆どが駅周辺に集中しており、それ以外のエリアは殆ど田園地帯か工業地帯である。町の東側には豊かな山々が広がっているが、山砂利採取により年々削られつつある。
5月に町を襲った季節外れの大型台風により、甚大な被害を受けた。
冬夜祭
毎年大晦日に行われる地域の祭り。田園地帯の中心を突っ切るようにして流れる神谷川に蓮の花を模った灯篭を流す。昨年はウイルスの蔓延により中止となった。
亥吹山蓮池公園
駅から1.5キロほど離れた場所にある小高い丘の上の運動公園。色とりどりの菊や百合などの花が多く栽培されているが、今は季節外れの花を咲かせる蓮目当てに多くの人が訪れている。
名前の通り、頻繁にイノシシが目撃されている。中にはイノシンの幽霊を見たという者までいるとかいないとか。
※感想欄を一時的に閉じていますが、物語本編が完結し次第、解放する予定です。
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